まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR大原(おおはら)駅~JR御宿(おんじゅく)駅 営業キロ8.2Km) 後編

2015年04月29日 | 房総駅間ひとりウォーク

尾根道を下ってくると大きなアンテナが目に入ってきました。

 

千葉県水産情報通信センターの通信施設です。沿岸から沖合海域で操業する漁船約1,400隻を対象に操業の安全確保と効率化を図るために24時間体制で通信を管理しているそうです。

飛行場のような派手さはありませんでしたが、海の管制塔ですね。

さらに進むと、海洋生物環境研究所という建物があり、その海側に、ドン・ロドリゴ上陸地という案内板が目に入りました。

今から400年余り前、江戸時代の初めの頃の話。
当時の将軍様はというと2代将軍徳川秀忠の頃で、もう古い話しなのですが、慶長の地震が起き、房総の犬吠埼から九州にかけて津波被害が大きかったと伝えられている5年後の慶長14(1609)年、スペイン領・フィリピン総督ドン・ロドリゴ一行を乗せ、メキシコに向かっていた帆船サンフランシスコ号が台風に遭遇し、座礁。
岩和田の村民がそれを助け、乗組員373人のうち317人の命を救ったと伝えられている、上陸の浜でした。

 

今回、2件目の遭難の地です。

御宿海岸に向かって歩いていると、右側に記念塔入口という案内があったので登ってみました。

 

スペイン領の船なのに、なぜメキシコ記念塔というのかちょっと疑問だったのですが、翌年1610年に、ロドリゴ一行は、徳川家康が新たに建造させた船で無事メキシコのアカプルコへ帰港できた。こういう経緯で交流ができ、後世の昭和3(1928)年、スペイン、日本、メキシコの交通の発祥の地として記念碑を建て、現在の記念碑に受け継がれているようです。

平成21(2009)には日本メキシコ交流400周年記念式典が開催され、皇太子さまをはじめ駐日メキシコ、スペイン両大使、外務副大臣、森田知事が出席なされ盛大に行われとのこと。今でも、交流は続いているんですね。

 

メキシコ記念塔を下りて海岸線に進むと、きれいな砂浜の広がる御宿海岸に出ました。

 

ここで気になったのが、元禄地震の想定津波高。
先ほど、慶長地震の・・・などと書きましたが、約100年後に発生した元禄地震では、千葉県でも6500人余りが亡くなった(防災誌『元禄地震』千葉県)といわれています。
想定津波高は、東日本大震災後、海辺の街でよく見かけるようになりましたが、ここ御宿の浜でも2mを超えるくらいの記録が残っているのでしょうか。
綺麗な浜の広がる海浜の癒しの街ですが、ここに2mを超える津波が押し寄せてきたら、大惨事です。地域全体が情報を密にし、物はあきらめ、一刻も早く近くのマンション等高台へ避難する体制をつくるしか身を守る術はなさそうです。

 

浜沿いに歩を進めていると、綺麗な砂浜にラクダ(作り物ですが)がいい感じで歩いていました。童謡「月の沙漠」は、ここ御宿海岸をモチーフにして書かれた詩だといわれています。
今回は立ち寄りませんでしたが、道路をまたいで、直ぐ近くに「月の沙漠記念館」があり、加藤まさをさんの作品等を見ることもできます。

JR線から離れて、だいぶ遠回りをしましたが、13時過ぎようやく御宿駅に到着しました。

 

 

大原駅~御宿(おんじゅく)駅 営業キロ8.2Km)    2015年4月16日
実際に歩いた歩数 23,106歩(16.4Km)

 

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