鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

相模の古代東海道 7平塚の砂丘

2016年01月02日 | 古代東海道
あけまして
    おめでとうございます。
現代の鎌倉城攻防! ご存知ですか?

鎌倉市内には他所の車を入れさせない様、警察が通行規制しています。
明治時代には、人力車ですと大仏切通しのみが通行できた。
現代でも海岸通りを除けば、
極楽寺、大仏、小袋、朝比奈(十二所)、小坪、名越程度を押さえれば他所の車は入ってこない。
私は、毎年車で鎌倉へ初詣です。

更にこの地図に古代東海道の遺構を記入してみました。
「構之内遺跡」より「山王遺跡」の方向は、鎌倉では無くて微妙に北の横浜方面を向くので目的地に向かい直線的、、、と言う事から外れる。
この原因は、、
この川に囲まれた場所は砂地で 波の様な凹凸は、砂山のウネリです。
付き固めて、路面を造りたくても、砂山は困難なのでしょう!
其処に建物を造ることは「砂上の楼閣」と昔から言われたコトワザです。
砂山に沿った谷に道路と国衙を造った様子で、、
東向きとは言え、鎌倉の方は微妙にズレてしまった。
直線的に作りたくても、、、この様な砂山の影響が在ったのです。

この砂地や砂山は茅ヶ崎、辻堂、藤沢へと続き、道造りを邪魔すると考えられる。
砂漠の真ん中を避けた道を造る事に成ります。
結果は、
平塚から鎌倉までの東側は、山と砂地の境界に道を造る事が考えられます。
コメント
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