8月26日 経済フロントライン
8月
クラウドファンディングの運営会社がイベントを開催した。
この1年でもっともお金を集め表彰されたのは“折り畳める電動バイク”。
受賞したのは和歌山のベンチャー企業。
1,100人余から1億2500万円超を調達した。
開発した“折り畳める電動バイク”は持ち運びが可能である。
見た目は自転車のようだがモーターで走る。
バッテリーが切れたときはペダルをこいで自転車のように乗ることもできる。
この会社の従業員は30人。
自動車やバイクなどの部品を製造しインターネットで販売している。
社長の鳴海禎造さん(36)。
2年前から開発を始めたが量産化には大きな課題があった。
部品の購入資金や工場に生産を委託する資金を調達するのが難しかったのである。
(ファイントレーディングジャパン社長 鳴海禎造さん)
「アクセル全開にできない踏み切れない。
いろんな議論をテーブルに上げてやっていた中で
クラウドファンディングが一番量産に近いことができる。」
サイトに掲載された電動バイク。
出資者は製品化されればいち早く手に入れることができる。
その結果わずか3時間で目標金額の300万円が集まった。
都内に住む樋口健夫さん。
学生のころからバイクや自転車が大好きだった樋口さん。
サイトで見つけすぐに出資を決めたという。
(電動バイクに出資した樋口健夫さん)
「一発で決めました。
自分で乗る気で一番高いやつにしました。」
樋口さんは12万7500円を出資。
製品を手に入れる権利を得た。
(樋口健夫さん)
「このバイクと青春18きっぷがあれば最高の旅行ができる。」
この電動バイクは現時点で目標の40倍以上1億2500万円が集まっている。
1,000台が生産される予定である。
(ファイントレーディングジャパン社長 鳴海禎造さん)
「クラウドファンディングがなければ
ここまで多くの人に知ってもらえることや話題にしてもらうことはなかった。
出資してくれた多くの人がいて
そういう人たちに後押ししてもらった。」
クラウドファンディングの会社が開催したイベント。
ベンチャー企業の経営者など500人以上が集まり
開発に成功した製品や資金調達中のプロジェクトが披露された。
ビールの原料 ホップを詰めたティーバッグはすでに90万円を集めている。
「これをグラスに中に入れて発泡酒やビールを入れると
クラフトビールに近づく商品。」
極薄ながらも丈夫な名刺入れは220万円以上を集め製品化が決まっている。
(サイバーエージェント・クラウドファンディング社長 中山亮太郎さん)
「僕らもどのくらい大きくなるか読み切れないほど大きな仕組みになる。
クラウドファンディングと言われないくらい当たり前のインフラになっていく。」
8月25日 おはよう日本
核兵器の保有や持ち込みを禁止する非核政策を掲げるニュージーランド。
自国に近い南太平洋でフランスが行ってきた核実験への反発をきっかけに
国を挙げて“核兵器の廃絶”訴えてきた。
非核の取り組みは子どものうちから始まっている。
最大都市オークランドの学校。
広島の被爆者が招かれ体験を語った。
(広島で被爆した男性)
「突然みなの人生が悲惨なものになった。
どうか皆さんの子どもや孫にも話をしていってください。」
ヤズミン・クレメンツさん(15)。
初めて直に聞いた被爆者の体験に心を揺さぶられた。
(ヤズミン・クレメンツさん)
「実際に起きたことや今も続く影響を知ることができました。
心からの取り組みをしていきたいと思いました。」
クレメンツさんは8月
さらに一歩進んだ授業に出席した。
“核”をテーマにした生徒同士の討論会である。
進行役の教師が“核兵器が倫理的に認められるか”など
さまざまな側面から核兵器について考えさせる。
(生徒)
「あまりにも多くの人が死ぬことになる。
世界に核兵器が存在する価値なんてない。」
「ISのようなテロ集団が核兵器を持ってしまえば
今以上の破壊をもたらすことになる。」
なかには核の必要性を主張する意見もあった。
(生徒)
「核兵器によって戦争の激化を防げるから
いいことも考えられる。」
これに対しクレメンツさんは反論する。
(ヤズミン・クレメンツさん)
「核兵器を持てば戦争を防げるかもしれないが
長く持つほど核戦争が起きる可能性も高まる。」
約1時間にわたった討論会。
結論を出すことよりも異なる意見に触れることで
核廃絶を進める難しさや実現への道筋について
考えを深めてもらう狙いがあると言う。
(進行役の教師)
「生徒それぞれ意見はあるが
核兵器がもたらす結果を知り
非核政策を守っていってほしい。」
(ヤズミン・クレメンツさん)
「みんなの意見を聞いて
核廃絶の捉え方についても考えさせられました。
私たち若い世代が一緒になって核廃絶を進めていきたいです。」
非核政策を守り
核の無い世界を実現したい。
ニュージーランドの人々の願い次の世代へと引き継がれている。
8月26日 おはよう日本
フランスではいま
映画が誕生した当時のように
ピアノの即興演奏をつけて静かにサイレント映画を上映する動きが広がっている。
ブルゴーニュワインの中心地 ボーヌ。
8月に3週間にわたって「ボーヌ・サイレント映画祭」が開かれた。
上映された約20本の作品はすべてサイレント映画。
100年ほど前に作られたセリフのない作品である。
音のない世界に色どりを添えているのがピアニストによる即興演奏である。
リズムやメロディーに変化をつけながら映画の世界観を表現していく。
19世紀の終わり
フランスで映画の起源とされる「シネマトグラフ」が発明された。
音楽やせりふが付けられなかったこの時代
画面に合わせて多彩な音色を奏でるピアノの即興演奏は人気を博し
ヨーロッパ中で広がったのである。
フランスでは
ピアノの即興演奏をつけた当時の上映スタイルに脚光を当てようという動きが広がり
今ではこうした映画祭が全国各地で開かれるようになっている。
この即興演奏でいま注目されている日本人ピアニストがいる。
星野紗月さん(25)である。
星野さんは東京の音楽大学でクラシックピアノを学んだ後
楽譜にとらわれない自由な演奏の世界に魅せられて
おととし単身フランスに渡った。
名門パリ国立高等音楽院のピアノ即興科に首席で入学。
フランス国内の映画祭にもたびたび出演している。
(星野紗月さん)
「即興演奏は今までやったことがなかったのですが
逆にそれが気になって
現代を生きる私たちが今のスタイルで音楽をつけていくギャップが魅力ですね。」
星野さんは約40年のキャリアを持つピアノ即興の第一人者からレッスンを受けている。
クラシックとは異なり
サイレント映画での即興演奏には
映像を引き立てる工夫が必要である。
メロディーをていねいにつけようとする星野さん。
しかしむしろメロディーが妨げになることもあると指摘された。
「あなたは常に演奏しているのでもっと間を入れるべきです。」
(パリ国立高等音楽院 教授)
「彼女には舞台に上がると誰もが聞き入ってしまうカリスマ性があります。
今後は彼女自身が自分の世界をさらに広げていく必要があります。」
星野さんはピアノを離れても感性を磨くことを意識している。
演奏する予定のサイレンと映画を見ながら
映像から思い浮かんだメロディーやアイデアを書き取り
作品のイメージを膨らませる。
(星野紗月さん)
「後ろのピラミッドも見えますし
音楽を変えるときにエジプトの音楽のように。」
「例えば客がすごくのめり込んでいたらむしろ音数を少なくして
逆に客が少し退屈そうだと思ったら音楽を盛り上げていくとか。
同じシーンでも同じ緊張感でも
客の反応によって変えたりするので
このメモを書いている時点では予測はつかないです。」
この夏
星野さんに大きなチャンスが訪れた。
世界のサイレント映画を上映するフェスティバルでの演奏である。
演奏するのは小津安二郎監督の戦前の名作
「大人の見る絵本 生まれてはみたけれど」(1932年)。
上司にへつらうサラリーマンの父親とそれに反発する子どもたちとの関係が
ユーモラスに描かれている。
映画の最終盤
反発をしていた2人の息子が父親の愛情を理解し仲直りする場面。
星野さんはふと頭に浮かんだあるメロディーを弾き始めた。
動揺「七つの子」。
カラスの親が子へ注ぐ深い愛情を表現したメロディーである。
日本映画の巨匠による世界観と
日本の童謡を生かした音楽が調和し
観客の心をつかんだ。
(観客)
「本当にすばらしい演奏でした。
シーンに合わせてうまく弾き分けていましたね。」
「彼女の音楽があることによって映画の質が高められています。
つまり小津監督の映像に
さらに深い意味を与えてくれたのです。」
(星野紗月さん)
「自分のアイデアとの勝負というのがあって
即興演奏の部隊があればあるほど
どんどんアイデアが増えていく気がするんですね。
新しいものを見つけ出したり
真剣勝負ですね。」
音のない映画の世界に色どりを添える即興演奏。
若き日本人ピアニストの豊かな音色が
古き良き文化に新たな光を与えている。
フランス政府は
サイレント映画にピアノの即興演奏をつけて鑑賞する当時のスタイルを
ひとつの文化遺産ととらえ
後世に残していきたいということである。
8月24日 キャッチ!
ウラジオストクは
ソビエト時代
海軍の拠点として外国人の立ち入りは禁止された閉鎖都市だった。
しかし戦前は日本からウラジオストク経由でシベリア鉄道に乗ってヨーロッパに向かったように
ウラジオストクはユーラシア大陸の玄関口として栄えていた。
このかつての勢いを取り戻そうと
ロシア政府は約2兆円を投資してインフラ整備や観光開発を進め
数年前からウラジオストクを訪れる日本人も急増している。
ロシア極東の中心都市ウラジオストク。
石造りの建物が並ぶ美しい町並みにヨーロッパの風を感じることができる。
今年の夏は多くの日本人観光客が訪れた。
その数は過去10年で最高の数万人にのぼる見通しである。
(観光客)
「古い街というイメージがあったが
部屋とか建物がすごくきれい。」
政府主導で一大観光都市を目指した開発が進められ
近年カジノや水族館などの観光施設も整備されている。
去年は新たなバレエとオペラの専用劇場のマリインスキー劇場がオープン。
本場ロシアのバレエを堪能することができる。
日本人観光客急増のきっかけとなったのが去年5月に行われた日ロ首脳会談である。
安倍総理大臣は
北方領土問題の解決に向けて環境整備を図るために8項目の協力プランを提案。
その1つが“人的交流の促進”で
日本政府は日本の旅行会社に極東ツアーの開発を促した。
ウラジオストクの旅は見て歩きだけではない。
ロシアの日常生活も体験できる。
観光客が訪れたのはロシア人の一般家庭。
地元の人たちとボルシチなどの家庭料理を楽しみながら交流できる。
ロシアを身近に感じることができるとしてこうした体験型ツアーも人気である。
(ツアー参加者)
「ロシアの女性とても美しくクールビューティーというイメージだったが
すごくにこやかであたたかくてすばらしいと思った。」
(家庭体験ツアー ナゴルナヤさん)
「日本人観光客が一般的な家庭を訪問すれば
ロシアをもっと深く楽しむことができると思う。」
ロシア政府は日本人を対象に新たな制度を始めている。
これまではロシアのビザを取得する際には煩雑な手続きが必要だったが
今回の規制緩和で大幅に簡略化された。
滞在先はウラジオストクだけ。
期間は8日までだが
事前にホームページで申請するだけで電子ビザが取得できるようになった。
ロシアの当局者は日本人観光客の増加に期待を寄せている。
(ロシア運輸省 フルシチョフ氏)
「日本人が美しく広大なこの地を訪れることは格段に手軽になるでしょう。」
“ウラジオストクの発展”を象徴する黄金橋。
2012年のAPEC開催に合わせ約600億円を投じて建設された。
一方同時に完成する予定だったホテルは
地元政府系企業が約70億円の予算で着工したものの
今もオープンできておらず
“計画が実現しないロシア”の象徴となっている。
その大きな原因の1つが原油価格の低迷による減収である。
政府の開発予算の縮小が余儀なくされるなか
優遇税制などの規制緩和により外資を誘致しようとしているが
これまで外資により建設されたホテルは郊外にわずか1軒のみ。
日本人など観光客の増加に対応しきれていないのが現状である。
こうした政府主導の開発が進まないなか
民間企業の新たなアイデアが注目を集めている。
(ホテル経営 カルポフさん)
「これが我々のカプセルです。
カードをかざせばロックが開きます。」
市内でホテルを経営するカルポフさんは
日本のカプセルホテルが清潔で合理的しかも安い宿泊料金が人気なことを知り
カプセルホテルを新たに経営することを決めた。
工事費用は約1,600万円。
構想から約1年という異例の速さでオープンさせた。
30ある部屋はオープン以来連日ほぼ満室だと言う。
1泊あたり約3,000円ほどの宿泊料はウラジオストクの平均価格の3分の1で
日本人観光客からの評価も上々である。
(観光客)
「都市部に近く値段もリーズナブルだったので。
清潔感もありますしきれいですね。」
カルポフさんは政府の規制緩和をチャンスととらえている。
(ホテル経営 カルポフさん)
「日本の観光客は高いレベルのサービスに慣れていると思いますが
自信はあります。
私は宿泊した日本人全員が満足し
さらに多くの人がいてくれると願っています。」
9月4日 編集手帳
昭和天皇の五女、
清宮(すがのみや)さまは1959年3月に20歳を迎えた。
島津貴子さんである。
長兄の今の陛下の結婚が翌月に控えていた。
成人の記者会見で質問が出た。
今度は宮さまの番ですね。
「私が選んだ人を見ていただきます」。
ご自分で選ばれるのですね。
「もちろん」。
場は驚きに包まれたのだろう。
一問一答を報じた本紙の記事は(平然としておっしゃる)と、
括弧書きでその様子まで伝えている。
国民は新しい時代の風を島津さんの発言に感じた。
半世紀余りを経て、
秋篠宮家の長女眞子さまが、
大学時代の同級生の小室圭さんと婚約内定の記者会見に臨まれた。
「最初にひかれたのは太陽のような明るい笑顔であったと思います」
「将来を考えている方として両親に紹介致しました」。
会見でのお答えは、
まさにご自分でお相手を決められた経緯を物語る。
驚いた人はいまい。
誰もが自然な気持ちでつつがなき今後をお祈りしたことだろう。
括弧書きで様子を伝えるなら、
やはり(自然に)の表現がふさわしい。
「平然」と「自然」の間に皇室観や結婚観の変化がある。
成熟した時代の風を感じた方もあろう。
9月2日 編集手帳
武田信玄の重臣が筆録したとされる『甲陽軍鑑』に、
国を滅ぼす大将の特徴が4点記されている。
<愚か><臆病>の他、
<強すぎる><利口すぎる>も当てはまるという。
強すぎる大将は知恵に優れるが、
気性が激しい。
常に強気に出るので忠臣を討ち死にに追いやり、
周りは<猿のごとくなる侍>ばかりになる。
例として武田勝頼を挙げた。
利口すぎる大将にはうぬぼれがある。
何事も自分の才覚頼みで家臣に疑心を抱き、
のっぴきならぬ対立を招く。
指導者には、
バランスの取れた資質が肝心だということなのだろう。
この人も、
大将として失敗した過去を持つ。
民進党の前原誠司新代表である。
優秀さは誰もが認めていたのに、
稚拙な運営で民主党代表を追われた。
前原氏は「失敗したからこそ、その痛みや怖さが分かる」と強調する。
党存亡の危機にひんしているだけに、
有言実行が問われよう。
<下々の批判よくよく聞き届け、
縦(たと)いいかように腹立ち候とも、
堪忍あり>。
こんな一文も『甲陽軍鑑』の中にある。
まずは辛抱強く、
「寄り合い所帯」と呼ばれる党内と向き合うことから始めてはどうだろう。
7月23日 国際報道2017
去年11月
南米コロンビアの山岳地帯で旅客機が墜落した事故。
乗っていたのはブラジルのプロサッカーチーム シャペコエンセの選手やスタッフたち。
南米のクラブチームが争う大会の決勝に向かうなか起きた悲劇だった。
決勝の相手はタイトルを譲り
8月
南米と日本のクラブチームの王者が争う試合にシャペコエンセは臨んだ。
去年11月
ブラジルの南部の町シャペコは熱気に包まれていた。
強豪クラブを次々と撃破していくシャペコエンセが
南米のクラブチームのタイトルに手が届こうとしていたのである。
快進撃を支えていたのはチームの1つの哲学だった。
それは“献身”。
「運などない。
あるのは仕事だ。
誠実さ 信頼 努力 日々の精進だ。」
最後まで誰ひとりとしてあきらめずボールを追い続ける。
そして献身的な守備を武器にシャペコエンセは駆け上がってきた。
「いよいよ決勝だ!」
「決勝だ!」
そしてクラブ創設以来最高の瞬間を迎えようとしていたとき
大会の決勝の地に向かう途中
選手や関係者など81人を乗せた旅客機が墜落。
搭乗していた22人の選手のうち19人
監督やクラブの会長も含めて71人が命を落とした。
悲劇の直後
ゼロからのチームの再建が始まった。
チームに新たに加わったのは32人。
その中心はかつてシャペコエンセに所属していたことのある選手たちである。
キャプテンを務めるのは守備のかなめグローリ選手。
下部組織で育ち
チーム哲学の“献身的なプレー”を受け継ぐ選手である。
(キャプテン グローリ選手)
「亡くなった多くの先輩のおかげで私はプロになれた。
彼らの代役を務め
遺志を引き継ぎたい。」
1月から始まった新生シャペコエンセの戦い。
しかし突貫で作られたチームはなかなか歯車がかみ合わない。
(観客)
「ちゃんとマークしろよ!」
シーズン終盤
ブラジル1部リーグでは降格を危ぶまれる17位と低迷。
“亡くなった選手のために戦え”。
悲劇の影がつきまとっていた。
8月12日
そんななか迎えた日本での1戦。
亡くなった選手が残してくれた
日本のクラブチームの王者と戦う国際試合である。
きびしい現状を打開しチームを再生させたい。
亡くなった選手への思いを胸に
献身的なプレーに徹することを誓っていた。
(キャプテン グローリ選手)
「みんなチームの再生に執念を燃やしている。
この試合は亡くなった選手たちに敬意を表す絶好の機会だ。」
Jリーグカップ王者 浦和レッズとの1戦。
全員が体を張ってゴールを守り続ける。
そして後半の怒涛の攻撃。
かつてチームに所属sていたアポジ選手が
何度も何度も右サイドを駆け上がりクロスを上げ続けた。
0対0で迎えた試合終了間際。
キャプテン グローリ選手の必死の守備がファールに。
試合は0対1で敗戦。
最後の最後で力尽きた。
そのとき
浦和レッズのサポーターが観客席をシャペコエンセのチームカラーの緑に染めた。
横断幕には
“また世界の舞台で戦おう 友よ”。
倒されても前を向き
戦い続ける。
チーム シャペコエンセの魂を引き継いだ選手たちの姿があった。
(キャプテン グローリ選手)
「頭をあげて
日本の人々に感謝したい。
きょうは限界ギリギリまで献身するチームのスタイルを貫けた。
その魂を遺産として受け継いでいけると確信できた。」
8月23日 国際報道2017
安定した経済成長を続けるシンガポール。
女性の社会進出に伴い
産後の女性たちの間で需要が広がっているサービスがある。
3か月前に2人目の子どもを出産した女性が利用していた宅配サービス。
配達されていたのは薬膳料理。
人口の大半を占める中国系の各家庭で
昔から産後の1か月間
母親のために用意されてきた料理である。
しかし核家族化が進み家事や育児など産後の負担が増加。
自身の栄養にまで気を配れないなか宅配料理が人気を集めている。
(サービス利用者)
「育児があるので自分の食事にまで気を遣えません。
このサービスは必要な栄養がとれて助かります。」
女性が利用する宅配サービスを行っているのが産婦人科病院。
産後の母親の回復を助ける料理を提供しようと
6年前に宅配サービスを始めた。
需要の拡大を受けて
7月に新たに取り入れたのが栄養価の高い日本のコメである。
(産婦人科病院 担当者 メガ・シュエンさん)
「食物繊維が多く炭水化物が少ないので
このコメは私たちの求めに合致しています。」
販売開始から1か月で評判は上々。
特に玄米が人気だという。
コメを納入している日本の企業も
宅配サービスは共働き世代を中心にさらに支持を集めると見て
シンガポールでの販売拡大に期待をしている。
(日本企業 担当者 山脇千加子さん)
「主産した母親が仕事に戻りやすいというサポートのひとつだと思うので
期待値は十分にありますし
売り上げはどんどん伸びていくだろうと予想しています。」
シンガポールでは昔ながらの産後の手助けもビジネスとして成長を見せている。
2年前にナニーの研修所を設立したのはシンガポールの会社。
英語でナニー(乳母)と呼ばれる中国系マレーシア人の女性たちを指導している。
彼女たちは研修後シンガポールの家庭に派遣され
生後間もない赤ちゃんの育児や家事を担当する。
この会社の顧客の多くはシンガポールに進出する外国企業の駐在員。
シンガポールに住む外国人は人口の3人に1人にのぼり
ナニーの需要が増えているという。
1か月あたりの利用者は立ち上げ当初と比べ11倍になった。
(ナニー派遣会社 アレン・センさん)
「想定より外国人の利用が伸びています。
産後の手伝いに親を呼び寄せづらい高所得者が多いのです。」
この会社では
海外の在住経験があり英語や日本語など外国語が出来る人を積極的に採用している。
(研修を受けたナニー)
「日本人の岡さんがシンガポールに来て
生まれてくる子どもを私がちゃんとすべて面倒を見ます。」
ナニーの派遣サービスを利用している藤田さん夫婦。
外資系企業の駐在員として働く夫の大介さんにともなって妻の満惠さんもシンガポールに移住。
7月に現地で長女措出産した。
派遣されたナニーは育児を24時間で対応。
食事の際にはショウガやニンニクなどを使った免疫力を高める料理を見栄さんに出してくれる。
さらに3人の子育て経験を生かした子育てのノウハウも藤田さんに伝授。
夫の大介さんは出張で家を留守にすることが多く
慣れない海外での初出産に不安があったという満惠さん。
費用は日本円で1か月24万円だが
サービスを利用することで心配が解消され
産後の体を休めることができると言う。
(ナニー利用者 藤田満惠さん)
「何かがもし起きたときに心配なこととか
夫が出張でシンガポールにいないということもあるので
24時間ナニーにいてもらえるとありがたい。」
8月22日 国際報道2017
8月7日にボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたち。
10人の子どもたちはイスラム系やクロアチア系など宗教や民族が異なる。
初めて訪れた東洋の国に興味津々である。
「すばらしい。
歴史のある文化の国ですね。」
「きれいでした。
素晴らしい伝統です。」
子どもたちのふるさとはボスニア南部の町モスタル。
町の西側には主にキリスト教徒のクロアチア系
世界遺産の橋をはさんで
東側にはイスラム系の住人がそれぞれ暮らしている。
内戦で民族同士が対立し
町の象徴だった橋は破壊されてしまった。
内戦終結から20人以上がたち
橋は修復されたが
それぞれの民族が生活する地域は分断されたままで融和が進んでいないのが実情である。
こうした状況を変えようと日本からの支援を受けてできたのがスポーツ・アカデミーである。
異なる民族の子どもが一緒にスポーツを楽しむことで垣根を乗り越えて欲しいという願いが込められている。
この活動のプロジェクト・マネージャーを務めるジェナン・シュータさん。
分断を解消するには幼いころから異文化を認める経験が必要だと考えている。
(プロジェクト・マネージャー ジェナン・シュータさん)
「私たちは同じ世界に住んでいます。
子どもたちは異なる文化や伝統
違う民族を受け入れ
尊敬しなくてはなりません。」
ヨーロッパから遠く離れた日本をたずね未知の文化を体験することにした。
この日は日本の子どもたちとサッカーで交流。
参加者の1人でイスラム系のヤスミン・シーリッチくん(10)。
もともとおとなしい性格でなかなか自分から声をかけられない。
しかしサッカーを通じて徐々に日本の子どもと打ち解けることができた。
(ヤスミン君)
「日本語を少し話して
日本の子は英語を話して
コミュニケーションがとれました。
友達もできて
勉強になりました。」
ボスニア出身でかつてモスタルのチームで活躍した
サッカー日本代表のハリルホジッチ監督も子どもたちを歓迎。
子どもたちは異文化の壁を乗り越えて活躍している地元の英雄の話に感銘した様子だった。
(サッカー日本代表 ハリルホジッチ監督)
「モスタルの街は分断されている。
そんな状況で共に暮らしているが
この子たちこそ可能性・チャンスそのものだ。」
そして日本の文化を体験することで子ども同士で絆を深める。
「箸の持ち方が君と違う気がする。」
「同じだよ。」
「君もこんなふうに動かせた?」
「同じ持ち方だよ。」
伝統の「だんじり祭り」を体験する博物館では
だんじりの上で軽快に舞うクロアチア系の女の子を見て
ヤスミン君はいつしか女の子と一緒に太鼓を叩いていた。
(ヤスミン君)
「モスタルにいるときより仲良くなれたから
日本に来てよかったよ。」
民族や言葉の違いを乗り越えて交流することの大切さに気づいた子どもたちの夏休み。
こうした経験を積み重ねることで
民族間の懸け橋になることが期待される。
8月22日 キャッチ!
イスラム教の発祥の地である中東のサウジアラビア。
世界各地から多くの巡礼者が訪れる聖地メッカなどがあり
イスラム教の教えが厳格に守られてきた。
首都リヤドやジッタなどの大都市でも映画館は1軒も見当たらない。
宗教界が映画館を“堕落”と表現しており
特に西洋で作られた映画を公の場で上映することが認められてこなかったためである。
また不特定多数の未婚の男女が建物の中で同席することがないサウジアラビアは
映画館の存在そのものがこれまで否定的に見られてきた。
しかし街なかには数は多くはないものの映画を販売するビデオ店を見かけることはある。
店内ではアメリカの映画など外国映画が数多く売られていた。
(ビデオ販売店 店員)
「アメリカ映画が売れます。
アクション映画が特に人気で
映画館がないので皆家で楽しんでいます。」
伝統的価値観が色濃く残っている社会でも
一般の人々の西洋の文化や映画への関心はますます高まっている。
サウジアラビアではこうした社会のニーズをくみ取ろうとする新たな動きが出始めている。
リヤドの中心街で映画の上映イベントが行われた。
若者たちに映画産業の魅力を紹介するのが狙いである。
会場では映画の撮影方法を学んだり
アニメーションの制作を体験するワークショップが開かれ
男女問わず多くの若者たちが参加していた。
(参加者)
「映画を将来作ってみたい。
いまこの国には新しい波が来ていると実感しているわ。」
映画産業を振興するするその新たな動きを仕掛けているのが
6月に正式に王位継承者となったムハンマド・ビン・サルマン皇太子である。
皇太子は一昨年より発言力を急速に強め
経済や軍事 外交といった政府の重要政策に関与してきた。
今回のイベント開催は国内で新たな産業の創出を目指すもので
ここ数年の原油価格の低迷を受けて
政府が石油に依存する経済からの脱却を図るために行われた。
皇太子が直轄する財団の今回のイベントを主催した担当者は
若者たちの高い関心に手ごたえを感じている。
(ミスク財団 ナダ・トゥジャリさん)
「若者たちが将来
映画やアニメの分野で活躍できるよう後押ししたい。」
こうした動きはサウジアラビアの社会にもう1つの大きな変化をもたらそうとしている。
それは女性の社会進出である。
サウジアラビアでは女性が車を運転することが禁止され
家庭によっては男性の許可がないと外出できないなど特別な状況に置かれているが
いま映画作りを通して社会に進出しようとする女性が出てきた。
大学3年生のヌーラ・ムワンナトさんとヌール・アミルさん。
2人は映画監督を目指し大学で映画制作を学んでいる。
彼女たちが製作した短編ドキュメンタリー映画「バス」。
女性専用の通学バスを利用する女子学生たちの日常をありのままに捉えている。
(短編ドキュメンタリー映画「バス」より)
「お菓子やコーヒーをもってきて
みんなで楽しく分け合うの。」
作品は学生たちが歌を口ずさむシーンなど
サウジアラビアの女性の何気ない日常を映し出している。
(映画「バス」監督 ムーラ・ムワンナトさん)
「私たちは苦しんでいるばかりでなく
厳しい中にも喜びを見つけています。」
ふだんカメラが入ること自体が難しい女性の生活空間に密着した作品とあって
注目を集めている。
2人が通う大学で行われた発表会では地元紙の記者や映画監督から高い評価を受けた。
(地元新聞記者)
「まるで自分がバスの後ろに座っていたかのように感じました。」
ただ国内での上映の機会は
映画祭や大学のイベントを除けばいまだに限られているのが現状である。
2人は今後映画の上映の機会が増えるだけでなく
大学卒業後に女性が映画製作の現場で働いていけるよう
社会が変化することを望んでいる。
(映画「バス」監督 ヌール・アミルさん)
「ドバイやベルリンなど大型の映画祭に出品して
これまで一般には知られていない状況を知ってもらいたい。
サウジアラビアにも映画は出来るわ。」
8月21日 首都娟ネットワーク
町が寝静まる午前2時。
築地市場でいち早く動き始める場所がある。
氷販(ひょうはん)と呼ばれる氷の販売所である。
集まってきたのはこれから魚を仕入れる築地の仲卸たち。
夏場に築地全体で使われる氷の量は1日100トンに及ぶ。
150年以上続く仲卸の5代目
門井直也さん。
魚の種類に合わせてどう氷を使うかが腕の見せ所だと言う。
(仲卸 5代目 門井直也さん)
「弱い魚はどうしても水に浮かす感じにしないとつぶれちゃう。
水を吸いやすいものは下氷の方がいい。」
たとえば高級魚のノドグロ。
皮が薄いので下に氷をひく下氷で冷やさないと水を吸って味が落ちてしまう。
一方
表面が傷つきやすい青魚は氷を入れた海水に浮かべる水氷で冷やす。
ここで登場するのがプロの技である。
(仲卸 5代目 門井直也さん)
「氷と一緒に入れたのは塩です。
あと愛情。」
入れる塩の量が多いほど水温を下げることができる。
門井さんはこの塩の量を魚によってほんの少し変えている。
兵庫県産とと北海道産の真イワシ。
塩の濃度はそれぞれ1,1%と1,5%。
北海道産の方の塩を増やしてより冷えるようにした。
(仲卸 5代目 門井直也さん)
「北海道産は身が少し水っぽい。
おなかが薄い感じで少しゆるめなのでぴしっと冷やす。
兵庫県産はきめが細かくてがっちりしているタイプ。
塩が濃すぎると凍ってきちゃう。」
実際に身を見ると
それぞれ確かに身の質が違う。
塩分の調整は自分の舌を頼りに行う。
仲卸歴30年の技である。
一方エビを扱う仲卸。
普段の水温はエビが好む20度ほどに設定している。
氷を使うのは出荷直前。
大量に入れて一気に10度まで冷やすのである。
(活魚・エビの仲卸 安田健二さん)
「温度が高いときにどうしてもエビが暴れちゃう。
なかなか箱におさまってくれない。」
暴れるのを防ぐことでエビの質も保つことができる。
(活魚・エビの仲卸 安田健二さん)
「うちでは冷やしてなるべく暴れさせない状態で
いい状態で
お客さんに提供することを心がけている。
氷は夏場なくてはならない存在。
これがないと致命傷。」
築地の暑い夏を支える冷たい氷。
そこには新鮮な魚介を届けるためのプロの技があった。
8月19日 おはよう日本
タイの首都バンコクで行われたオークション。
現地の人たちの熱い視線の先には日本のニシキゴイ。
この日の最高額は日本円で45万円。
実にタイの平均的な初任給の1年分にもなる。
経済成長が続く東南アジア。
所得が伸びるなか富裕層の間でニシキゴイを飼う人たちが増えているという。
オークション会場にいた宝飾品会社の経営者の屋敷。
美術品が並ぶ部屋を進むとその奥には選りすぐりのニシキゴイが20匹余。
なかには1匹100万円以上するものもある。
金に糸目は付けないという。
「日本のニシキゴイは質が一番高いです。」
手間をかければより美しく成長する。
努力すれば将来は良くなり
自らと明るい未来がコイに重なるという。
「コイが期待通りに成長すると喜びを感じます。
真心を込めれば込めるほど美しい姿を見せてくれます。」
そんな成長するアジアで販売を目指す会社が愛知県小牧市にある。
ニシキゴイを専門に飼育販売する会社である。
厳選して仕入れた3万匹を飼育。
東南アジアを中心に欧米など世界15カ国に輸出。
いまや売り上げの7割を海外が占める。
社長の成田隆輝社長(43)。
23歳で父親から会社を引き継いだ際いきなり不況に。
国内でコイが売れないのである。
(ニシキゴイ販売会社 成田隆輝社長)
「コイを飼うにあたり池が必要。
日本には池を作る場所も無い。」
そこで目を向けたのが海外だった。
父親の代には値段の手ごろな稚魚をたくさん売る方法だったが
アジアの国々の発展を見るうちに正反対の戦略に切り替えた。
数を絞り高級な魚に育て
海外の富裕層に売り込むのである。
そのために取り組んだのが世界一権威があるという日本の品評会で優勝すること。
そうすれば世界中に評判が広がりPRになる。
成田さんは父親から受け継いだ技術で丹念な飼育を心がけている。
天候や育ち具合に合わせこまめに水温を調節。
水質も徹底管理し
コイのストレスを減らすことで色味や模様を美しく際立たせる。
これまで13匹が優勝。
勝つたびに世界の愛好家の間で知られていった。
「1番をとれれば宣伝をしなくともよいので
全世界の愛好家にわかってもらえる。
ビジネスにはすごくつながってくる。」
コイの輸出に成功した成田さんはいま
全く新しいビジネスモデルに挑戦している。
海外の愛好家からコイを預かり品評会で1位を目指す“委託飼育”である。
次々と依頼が舞い込み
現在100匹が小牧市の池にいる。
なかには持ち主が1位を目指し1千万円で買った最高級のコイも。
1千万円のコイのオーナーであるタイの弁護士パラドーンさん。
自宅の池で自慢の最高級コイの鑑賞が出来なくても
日本の品評会でぜひ賞を取りたいという。
(弁護士 パラドーンさん)
「日本の品評藍で優勝するのが夢ですが簡単ではありません。」
所得が増えるなかで心の満足を求め始めたアジアの人たち。
成田さんはそうした価値観を見極め
これからも極上のコイを育てていきたいという。
(ニシキゴイ販売会社 成田隆輝社長)
「オーナーの夢をかなえるためにすごく責任を感じながら
飼育技術を磨いて
1番目指すことが会社の利益につながる。
そこに1番重きを置いてやっている。」
ニシキゴイの品評会はアジアやヨーロッパでも多く開かれるようになっているが
各国の愛好家は
本場の日本で開かれる「全日本総合ニシキゴイ品評会」など
伝統ある大会での優勝を目指しているということである。
8月16日 おはよう日本
中東最大の金融都市ドバイ。
オイルマネーの強大な力によって急速な経済成長を遂げ
人々の暮らしは豊かになった。
一方で欧米型の食生活が定着し生活習慣が変わったことで深刻な健康問題が起きている。
「この国では大多数が肥満。
美味しいディナーのときなどコントロールできない。」
WHO世界保健機関によると
国民の約3分の1が肥満。
糖尿病の患者は約20%にのぼる。
いまドバイのヘルスケア市場に商機を見出した中小企業が続々と参入を始めている。
京都にある健康食品を販売する会社。
糖質の低い大豆を原料とした商品を大手企業や通販サイトで個人に販売している。
普段の食事を変えずにカロリーを減らせると
ドバイに売り込もうとしている。
(食品販売会社社長 市川吉徳さん)
「日本からこういう健康食材があると提案するのはとても有意義なこと。
説得力がある。」
この会社では
極力カロリーを抑えるため
糖質を含むつなぎを使わずに大豆だけで食品を作る技術を3年かけて開発した。
“大豆のヒレ肉”の場合
一般的な牛ヒレ肉に比べて糖質が低くカロリーは半分以下である。
さらに見た目や食感も近づけようと日々改良を重ねている。
「粒子の大きさによって舌触りも風味も違う。」
いまこの会社ではドバイの営業マンと契約し連日商談を重ねている。
この日はドバイで急成長する薬局の運営会社と商談。
食材を置き換えるだけの手軽さを売り込む。
「食事を楽しみながら健康を維持できる。」
(購買部部長)
「この商品は前例がないことに満足している。
似た商品はない。」
健康食品ブームのいま
独占的に取引したいと話を持ち掛けられた。
(食品販売会社社長 市川吉徳さん)
「こういう大豆食品が望まれているのは間違いないと思う。
粘り強く取り組んでいけば絶対に広まっていくんじゃないか。」
女性ならではの健康の悩みに着目し進出した企業もある。
化粧品の製造と販売をしている会社である。
日本の大手通販サイトで人気となったメイク落としを売り込んでいる。
ドバイでは女性は宗教上の理由から肌や紙を覆う分
メイクに力を入れている。
しかしメイクがうまく落とせず肌荒れや黒ずみなどのトラブルを抱えていた。
(化粧品メーカー社長 春日郁代さん)
「メイク落としって実はあまりお店に売っていない。
伸びるマーケット。
他の企業の商品がないから。」
この会社では販売員を置くなどして売り上げの拡大を目指している。
客の目を引くためにパッケージを工夫した。
日本に対する信頼が厚いと考え日本製を強調している。
さらにドバイを拠点に世界への展開も進めている。
ドバイは“ヨーロッパやアフリカの玄関口”とも言われ
世界中からバイヤーが集まり見本市が数多く行われている。
今年5月にはドバイで行われた化粧品の展示会に参加した。
中東諸国を中心に世界各国の商社などと商談を行い
8月にもインドへ進出することが決まっている。
(化粧品メーカー社長 春日郁代さん)
「ドバイから発信して
中東 アフリカへ広めていくことが目標。
目指せジャパニーズ ヘルス&ビューティー トゥーザワールド。」
自社の強みを生かしいち早く海外に飛び出す中小企業。
日本ブランドの追い風を受け
新たな市場の開拓を目指す。
8月5日 経済フロントライン
駄菓子の定番「ベビースターラーメン」。
発売開始から58年になるロングセラー商品である。
製造しているのは三重県津市にある社員380人の会社。
チキン味のオリジナル商品以外にも次々と種類を増やすことで売り上げを伸ばしてきた。
カルボナーラ味
宇治抹茶ロールケーキ味など
さまざまな味。
丸く固めたものなど
これまで開発した商品は約4,000種類にのぼる。
(おやつカンパニー 開発本部 開発課 安澤元博さん)
「やはりお菓子なので楽しいとか遊べるとか
そういった意味でも商品の展開を広げていった。」
この会社が多くの種類を出すようになったのは約30年前のこと。
販売の中心はかつての駄菓子屋からコンビニへと変わっていた。
競争の激しいコンビニで定番の商品にいかにして注目してもらうか。
そこで考えたのが定番商品のすぐ横に話題性のある新商品を出すことだった。
飽きられないようにと
今では1か月に1回のハイペースで入れ替えている。
新商品に注目が集まることで定番の売れ行きも好調だという。
この戦略を実現させるために開発担当者は1つでも多くのアイデアを求められてきた。
10月の発売に向けていま開発を進めているのは
“甘辛しょうゆだれチキン味”の商品である。
(おやつカンパニー 開発本部 開発課 安澤元博さん)
「スーパーやコンビニに行ったときに客の会話をちょっと聞いたりして
“こういう商品あったらいいよね”とか
“お父さんに買っていこうね”とか
そういった会話がヒントになったりする。」
そして試食会の日。
「あと少し甘味を調整してもらえればいいかな。」
ブランドを守るために短いサイクルで新商品を投入する。
開発者たちの努力が続く。
(おやつカンパニー 開発・マーケティング本部 本部長 稲垣庄平さん)
「バリエーション化については走りながら考える。
今の時流
流れというのを考えながらリアルタイムにやっていかないと
タイムリーに商品が市場に出ていくということができない。」
1つのポイントに徹底的にこだわることでロングセラー商品になっているものもある。
16年連続で売り上げを伸ばし続けている「チョコモナカジャンボ」である。
こだわってきたのはモナカの皮のパリパリ感である。
専門の研究員が毎日表面を削り取って測るのは皮の水分量である。
最適なパリパリ感が実現できているか厳しくチェックする。
パリパリ感を左右するのは裏側に塗られたチョコレート。
チョコレートが幕となりアイスの水分が皮に伝わるのを防いでいる。
重要なのはチョコレートの粘り気。
粘り気が弱いとチョコレートの幕が薄くなりアイスの水分が伝わってしまう。
粘り気が強いとムラができやはり隙間から水分が伝わってしまう。
ベストの粘り気を模索する必要があるのである。
さらにこのメーカーではアイス業界で初めてというある概念を取り入れた。
鮮度である。
日にちが経つと皮が水分を吸収するため
製造から原則5日以内で出荷するよう決めたのである。
さらに店が在庫を抱えることでパリパリ感が失われないようにと
営業では過剰な納品はしないと定めている。
(森永製菓 マーケティング本部 冷菓マーケティング部 山田美希さん)
「ブランドの一番の価値は何かをとらえて進化させていく。
お客様は気づいていないけどどんどん良くなっているというのがポイント。」
8月5日 経済フロントライン
昭和43年に誕生した「カール」は
独特のキャラクター“カールおじさん”とともに愛されてきた。
明治の菓子部門の責任者 井田覚さん。
軽い食感をイメージした「カール」という名前。
形もカールさせようとしたが当初は難しかったという。
(明治 菓子商品開発部長 井田覚さん)
「カールというコンセプトなのに曲がらない。
それをどうやって曲げるのかということでまた現場でわいわいやった。
曲げる方法が出来たときに初めてカールが出来た。
大変苦労したという話は聞いたことがある。」
苦労の末に生み出された「カール」。
発売当初からヒット商品となった。
ピーク時には190億円を売り上げ
工場はフル稼働した。
これだけの人気を集めた「カール」がなぜ売れなくなったのか。
2000年代に入りポテトチップスなどのライバルが増えるなかで売り上げが落ちる。
また粉が手や歯につくのが嫌だと若い人から敬遠され始める。
さらにもうひとつ大きな理由があった。
売れる商品を優先して販売するコンビニ。
一度売り上げが落ちるとなかなか置いてもらえないようになったのである。
(客)
「コンビニとかで買うことが多かったので
そこで見かけなくなると買わない。」
原料をトウモロコシから米に変えた商品を販売するなど種類を増やしたが
売り上げは回復しなかった。
昨年度の売り上げはピーク時の3分の1に落ち込み
生産が縮小されることになった。
菓子部門の責任者の井田さんは
「カール」の味には自信があったが時代の流れについて行けなかったと考えている。
(明治 菓子商品開発部長 井田覚さん)
「今までだったら“おいしいね”でよかったものが
おやつというものが質的に変わってきたリ
親が子どもに健康的なものを与えるようになるとか
どんどん変化してきている。
時代とともに価値が低下していってしまった。」
「カール」のように味に自信があっても思うように売れない時代。
メーカーは新たな取り組みを始めた。
カカオ豆の産地にこだわり香りの豊かさを売りにしたチョコレート。
定番商品の2倍の価格だが
1年足らずで3,000万枚を売り上げる大ヒット商品となっている。
(客)
「何度か買っている。」
実はこのチョコレート
3年前に発売した当初は期待したほど売り上げが伸びなかった。
味には自信があったがなかなか手に取ってもらえなかったのである。
そこでこのメーカーではターゲットとなる若い女性にどうしたら関心を持ってもらえるか考えた。
ヒアリングを重ね
去年の9月に商品のデザインを一新する。
カカオのイメージを中央に置いただけのシンプルな構図。
スマートフォンで写真を撮りたくなるようなおしゃれさを出した。
チョコレートの味も大事にしたいと形状に工夫を加えた。
1枚の中に様々な形や模様をつくり
異なる香りや食感を味わえるようにしたという。
味以外の要素でひきつけて
最終的には味で勝負!
この作戦がヒットにつながったのである。
(明治 菓子商品開発部長 井田覚さん)
「新しい価値を提供しようとすると
まず理解してもらうことが難しい。
どういう風にして共感を得ていくかということはすごく難しい。
それを粘り強くやれるかどうかがポイントかなと思う。」