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バイオリニスト 若林暢さん “魂の音色”

2017-09-18 05:45:00 | 報道/ニュース

8月28日 おはよう日本


協会に流れるバイオリンの音色。
しかしステージにはスピーカーだけ。
演奏する人の姿はない。
この演奏をしたのは若林暢さん(享年58)。
乳がんを患い
去年58歳でこの世を去った。
両親の介護
自らの癌との闘い。
波乱万丈の人生を生き抜いたバイオリニストである。
コンサートには若林さんと親交のあったさだまさしさんも駆け付けた。
(シンガーソングライター さだまさしさん)
「新進気鋭のバイオリニストがさまざまな苦労をしながら人生を生きて
 そういう人が残した音楽は必ず何か尊いものが残っていると信じている。」
生前著名になることはなかった若林さん。
しかし亡くなって1年が経った今
演奏を復刻したCDが発売されクラシック部門で1位を獲得。
無名の演奏家が亡くなった後に注目を集めるのは極めて異例だという。
「胸に語りかけてくる。
 すごくうっとりする音色。」
「大げさだけれど
 自分に魂があるとすればそれをつかまれて揺さぶりやまぬ感じ。」
なぜ若林さんの演奏が人々をひきつけるのか。

4歳からバイオリンを始めた若林暢さん。
東京藝術大学大学院を出てアメリカの名門ジュリアード音楽院で学んだ。
世界的なコンクールで優勝や入賞を果たし
多彩な音色とスケールの大きな演奏が海外で高い評価を得た。
若林さんのことを古くから知る東京藝術大学学長の澤和樹さん。
若林さんと同じ師匠のもとで学び
20年わたり演奏をともにしてきた。
専門家や演奏仲間から一目置かれる存在だった若林さん。
しかしオーケストラや音楽事務所に所属することなく
ただ作曲家の思いを深く読み取り演奏することを喜びにしていたという。
(東京藝術大学学長 澤和樹さん)
「名誉欲は感じたことがない。
 作曲家が目指したところを追求しようという
 演奏家としてすごく真摯な気持ちが源にあって
 それでいて彼女ならではの個性を感じさせる音作りをしていた。」 
“知る人ぞ知る名バイオリニスト”と言われた若林さん。
しかし彼女を待ち受けていたのは純粋に音楽だけに向き合える暮らしではなかった。
2度の離婚を経験し両親と3人で暮らしていた若林さん。
ところが母親は難病を患い車いす生活になり
父親は癌に倒れる。
若林さんの音楽仲間の橋本真知子さん。
「最愛の両輪を支えたい」と家庭内介護をする若林さんを間近で見てきた。
練習や演奏会が終わるとすぐ家に帰り
両親の食事や入浴の介助を続けるなど体を酷使し
腰を痛めたり指を腫らしたりすることもあったという。
(チェンバリスト 橋本麻智子さん)
「本当にきりがないほどの雑用と心配事が現実にあったと思う。
 その中であれだけちゃんとした演奏活動を並行してやっていくのは人間業では限界があるので
 本当にギリギリのところで何もかもやっていたと思う。」
10歳のころから若林さんに指示してきたバイオリニストの根来由実さん。
若林さんは弟子に自分の置かれた境遇をほとんど語らなかったが
心のうちを垣間見るような言葉を口にしていたという。
(バイオリニスト 根来由実さん)
「“音楽は悲しみから生まれた”というのは独り言のように言っていた。
 すごくつらいとき悲しいときに人間はばく大なエネルギーを生む。
 そうやって絞り出したものに本当の美しさがつまっていることがある。」
3年前さらに若林さん自身を病が襲う。
乳がんと診断された。
介護していた両親に病気のことは告げず手術を受けた。
(当時若林さんが綴った日記)
とにかく生きて弾かねば!!
しかし思いとは裏腹に
1年後癌は肝臓に転移。
余命3か月と宣告された。
それでも若林さんはバイオリンへの情熱を燃やし続けた。
去年2月
最後となる演奏に臨んだ。
友人の橋本さんが企画したチャリティーコンサートだった。
抗がん剤の副作用に苦しみ
医師からは「演奏は無理だ」と止められていた若林さん。
観客にもそして共演者にも病気のことはふせてステージに立った。
曲は若林さんが好きだった作曲家ブラームスの作品「ピアノ四重奏曲 第1番」。
(チェンバリスト 橋本麻智子さん)
「とても生き生きしていたし
 自分の命を紡いで紡いで到達する純度の高い演奏。
 ここに立つために大変なことを乗り越えてこのステージに立っているか。
 すべてを喜びに変えて輝いていることに尊さを感じた。」
力強い最終楽章
最後の一音まで弾ききった。
コンサートの4か月後
平成28年6月8日 若林さんは静かに息を引きとった。
全身全霊でバイオリンと生きた若林暢さん。
その演奏が聴く人の心を動かすのは
哀しみも喜びもすべてが音楽に込められているからなのかもしれない。

若林さんは若手の育成にも熱心に取り組んでいた。
そうした思いを受け継いだ音楽仲間たちがいま「若林暢音楽財団」を運営し
若手音楽家の育成や
地方の子どもたちにクラシックを届ける活動を始めている。
CDの売り上げの一部はこうした財団の活動に使われる。




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