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世界を魅了するピアニスト フジコ・ヘミングさん

2018-07-09 07:00:00 | 報道/ニュース

6月15日 おはよう日本


世界を魅了してきたピアニストのドキュメンタリー映画が日本で公開。
「フジコ・ヘミングの時間」。
ピアニスト フジコ・ヘミングさん。
60代で注目されプロになった異例の遅咲きのピアニストである。
80代になった今も世界で活躍を続けている。
人生を投影したような深みのある演奏。
映画では
その音色が生み出されるまでの苦難に満ちた歩み
つらぬかれてきた生きざまが描かれている。

“数奇な運命をたどったピアニスト”
そう呼ばれるフジコ・ヘミングさん
(フジコ・ヘミングさん)
「“雨降って地固まる”と言う。
 何も雨が降らなかったらばさばさの土かもしれない。
 そういうのを乗り越えなくてはならないんじゃない。
 人生というのは。」
スウェーデン人の父と日本人の母の間にドイツで生まれたフジコさん。
5歳で東京に移り住んだが
父親は日本を去り
母子家庭の中でピアノ教師の母から厳しく弾き方の手ほどきを受ける。
戦後の暮らしの中でピアノで身を立てようと練習に打ち込み
東京藝術大学(旧東京音楽学校)に入学した。
ところがプロを目指して学んでいた矢先に
若くして病気で聴力を失ってしまった。
治療を受けたが右耳は聴こえないまま。
「絶望した。
 どうしようかと思った。」
治療を受けたが右耳は聴こえないまま。
左耳の聴力も40%しか回復せず
プロへの道は立たれてしまった。
それでも自分にはピアノしかない。
フジコさんはピアノを教えて暮らしを立てながら
長年注目されることなくひとり弾き続けてきたのである。
「ピアノは私の一部のようなもの。
 やめられなかった。」
転機が訪れたのは60代になってから。
フジコさんの演奏と波乱に満ちた人生がテレビを通して多くの人に知られるようになった。
コンサートのチケットは即日完売。
苦しみを乗り越えて奏でる音楽が人々の心に響いた。
それからおよそ20年。
映画では多くの苦難を乗り越えてきたフジコさんの素顔が描かれている。
映画の中にたびたび登場するのがフジコさんが子どものころに描いた絵日記である。
戦後の東京でおなかをすかせて配給を受けたことなど
当時の厳しい暮らしが垣間見える。
しかしフジコさんが多く描いたのは目にした美しいものや楽しいもの。
どんな環境にあっても自分なりの楽しみを見つけ心を豊かに暮らしていたのである。
自分を決して哀れまない。
目の前にある幸せを見つめ楽しんで生きる。
今も変わらないフジコさんの生き方である。
「パリでも毎日のように犬を連れて
 コーヒー屋の外の座るところに座って
 ずっと人を観察するのがすごく楽しい。
 おしゃれな人がいっぱい通るのを見るのが好き。」
6月 東京で演奏を披露したフジコさん。
奏でたのはフジコさんのテーマ曲「ラ・カンパネラ」(作曲:リスト)。
イタリア語で「鐘」を意味する。
波乱に満ちた人生に響く美しい鐘の音。
人々の心に響くようにとフジコさんは奏で続ける。
「まだ弾かないとなって。
 どん底からてっぺんまで経験した。
 ずいぶんおもしろい人生だと思う。
 ますます最近私はうまくなってきたと思う。
 昔よりわかってきたから。
 自分がやっていることが確かだと分かってきた。」
フジコさんはいまも毎日4時間ピアノに向かっている。


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