早期退職し丸三年がたった。
いよいよ来春には、60歳を迎えることになる。
いよいよ来春には、60歳を迎えることになる。
ネクタイをぶら下げている仕事を辞めて、ぷーちゃんになって、一番の心配はお金の問題だが、今現在の先の展望はそれほど悲観的でもない。
楽観はできなけれど、健康で少し働ける日々があれば、無年金でもなんとかなるかな、という感じである。
今後は、カミさんが定年を迎える来年度を目途に、健康保険等の負担が増えるので、自分の”終活事業”としてもう少し働こうか、とは思っている。
でも、もうガツガツ働く気にはなれない。
この三年で想定外の出費だったのは、古くなった家の修繕費、過疎化・高齢化の農村での親族等の葬祭費だったが、どちらも将来の生活費とは別に基金的に積み立ててあったので、そこで対処できた。
ここは、これからおそらく足らなくなり、生活費部分からの持ち出しになりそうにも思う。
ここは、これからおそらく足らなくなり、生活費部分からの持ち出しになりそうにも思う。
三年前、早期退職という自主的なリタイアをしたものの、当初は将来の不安が大きく、生活は”ケチな生活”であった。
その後、自分本来の時間を取り戻すと共に、”質素な生活”ができるようになった。
ケチも質素も外形上は似たようなものだが、”気持ちが貧乏”な節約(ケチな生活)と必要な物を最低限使っていこうとする質素な生活では、同じ節約でも、気持ちの上では随分違うということが解ってきた。
日日是好日。
今あるものにしっかり目を向け、物を大切にし生きる。
今あるものにしっかり目を向け、物を大切にし生きる。
そうすると、今まで無駄にしていたたくさんのことが見えてきて、この三年間、捨てた衣料はあるが、ほとんど買っていないし、食べるものもコンビニで買わなくても、気が付けば身近にたくさんあった。
四季の移ろい、四季の花々。
長い間一人ぼっちで留守番をしてくれていたワンコ先生もそこにいた。
長い間忘れていたけれど、身近にも、心を和ませてくれるものがたくさんあった。
欲しいモノを我慢して、というのが貧乏節約の意識だが、最近はそんな思いは全くない。
欲しいモノがあればそれに向けて節約し実行するし、できることは自分で勉強し作る楽しさも覚えてきた。
家庭の事情や健康上の不安もあり選択した早期退職だが、人生最高の三年間を過ごせたと思っている。
Eテレの100分で名著『正法眼蔵』をきっかけに、わが家の宗派、曹洞宗の修証義というお経に出会えたことも、とても心の支えになっている。
神様仏様の存在はいまだによくわからないが、人の生きる道としての仏教は抵抗なく受け入れられるようになった。
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<今日は何の日>
<今日は何の日>
今日は、衣替えです。
エアコンなどが普及し、季節感がなくなっていますが、こんな節目を私的に大事にしたいなぁと感じます。
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