新聞の読者投稿欄をながめていたら、『夫源病』という言葉が目に留まりました。
定年したおやじが原因で、カミさんが体調不良になってしまうという現象が巷に多発しているらしい。
思わず、さもあらん、と苦笑いです。
あたしとカミさんは、同じ学年。定年を迎えたその日以降の状況を想像すると、記事になっていた『夫(婦)源病』そのものだと思います。
共働きは、ダブルインカムの優位はありますが、うちの場合、同じ時に勤務先がなくなり、同時に、会社モードで角突き合わせて、あんたが悪い、と批判しあう。想像もしたくもない。
母の介護をする中で、掃除、洗濯、食事等、主婦的なことは何もできない自分に気付きました。
母が亡くなり相続等の整理ができたときに、次はいよいよ自分(カミさん)の番だと思いました。
いずれはどちらかひとり残る時間があって、終わる。お互い、生活者として自立していなくては。
この『夫(婦)源病』的な要因は、早期退職に踏み切ったトリガーになったかな、と今になって思います。
自由人になってみると、おれはやってる、と思っていた主夫的な仕事も何もできない自分に気付きました。
若いころは、一心同体のように思っていても、家で会う時間は一日数時間。職場いる時間は10時間以上。そんな生活が40年近く続いたら、家族を思う一心は同じであっても、なかなか同体にはならないですね。
難しい!
毎度毎度です。(*^_^*)
ここ数年で パタパタと父母を亡くし、これからは、私たちが一番上の世代になったことを思いました。
「いずれか どちらか一人残る時間」ですか。。。
私も すでに思うこともあります。(深刻では、ありませんが。)
「家で会う時間は一日数時間」って本当です。
娘も中学生になり、一層です。
だからこそ、家族揃って、我が家では ワンコも揃って(*^_^*)の時間は 幸せを感じます。
同じ景色を見ている幸せを感じています。
余談ですが、我が家?は さだまさしさんの「関白宣言」とは逆!
「私の後に。。。」と夫に頼んでます。
昨日は、春嵐再来で大荒れでしたが、一転して今朝は気温もたかく、初夏のようです。
室内気温は、27度もあります。
”一人になる時間”ですが、実際のところは、どうなるか予想もつきませんね。
でも、子供たちが近くにいてくれ時間を共有してくれるかもしれない。他人でも、意外な人が心の支えになってくれるかもしれない。
わからない先を考えても仕方がありませんが、いまできることは、もっと高齢になったろき、気持ちの上でも、生活力の上でも、自立している、自然にできている状態を身につけるよう、生活していくことだと思っています。
炊事も掃除・洗濯も、ご近所付き合いも、ほんらい自分のことなんだから、自分でやるのが当たり前と思っていれば、動くのも苦になりません。カミさんがやってくれた時などは、感謝の気持ちになります。