まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

ゲルマラジオでラジオ日経が

2017年08月11日 | ラジオな日々
寝床ラジオで使っている自作のゲルマラジオのセラミックイヤフォンが破損してしまったので弄っている。

いたずらパーツでもっていたものがあったので、交換したら簡単に復旧できた。

ゲルマラジオは部品数が少なく、構造は”見たっきり”のラジオなので、壊れても自分で直せるのもなんだかいい。

普段この時間はNHKR1が弱く入感する程度なのだが、今日はラジオ日経RN1、RN2がゲルマラジオにしては”ガンガン”状態で聞こえる。

RN1の競馬の話題のBGMでRN2でオリビア・ニュートンジョンの歌声が流れているという感じだが、これが不思議に違和感がない。

ラジオ日経長柄送信所がわが家から一番近いラジオ送信所ではあるんだけれど、中波を受信する設定の寝床ラジオで、短波がトランジスラジオ並みに聞こえるというのもとても不思議だ。

電波は科学的に解明されたものなんだろうけれど、自然界(宇宙)に元々あるもので、電波って神の声なのかも、と思う(笑)。

もう人生終盤なって今更いうなよの世界だが、遊び心をもって時間を過ごしていると、なんとなく理解はできても、納得するまでは解らないことが、おバカな私にはたくさんあることに気付いているこの頃である。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争と平和

2017年08月11日 | 読経の日々
終戦の日を前に、戦争と平和について考える話題がテレビラジオ等で取り上げられている。
 
今朝のラジオでも、戦争の対義語は平和ですか?、という話題が流れていて興味深く聞いた。
 
平和とは、物質的にも機会的にも満たされ、物を奪われる恐怖がないことで、人はその平和を守るという大義のもとに、戦争をしてきた。だから、戦争の対義語は平和ではなく、平和を守るというのは、戦争と近い言葉なのだという話だった。
 
確かに今隣でロケット弾を飛ばしている国の理屈は、自分たちの平和を守るために、他を暴力で威圧するという姿勢に他ならない。周辺からみたらまったく平和とかけ離れた行為である。
 
平和に対する言葉は暴力なのだそうだ。
 
暴力は武力だけに限らず、誹謗中傷、身近なところで言えば弱いものいじめなども含み、こういう暴力を減らしていくことが、平和に繋がると言っていた。
 
言葉を変えれば、足りるを知り貪らず、他を思いやる。道徳心(宗教心)を個々が高めていくことが、平和な社会への道なのかもしれない。
 
だが、人は欲と煩悩の塊だ。
奪い合い、憎しみ会い、殺しあう。悲しいことだが、これが人の本性のようにも思える。

平和な社会というのは、永遠の課題なのかもしれない。
 
============
<今日は何の日>
1707(宝永4)年の今日、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」で鳥や魚の食糧用飼育・売買を禁止しました。
 
この例に見るまでもなく、人の平和は、社会体制と個人の両面の問題がありそうですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする