足柄路の仔細は古い文献に短文で書かれ、前回の「日本洞窟学会の図」がその古文の内容を裏付けている。
延暦21年 西暦802年5月19日▼廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也
焼けて砕けた石が路を塞ぐ・・・・
800年の山頂近くから噴き出た溶岩流は、富士山の南斜面を「大化の改新駅路」近くまで(焼砕石)が押し寄せている。
その様な訳で、十里木峠と蒲原の間が溶岩流の影響を受けたと考える。
年代が数年符号しない?? っという状況がありますが、、
測定法の誤差なのか、自然現象がその年数でピタッと終わるものか? または、802年に十里木峠近くで溶岩の噴出が有ったのか??等、
(炭化した時の年代測定の様で、洞窟学となれば、樹形洞窟で木が燃えて炭化した痕跡の年代を想定し、溶岩が流れた初期とも考えられますから、その後2年間溶岩が流出で問題ないでしょ?)
数字にはあいまいな要素も含まれ、年代不詳(未調査)の噴火口が多数在る事を考慮すると、、大筋で符号していると考えます。
問題は、
富士山の噴火で、知りたい事に諸説あり、大局的にマトメられ系統立てた学門で無い様子。鎌倉城で私が書いた様に、調査範囲が広すぎて調査資料が少なく纏め様が無い、、、って言う処なのでしょう。
イヤ、、、この古代東海道も同様ですかね、、、
そんな富士の資料から、好都合な年代の溶岩流を図示したデーターに出会えて「ラッキー!」っと言う事でしょうね。
上図のピンク色を被せた場所が溶岩流ですが、これを避けた形で道は造られている。
ステレオ写真で見ると、単なる山では無く、溶岩流の典型的な形です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e5/f6ebe2dc104dbc3f9fb62b55950f8e1a.jpg)
火山活動前に大化の路が造られたとしたら、、、この溶岩流に埋もれた道が在り、大化の路と私が称した路は、781年の溶岩流出後に造られた路と成りますね、、、
では、781年以前の溶岩流に埋もれた「大化の改新東海道」は何処に有るか? 探せるのか???
延暦21年 西暦802年5月19日▼廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也
焼けて砕けた石が路を塞ぐ・・・・
800年の山頂近くから噴き出た溶岩流は、富士山の南斜面を「大化の改新駅路」近くまで(焼砕石)が押し寄せている。
その様な訳で、十里木峠と蒲原の間が溶岩流の影響を受けたと考える。
年代が数年符号しない?? っという状況がありますが、、
測定法の誤差なのか、自然現象がその年数でピタッと終わるものか? または、802年に十里木峠近くで溶岩の噴出が有ったのか??等、
(炭化した時の年代測定の様で、洞窟学となれば、樹形洞窟で木が燃えて炭化した痕跡の年代を想定し、溶岩が流れた初期とも考えられますから、その後2年間溶岩が流出で問題ないでしょ?)
数字にはあいまいな要素も含まれ、年代不詳(未調査)の噴火口が多数在る事を考慮すると、、大筋で符号していると考えます。
問題は、
富士山の噴火で、知りたい事に諸説あり、大局的にマトメられ系統立てた学門で無い様子。鎌倉城で私が書いた様に、調査範囲が広すぎて調査資料が少なく纏め様が無い、、、って言う処なのでしょう。
イヤ、、、この古代東海道も同様ですかね、、、
そんな富士の資料から、好都合な年代の溶岩流を図示したデーターに出会えて「ラッキー!」っと言う事でしょうね。
上図のピンク色を被せた場所が溶岩流ですが、これを避けた形で道は造られている。
ステレオ写真で見ると、単なる山では無く、溶岩流の典型的な形です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e5/f6ebe2dc104dbc3f9fb62b55950f8e1a.jpg)
火山活動前に大化の路が造られたとしたら、、、この溶岩流に埋もれた道が在り、大化の路と私が称した路は、781年の溶岩流出後に造られた路と成りますね、、、
では、781年以前の溶岩流に埋もれた「大化の改新東海道」は何処に有るか? 探せるのか???