読書。
『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎
を読んだ。
人生につきものの、暇と退屈。
いったい、それらはどういうもので、
どう対処していくのがもっとも上手な方法なのだろうか。
暇と退屈を東西の哲学者などの言葉を引き咀嚼しながら、
つぶさに多角的にみていって、最後には著者なりの結論がでる。
途中から読んでみたり、
半分くらいまで読んでしばらく間を空けて、
ちょっと内容の記憶が薄れていたことろに読みなおしたり、
そういう読み方だとついていけないような種類の本ではある。
かといって、難しくて手に負えない種類の本ではない。
序盤から少しずつ平明な言葉を使っていながらも、
論を構築していく種類の本なので、
途中から読んでもわからないというこなのだ。
情報の羅列で、ひとつの章ごとに、
ぽっきりと区切られているのではないということ。
それで300ページ超のボリュームなので、
取り上げられるハイデッガーやラッセルな「環世界」について何も知らないと、
けっこう頭がパンパンに張りつめてしまう。
僕は、著者の國分さんがNHKで哲学の特別番組をやったときそれを観ていて、
「環世界」だけは理解していたので、そこは助かったのだけれど、
ひとつの読書としてみてみると、「環世界」がでてくるところで
驚きを感じなかったのが、読書体験として残念でもあるところだった。
ネタバレにもなってしまうのだが、
序盤から、ラッセルの言う退屈を克服する手段としての「熱意」が挙げられて、
僕はもう、それだ!と得心したようになってしまい、
読み終えた今もなお、僕個人としては「熱意」という行動、
そのキーワードは的を射ていると思っている。
著者の最後の結論からしても、それは当たらずと言えど遠からずではあった。
著者の結論と総合して考えてみると、
「よく生きよ!」ということに突き当たる。
楽しみ、熱中し、よく笑え、というような。
そして、それこそが贅沢であるだろう。
著者も触れているが、戦争や飢餓、貧困などのために、
そういった退屈克服に取り組めない人もいる。
また、ハケンなどの非正規雇用の増大は、
小泉元総理の一声で決まったかのように思っていたけれど、
その根本原因は消費者の消費行動と、
その消費行動と共犯関係にある生産戦略にあったことがわかって、
なるほど!の意味で的なユーリカ!がでたりもしたし、
僕がけっこうここで書く、
「個人主義の意訳は自助であって利己ではない」っていう考えが、
ルソーのところで自己愛と利己愛としてでてきて、
いいパスをもらったかのようでもあった。
暇と退屈を哲学して、それを乗り越えるというより、
上手に付き合っていこうとするために役立つ論考でもあり、
少しずつ構築されていき最後には大きな建築物のようになる論考を読むことで、
読者もその思考の追体験をすることにもなる。
「暇つぶし・・・」と思って読んでみたら、
その跳ねっ返りとして、暇つぶしに過ぎなかった時間が、
「暇つぶし観」を大きく変えてしまうような力を持った本だと思った。
僕は普通の『暇と退屈の倫理学』を読みましたが、
現在は増補新版の本作が発売されているようなので、
手に取る方はそちらを手に取るのがベターだと思いました。
簡明さのなかに注意深さがある本。
『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎
を読んだ。
人生につきものの、暇と退屈。
いったい、それらはどういうもので、
どう対処していくのがもっとも上手な方法なのだろうか。
暇と退屈を東西の哲学者などの言葉を引き咀嚼しながら、
つぶさに多角的にみていって、最後には著者なりの結論がでる。
途中から読んでみたり、
半分くらいまで読んでしばらく間を空けて、
ちょっと内容の記憶が薄れていたことろに読みなおしたり、
そういう読み方だとついていけないような種類の本ではある。
かといって、難しくて手に負えない種類の本ではない。
序盤から少しずつ平明な言葉を使っていながらも、
論を構築していく種類の本なので、
途中から読んでもわからないというこなのだ。
情報の羅列で、ひとつの章ごとに、
ぽっきりと区切られているのではないということ。
それで300ページ超のボリュームなので、
取り上げられるハイデッガーやラッセルな「環世界」について何も知らないと、
けっこう頭がパンパンに張りつめてしまう。
僕は、著者の國分さんがNHKで哲学の特別番組をやったときそれを観ていて、
「環世界」だけは理解していたので、そこは助かったのだけれど、
ひとつの読書としてみてみると、「環世界」がでてくるところで
驚きを感じなかったのが、読書体験として残念でもあるところだった。
ネタバレにもなってしまうのだが、
序盤から、ラッセルの言う退屈を克服する手段としての「熱意」が挙げられて、
僕はもう、それだ!と得心したようになってしまい、
読み終えた今もなお、僕個人としては「熱意」という行動、
そのキーワードは的を射ていると思っている。
著者の最後の結論からしても、それは当たらずと言えど遠からずではあった。
著者の結論と総合して考えてみると、
「よく生きよ!」ということに突き当たる。
楽しみ、熱中し、よく笑え、というような。
そして、それこそが贅沢であるだろう。
著者も触れているが、戦争や飢餓、貧困などのために、
そういった退屈克服に取り組めない人もいる。
また、ハケンなどの非正規雇用の増大は、
小泉元総理の一声で決まったかのように思っていたけれど、
その根本原因は消費者の消費行動と、
その消費行動と共犯関係にある生産戦略にあったことがわかって、
なるほど!の意味で的なユーリカ!がでたりもしたし、
僕がけっこうここで書く、
「個人主義の意訳は自助であって利己ではない」っていう考えが、
ルソーのところで自己愛と利己愛としてでてきて、
いいパスをもらったかのようでもあった。
暇と退屈を哲学して、それを乗り越えるというより、
上手に付き合っていこうとするために役立つ論考でもあり、
少しずつ構築されていき最後には大きな建築物のようになる論考を読むことで、
読者もその思考の追体験をすることにもなる。
「暇つぶし・・・」と思って読んでみたら、
その跳ねっ返りとして、暇つぶしに過ぎなかった時間が、
「暇つぶし観」を大きく変えてしまうような力を持った本だと思った。
僕は普通の『暇と退屈の倫理学』を読みましたが、
現在は増補新版の本作が発売されているようなので、
手に取る方はそちらを手に取るのがベターだと思いました。
簡明さのなかに注意深さがある本。
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