今月は、JR大原駅から鵜原(うばら)駅を目指して歩きました。外房線は、海沿いを走っていますが、大原駅以降は、線路沿いより、更に海岸線側の景色がいいです。
今迄、電車に乗ったり、国道をバイクや車で走ることはあっても、一番海に近いところをゆっくり見て歩く機会がありませんでした。
今回は、全体的には、線路からだいぶ離れましたが、海岸線をぶらぶらひとりウォークです。振り返ると、岩船地蔵、メキシコ記念塔、官軍塚を見学し、過去の遭難地点めぐりのようなウォークになってしまいまいました。
大原駅からは、県道174号線をしばらく歩き、国道128号線で浪花(なみはな)駅へ。
国道を右折して、旧道を駅に向かっていたら、消防機庫のある交差点に、風景によく馴染んでいる道標を見つけました。
小沢村となっているので、明治の頃の物だと思います。石の側面には、「一の宮 長者町」「かつうら こみなと」「村内安全」などの文字が見えました。おそらくこの道は、国道等ができる前の主要道だったのでしょう。
浪花駅は、無人駅です。駅の改札?はこんな感じ。
駅は無人でも、周辺はきちんと整備されていました。
駅前に郵便局がありましたが、駅にも郵便局にもお客さまはなし。郵便局の女性職員の方が、カウンターで談笑している姿が見えました。
ほんと、ゆったりですね。
浪花駅から国道方面に戻り、国道を横切って、岩船周辺の海岸線を歩いて、御宿(おんじゅく)岩和田海岸、御宿駅を目指しました。
岩船には、岩船地蔵尊がまつられています。栃木県の岩舟、新潟県の岩船の地蔵とともに日本三地蔵尊の一つなんだとか。へぇ~ってやつですね。
名前はよく聞いていましたが、近くに住んでいても訪ねるのは初めてです。
建治元年(1275年)、もうこれだけ前だとどうでもいい話しではあるんですが、中納言藤原兼定が東国の衆生済度のため本尊と75座の神々をいただいての航海中に台風に遭い、岩船の釣師海岸に漂着したのだそうです。
おそらく、当時の村民たちはそれを助け、あたたかく受け入れた。自然の中で生き、困っている人は助けなければという純朴な思いの田舎人が都の権力者を助けた伝説なの残骸なのだと思います。
岩船地蔵尊に参拝。
私は、神仏には無縁ですが、神社仏閣を訪ねた時は、必ず『雀の涙』ほどですが、お賽銭を入れて、心の中で、自分の住所氏名を告げ、家内安全を祈ることにしています。
それは、神仏にお願いするというのではなく、その寺社を守っている氏子、檀家さんと同じ生活者の心を持ちたいからです。
岩船地蔵尊を過ぎ、こんな道を歩いていると、
だんだん上り坂になり、海に突き出た尾根のような道を歩きました。
たぶん、画像の奥に盛り上がっている部分を歩いたのだと思います。
釣師海岸という藤原兼定一行が、漂着した場所らしいです。
ここでも、へぇ~~っ、です。
千葉県で、こんな風景は、銚子の屏風ヶ浦くらいと思っていました。
御宿町岩和田海岸は、この断崖の先。
断崖の尾根は、生活道として舗装道路が整備されていますが、歩いていると、とても海岸線に一番近い道とは思えませんでした。
山の中を歩いているという感じ。でも、時々潮騒が聞こえる。
不思議な癒しの時間でした。
(後半に続く)