明治の地図に赤マークを付けたA~Bの道は、六浦道と呼た特に直線的な場所です。
それに対応する西側の道は、青でマークしたC~Dです。
さて、、
この道の直線性は八幡宮に分断されていますね!
赤マークを付けた道のBには、筋違い橋という名があります。
道筋を違えたと言う訳でしょうね。
何時道筋を変えたのか?
鎌倉に最初に建てた鎌倉八幡宮は材木座海岸よりにあり、今は元八幡と呼ばれます。
頼朝が存命中に、現在の八幡宮へ移したのですが、
その時にこの直線的な六浦道は、分断された。 っと考えられています。
一般的には、頼朝以前は、赤と青のマークの道は繋がっていたと考えられています。
モットモな話に、、、思えます????
私も、、、この話で納得していたのですが、
この道が古代東海道の痕跡と考えた時「この青いマークの道は変だ!」と考えるのです。
駅路、官路にふさわしくない!!
その理由は、、、
次回は、青マークの道がテーマ!
記事一覧 ★★http://blog.goo.ne.jp/mementosmori/★★
それに対応する西側の道は、青でマークしたC~Dです。
さて、、
この道の直線性は八幡宮に分断されていますね!
赤マークを付けた道のBには、筋違い橋という名があります。
道筋を違えたと言う訳でしょうね。
何時道筋を変えたのか?
鎌倉に最初に建てた鎌倉八幡宮は材木座海岸よりにあり、今は元八幡と呼ばれます。
頼朝が存命中に、現在の八幡宮へ移したのですが、
その時にこの直線的な六浦道は、分断された。 っと考えられています。
一般的には、頼朝以前は、赤と青のマークの道は繋がっていたと考えられています。
モットモな話に、、、思えます????
私も、、、この話で納得していたのですが、
この道が古代東海道の痕跡と考えた時「この青いマークの道は変だ!」と考えるのです。
駅路、官路にふさわしくない!!
その理由は、、、
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