写真の赤いラインの路は、781年以降の溶岩活動も消え安全になった平安、鎌倉、江戸時代に作られた路と想像します。
十里木峠の一番低い場所を通り、溶岩流のギリギリをカスメテ足柄へ向かいます。
何度も同じルートで作り直した為にロープが絡み合った様に見えます。
Webのおかげで、、この目で見たことも無い路の 成り立ちや、時代考証まで考察できる時代に成ってしまいました。
この考察が正しいか否かを問題にする以前に、現地を確認できない。
調べたくても、、、鉄砲玉の飛んでくる自衛隊演習地の中!
衛星写真を信じて更なる次の段階に!
明瞭な痕跡が今回の話ですが、他にも不明瞭な痕跡が見受けられ、、
この場所には別なルートが複数あるのです。
十里木峠から、足柄に向けそれなりの道の痕跡が浮かび上がる。
溶岩に一部埋もれた「大化の改新駅路」と考える路であったり、、、ご自分で探してみて下さい。
ここで問題は、水色ラインの「大化の駅路」と赤いラインの「平安~江戸」の道の行く先が違う事です。
その違いは、足柄峠への上り口が違う事を示す訳です。
十里木峠の一番低い場所を通り、溶岩流のギリギリをカスメテ足柄へ向かいます。
何度も同じルートで作り直した為にロープが絡み合った様に見えます。
Webのおかげで、、この目で見たことも無い路の 成り立ちや、時代考証まで考察できる時代に成ってしまいました。
この考察が正しいか否かを問題にする以前に、現地を確認できない。
調べたくても、、、鉄砲玉の飛んでくる自衛隊演習地の中!
衛星写真を信じて更なる次の段階に!
明瞭な痕跡が今回の話ですが、他にも不明瞭な痕跡が見受けられ、、
この場所には別なルートが複数あるのです。
十里木峠から、足柄に向けそれなりの道の痕跡が浮かび上がる。
溶岩に一部埋もれた「大化の改新駅路」と考える路であったり、、、ご自分で探してみて下さい。
ここで問題は、水色ラインの「大化の駅路」と赤いラインの「平安~江戸」の道の行く先が違う事です。
その違いは、足柄峠への上り口が違う事を示す訳です。