読書。
『悩み・不安・怒りを小さくするレッスン』 中島美鈴
を読んだ。
副題は「「認知行動療法」入門」です。セラピーに認知療法と行動療法という別々の療法があり、それらをケースバイケースで組み合わせたり使い分けたりするのが、認知行動療法だと言ってよいと思います。
数年前に職場で雑談の途中にふと気付いたことなのですが、「社会や世間、つまり自分が住んでいる世界をどう捉えているかと、そういった世界を構成している人間という存在をどのように理解しているか。それが、その人の態度や姿勢、コミュニケーションのとり方、ひいては生き方の根本になっている。要するに、各個人にはそれぞれの世界観や人間観があり、それがどのようなものであるかで、その人がどのような人かが決まっているのだ」というのがありました。本書のはじめで、このことが取り上げられていて、僕が自分の言葉での表現した「世界観や人間観」は認知行動療法の分野では「信念」だとか「スキーマ」と呼ばれるのだそうです。そして、「信念」や「スキーマ」によって、その人の認知の仕方が変わってきます。本書で使われてる「信念」の概念のほうが、僕の「世界観・人間観」概念よりも多少ごく個人的で、たとえば「自分は他人よりも劣っている」という信じ込みがそうだったりする。ただ、世界や人間がどう見えているか、その個人差を考える上ではほとんど一緒のことなんだと思います。
問題は、その信念から生まれる認知が、どのくらい歪んでいて、その歪みがどのくらい強固であるか、なのでした。おそらくこれは年を重ねていくにつれて離れがたくなるし疑いにくくなります。長年連れ添った認知の歪みとは仲が良くなりすぎていて、そこから離れにくいでしょうから。
いい歳になってから、というか、いい歳になったがゆえに、本来、世界観や人間観の歪みにすぎないものが若い時よりも強化されて「本当だ」と思えて口をついてでてもしまう。そういった歪みに起因する言葉が、他者の歪みと共鳴し増幅させてしまうから、いい歳同士の間でなおさら世界が歪んで見えてしまうことってありそうです。15歳だとかからみえるいい歳したおじさんおばさんは、その会話内容や彼らの諭すようなものの言い方から、15歳や20歳よりもずっと世界の真実がみえていると思われがちじゃないでしょうか(実際、世知辛い経験も若い人よりも多いのは確かで、それは長生きしているからしょうがない)。でも実は歪みが多いのではないか。
若い時から知ったような口をきく人はたくさんいるし、普段は違うけれども場合によってはそうなる人もいるでしょう。けれど、そうやって物事をひとつに決定して考えてしまうのは、いい歳した人たちの「世界観・人間観の歪みの定着した考え方」に近づいてしまうことになる。ひとつの物事にはたくさんの可能性があるんだってことを感じるほうが実は正しくて、かつ生きやすい。決定して進んでいくことができないのは、傍からみれば優柔不断のように見えます。だけど、そういう若い人に多いだろう優柔不断的傾向のほうが、ネガティブすぎたりポジティブすぎたりせずにいられるんです。たとえばつまりこういう効果が考えられます。ネガティブに思いこむことで心をすり減らさなくて済む、というように。
先述の、いい歳した人たちの世界観・人間観の歪みの定着と共鳴・増幅が、いい歳した世代だけで終わるならまだいいのだけど、若い人たちへとまるで価値観の押しつけのように彼らの世界観・人間観まで歪むほうへと働きかけてしまう。それは職場の年齢的・役職的・先輩後輩的な上下関係が加担するからです。そして、こういった再生産の流れはずっと続いてきたし、どこかで激しさをもって断たないとこの先もずっと続いていくでしょう。生きづらさを無くしていきたいと僕は思うほうですから、世界観・人間観の歪みの自覚と修正はしていきたくなりますし、勧めたくもなるんです。
再び、認知の歪みの増幅についてですが、増幅することによって、本来ただの歪みのものがほんとうのこととして実現してしまうってあると思うのです。これこそ本書でもとりあげられていますが、「予言の自己成就」的な現象としてです。そうやってまた個人の内にある歪みが強化されて、さらに新た歪みを生んでしまったりするでしょう。これの亜種として、ネット掲示板などをディープに読む人たちのキャラクターが造形されていく過程の説明にもちょっと応用が効くかもしれないです。ネトウヨだとか、オカルトだとか、排除主義だとか、優生思想だとか、いろいろな方面にです。すべて、認知の歪みからきていると思います。
と、出だしの部分から思索が瞬間的に大きく広がりを見せるくらい刺激的な内容なのです。平易で丁寧で読みやすい文章から、これだけ情報や考えるきっかけを得られますし、その内容が僕の興味の強い「人のこころ」のことなんですから、最良の本だ、と思って読み進んでいきました。
古典的条件付けとオペラント条件付けの章では、条件付けって相当に強いものだとあらためて知ることになりました。駄々をこねる子どもと、ゴネたり暴力をふるう大人。どちらも、その行為によって自分の欲求が通るようになったことで無意識のうちにそうするように学習してしまうんです。そういう好からぬ強化を自分に対しても他人に対しても回避できるようにしたいものではないでしょうか。また、それらが強化されてしまったあとでも、意識して行動を変えてみることで、脱することだってできるようです。
「パニック障害」「社会不安障害」に認知行動療法はもっとも効果が期待できるそうです。また、怒りに振り回されないようにする「アンガーマネジメント」も、この分野の範疇にはいる領域で2章にわたって解きほぐされていますし、アサーションがそのなかで解説されてもいます。グーグル社で採用されているという「マインドフルネス」もこの分野の範疇内にあり、言及もあります。
個人的には、近しい人に暴力的で支配的な人がいてその内面には大きな不安や寂しさがあるように見えているので、その勉強のために読んだところがありました。しかし、そういえば僕にも大きな苦手なことがあるなと思いだしたのです。人前でのスピーチや、人前で司会進行するときなどの即興での冗談だとかフォローだとかが得意ではない。これをどうしたらいいのだろう、と食い入るように読みました。そこに書いてあった大切なことは、回避しないこと。要するに、スピーチだったら、それを誰かに回したり断ったりしないこと。回避すると、逆にその不安や恐怖が強くなっていくのだそうです。荒療治に感じられますが、人前にどんとでてみるのが、改善のためには最善手だということでした。それと、なぜ人前でのスピーチができないのか、その原因や恐れていることを客観的に見つめて言葉にし、露わにしていくのも大切。ちなみに、人前でのスピーチが苦手な人に、どんどん人前でスピーチをさせていく荒療治の手法のことを、暴露法(エクスポージャー)といいます。それと、「不安や恐怖は感情ではない。身体の反応に過ぎない」という言葉が引用されていて、考えの及ばなかった視点なので、おおっと感嘆の息が漏れました。他にも、緊張しているときに浅くなった呼吸を深呼吸でリラックス状態に近づけることで心理状態もリラックス状態に近づけられる技法や、強張った筋肉をリラックスさせるために、五秒間腕や肩などに目いっぱい力を入れてそれから脱力する練習をしておくと、いざというときにそれをやれば、身体が力の抜き方がわかるようになる、という技法も紹介されていました。
自分も含めて、あの人、この人……と、認知行動療法をうけたら生きやすさの度合いがかわるだろうに、と思う人がいっぱい。いろいろな本が出版されているそうですけども、本書は入門書としてとっつきやすいですし、広範にこの分野を知ることができますので、おすすめできます。そしてやっぱり、自分ごととして読めるので、理解もしやすいと思いますし、なによりも夢中になって読書する体験も得られるのではないでしょうか。でもって、それこそがマインドフルネスの体験になるのでした。
『悩み・不安・怒りを小さくするレッスン』 中島美鈴
を読んだ。
副題は「「認知行動療法」入門」です。セラピーに認知療法と行動療法という別々の療法があり、それらをケースバイケースで組み合わせたり使い分けたりするのが、認知行動療法だと言ってよいと思います。
数年前に職場で雑談の途中にふと気付いたことなのですが、「社会や世間、つまり自分が住んでいる世界をどう捉えているかと、そういった世界を構成している人間という存在をどのように理解しているか。それが、その人の態度や姿勢、コミュニケーションのとり方、ひいては生き方の根本になっている。要するに、各個人にはそれぞれの世界観や人間観があり、それがどのようなものであるかで、その人がどのような人かが決まっているのだ」というのがありました。本書のはじめで、このことが取り上げられていて、僕が自分の言葉での表現した「世界観や人間観」は認知行動療法の分野では「信念」だとか「スキーマ」と呼ばれるのだそうです。そして、「信念」や「スキーマ」によって、その人の認知の仕方が変わってきます。本書で使われてる「信念」の概念のほうが、僕の「世界観・人間観」概念よりも多少ごく個人的で、たとえば「自分は他人よりも劣っている」という信じ込みがそうだったりする。ただ、世界や人間がどう見えているか、その個人差を考える上ではほとんど一緒のことなんだと思います。
問題は、その信念から生まれる認知が、どのくらい歪んでいて、その歪みがどのくらい強固であるか、なのでした。おそらくこれは年を重ねていくにつれて離れがたくなるし疑いにくくなります。長年連れ添った認知の歪みとは仲が良くなりすぎていて、そこから離れにくいでしょうから。
いい歳になってから、というか、いい歳になったがゆえに、本来、世界観や人間観の歪みにすぎないものが若い時よりも強化されて「本当だ」と思えて口をついてでてもしまう。そういった歪みに起因する言葉が、他者の歪みと共鳴し増幅させてしまうから、いい歳同士の間でなおさら世界が歪んで見えてしまうことってありそうです。15歳だとかからみえるいい歳したおじさんおばさんは、その会話内容や彼らの諭すようなものの言い方から、15歳や20歳よりもずっと世界の真実がみえていると思われがちじゃないでしょうか(実際、世知辛い経験も若い人よりも多いのは確かで、それは長生きしているからしょうがない)。でも実は歪みが多いのではないか。
若い時から知ったような口をきく人はたくさんいるし、普段は違うけれども場合によってはそうなる人もいるでしょう。けれど、そうやって物事をひとつに決定して考えてしまうのは、いい歳した人たちの「世界観・人間観の歪みの定着した考え方」に近づいてしまうことになる。ひとつの物事にはたくさんの可能性があるんだってことを感じるほうが実は正しくて、かつ生きやすい。決定して進んでいくことができないのは、傍からみれば優柔不断のように見えます。だけど、そういう若い人に多いだろう優柔不断的傾向のほうが、ネガティブすぎたりポジティブすぎたりせずにいられるんです。たとえばつまりこういう効果が考えられます。ネガティブに思いこむことで心をすり減らさなくて済む、というように。
先述の、いい歳した人たちの世界観・人間観の歪みの定着と共鳴・増幅が、いい歳した世代だけで終わるならまだいいのだけど、若い人たちへとまるで価値観の押しつけのように彼らの世界観・人間観まで歪むほうへと働きかけてしまう。それは職場の年齢的・役職的・先輩後輩的な上下関係が加担するからです。そして、こういった再生産の流れはずっと続いてきたし、どこかで激しさをもって断たないとこの先もずっと続いていくでしょう。生きづらさを無くしていきたいと僕は思うほうですから、世界観・人間観の歪みの自覚と修正はしていきたくなりますし、勧めたくもなるんです。
再び、認知の歪みの増幅についてですが、増幅することによって、本来ただの歪みのものがほんとうのこととして実現してしまうってあると思うのです。これこそ本書でもとりあげられていますが、「予言の自己成就」的な現象としてです。そうやってまた個人の内にある歪みが強化されて、さらに新た歪みを生んでしまったりするでしょう。これの亜種として、ネット掲示板などをディープに読む人たちのキャラクターが造形されていく過程の説明にもちょっと応用が効くかもしれないです。ネトウヨだとか、オカルトだとか、排除主義だとか、優生思想だとか、いろいろな方面にです。すべて、認知の歪みからきていると思います。
と、出だしの部分から思索が瞬間的に大きく広がりを見せるくらい刺激的な内容なのです。平易で丁寧で読みやすい文章から、これだけ情報や考えるきっかけを得られますし、その内容が僕の興味の強い「人のこころ」のことなんですから、最良の本だ、と思って読み進んでいきました。
古典的条件付けとオペラント条件付けの章では、条件付けって相当に強いものだとあらためて知ることになりました。駄々をこねる子どもと、ゴネたり暴力をふるう大人。どちらも、その行為によって自分の欲求が通るようになったことで無意識のうちにそうするように学習してしまうんです。そういう好からぬ強化を自分に対しても他人に対しても回避できるようにしたいものではないでしょうか。また、それらが強化されてしまったあとでも、意識して行動を変えてみることで、脱することだってできるようです。
「パニック障害」「社会不安障害」に認知行動療法はもっとも効果が期待できるそうです。また、怒りに振り回されないようにする「アンガーマネジメント」も、この分野の範疇にはいる領域で2章にわたって解きほぐされていますし、アサーションがそのなかで解説されてもいます。グーグル社で採用されているという「マインドフルネス」もこの分野の範疇内にあり、言及もあります。
個人的には、近しい人に暴力的で支配的な人がいてその内面には大きな不安や寂しさがあるように見えているので、その勉強のために読んだところがありました。しかし、そういえば僕にも大きな苦手なことがあるなと思いだしたのです。人前でのスピーチや、人前で司会進行するときなどの即興での冗談だとかフォローだとかが得意ではない。これをどうしたらいいのだろう、と食い入るように読みました。そこに書いてあった大切なことは、回避しないこと。要するに、スピーチだったら、それを誰かに回したり断ったりしないこと。回避すると、逆にその不安や恐怖が強くなっていくのだそうです。荒療治に感じられますが、人前にどんとでてみるのが、改善のためには最善手だということでした。それと、なぜ人前でのスピーチができないのか、その原因や恐れていることを客観的に見つめて言葉にし、露わにしていくのも大切。ちなみに、人前でのスピーチが苦手な人に、どんどん人前でスピーチをさせていく荒療治の手法のことを、暴露法(エクスポージャー)といいます。それと、「不安や恐怖は感情ではない。身体の反応に過ぎない」という言葉が引用されていて、考えの及ばなかった視点なので、おおっと感嘆の息が漏れました。他にも、緊張しているときに浅くなった呼吸を深呼吸でリラックス状態に近づけることで心理状態もリラックス状態に近づけられる技法や、強張った筋肉をリラックスさせるために、五秒間腕や肩などに目いっぱい力を入れてそれから脱力する練習をしておくと、いざというときにそれをやれば、身体が力の抜き方がわかるようになる、という技法も紹介されていました。
自分も含めて、あの人、この人……と、認知行動療法をうけたら生きやすさの度合いがかわるだろうに、と思う人がいっぱい。いろいろな本が出版されているそうですけども、本書は入門書としてとっつきやすいですし、広範にこの分野を知ることができますので、おすすめできます。そしてやっぱり、自分ごととして読めるので、理解もしやすいと思いますし、なによりも夢中になって読書する体験も得られるのではないでしょうか。でもって、それこそがマインドフルネスの体験になるのでした。