読書。
『広告論講義』 天野祐吉
を読んだ。
「広告批評」を創刊し編集長をしていた天野祐吉さんによって、
明治学院大学にて2000~2001年に行われた講義を加筆編集しまとめたもの。
天野祐吉さんといえばコラムニストということで、
僕も昔、なにかの雑誌で天野さんのコラムを読んだりしていたことが
あったような気がしますが、なんの雑誌だったろうか、と。
『優駿』だったような気もするのですが、もっと軽い雑誌だったような感じもして。
まあ、そこははっきりしませんが、
なんとなくお名前は昔から知っていたということでした。
しかし、実に面白かったですね、この本。
20世紀はどういった世紀だったでしょうか、と尋ねられれば、
戦争の世紀だった、科学の世紀だった、
などと答えるのが一般的かもしれないところを、
広告の世紀でもあったと捉えて、
20世紀の広告の総括を端的に行った講義のまとめがこの本になっています。
1900年のパリ万博からはじまって、
2001年のアメリカ同時多発テロで終わっています。
パリ万博は壮大な広告だったし、
同時多発テロの様子を何度も映し出したテレビは、
その反復によって、テロは悪であり、
アメリカは被害者であるという広告になった。
と、初めと終わりだけを紹介すると、
その豊潤な中身に触れないことがフェアじゃなくなってしまいます。
著者がところどころ引用する新聞広告や学者の文言などは、
博識であればこその言葉の拾いあげ(キュレーション)であって、
そしてそれらが物事の的を射ているという的確性があります。
フォードやフォルクスワーゲンなどの車の広告についてや、
片岡敏郎という戦前の名コピーライターの人や、
20世紀の広告といえば、負の遺産としてこれは外せないヒトラーについてなど、
多岐にわたって簡潔に、そして本質を突いて広告というものを教えてくれます。
開高建さんや山口瞳さん、糸井重里さんの名前も出てきます。
面白いと言っても、そりゃ、「これを読めば名コピーが書ける!」という
ハウツー本みたいなものではないのですが、
広告の概論を読むという感覚で楽しめてしまう。
こんな講義が大学であったんだから、
明治学院大の学生たちが羨ましいと思ってしまいました。
『広告論講義』 天野祐吉
を読んだ。
「広告批評」を創刊し編集長をしていた天野祐吉さんによって、
明治学院大学にて2000~2001年に行われた講義を加筆編集しまとめたもの。
天野祐吉さんといえばコラムニストということで、
僕も昔、なにかの雑誌で天野さんのコラムを読んだりしていたことが
あったような気がしますが、なんの雑誌だったろうか、と。
『優駿』だったような気もするのですが、もっと軽い雑誌だったような感じもして。
まあ、そこははっきりしませんが、
なんとなくお名前は昔から知っていたということでした。
しかし、実に面白かったですね、この本。
20世紀はどういった世紀だったでしょうか、と尋ねられれば、
戦争の世紀だった、科学の世紀だった、
などと答えるのが一般的かもしれないところを、
広告の世紀でもあったと捉えて、
20世紀の広告の総括を端的に行った講義のまとめがこの本になっています。
1900年のパリ万博からはじまって、
2001年のアメリカ同時多発テロで終わっています。
パリ万博は壮大な広告だったし、
同時多発テロの様子を何度も映し出したテレビは、
その反復によって、テロは悪であり、
アメリカは被害者であるという広告になった。
と、初めと終わりだけを紹介すると、
その豊潤な中身に触れないことがフェアじゃなくなってしまいます。
著者がところどころ引用する新聞広告や学者の文言などは、
博識であればこその言葉の拾いあげ(キュレーション)であって、
そしてそれらが物事の的を射ているという的確性があります。
フォードやフォルクスワーゲンなどの車の広告についてや、
片岡敏郎という戦前の名コピーライターの人や、
20世紀の広告といえば、負の遺産としてこれは外せないヒトラーについてなど、
多岐にわたって簡潔に、そして本質を突いて広告というものを教えてくれます。
開高建さんや山口瞳さん、糸井重里さんの名前も出てきます。
面白いと言っても、そりゃ、「これを読めば名コピーが書ける!」という
ハウツー本みたいなものではないのですが、
広告の概論を読むという感覚で楽しめてしまう。
こんな講義が大学であったんだから、
明治学院大の学生たちが羨ましいと思ってしまいました。
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