何故、赤い点線の道は消え、青い道があるのでしょうか?
そんな資料は無いので、、、憶測するのですが、
憶測とするのは、言い過ぎで、多少の根拠を踏まえて考えるのですから推測ですね。
頼朝以前は、古代東海道として、赤い点線まで直線道が有ったとして、
八幡宮造営に伴い一の鳥居に平行に立派な道を作った!(段カズラに直角な道)
横大路と呼ばれ、東端は、寶戒寺前、西は「鉄の井」があります。
そうなれば、無駄に広い古代東海道は必要なく、家を建てたか農地へ転用。
筋違い橋C点から、D点には、立派に作った横大路を使わせ、
「鉄の井」の先からは、利用価値の低い山側に道を移し化粧坂へ向かわせた!
お陰で、、、取って付けた様な窟小路と呼ばれる青ラインの道が出来上がった!
そんな推測をしたのでした。
推測が正しければ、青いラインの窟小路は、鎌倉時代に作られた歴史のある古い道!
赤い点線の道の行方は??
この写真の赤矢印から入る想定ですが!
貴方には、、、目で追えますか????
写真:国土地理院空中写真C13(22)昭和63年より引用
そんな資料は無いので、、、憶測するのですが、
憶測とするのは、言い過ぎで、多少の根拠を踏まえて考えるのですから推測ですね。
頼朝以前は、古代東海道として、赤い点線まで直線道が有ったとして、
八幡宮造営に伴い一の鳥居に平行に立派な道を作った!(段カズラに直角な道)
横大路と呼ばれ、東端は、寶戒寺前、西は「鉄の井」があります。
そうなれば、無駄に広い古代東海道は必要なく、家を建てたか農地へ転用。
筋違い橋C点から、D点には、立派に作った横大路を使わせ、
「鉄の井」の先からは、利用価値の低い山側に道を移し化粧坂へ向かわせた!
お陰で、、、取って付けた様な窟小路と呼ばれる青ラインの道が出来上がった!
そんな推測をしたのでした。
推測が正しければ、青いラインの窟小路は、鎌倉時代に作られた歴史のある古い道!
赤い点線の道の行方は??
この写真の赤矢印から入る想定ですが!
貴方には、、、目で追えますか????
写真:国土地理院空中写真C13(22)昭和63年より引用