鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉城の砦 1

2016年12月03日 | 大鎌倉城


鎌倉城の構造は、
従来から七口を繋いだ範囲を言われている。
  だが、根拠は無い。

鎌倉を表面的に見て細部を調べた事が無い人の憶測です。
結果は、七口が防衛施設で有ると根拠も無く結論を出し 他の場所は不問となった。
その総括は、七口を繋いだ範囲が鎌倉城である。他の場所は??? 無視です。

鎌倉城の認識は困難です。
七口を繋いだ範囲は、本城に当たる部分であり、
その他に、戦う為の砦が外部に向かい張り出した構造をしている。

問題は、巨大すぎて認識出来ない事です。
そして、樹木のベールに包まれて単なる山にしか見えない!
更に住宅が建ち切岸を 切り崩し始めている。
8割がたの城遺構は住宅や大規模な土地開発で消失している。

この赤色地図の精度は非常に良く、
「現物を見ないと本当の処が判らない!」と勘違いするのが鎌倉城ですが、、
バーチャル(外見は偽物でも本質を表現した)な 赤色立体地図は、城を理解するのに絶好なアイテムです。

 図の解説
上の赤色立体地図を 下の白い地図で解説をしました。
白い地図に薄赤くマークした場所は、平場が在る=山城の特徴である郭の在る場所です。
青色ラインは、七口の防衛ライン。
緑色ラインは、鎌倉城の大手道路(中の道)で堰水橋より登り化粧坂に向かう道です。
紫色ラインは、古代東海道の経路です。
そして「葛原」とは葛原ヶ岡神社の在る場所で、梅松論にて激しく攻防が在った場所と書かれた場所であり、新田軍の主力が攻撃した。
(太平記に書かれた、化粧坂を攻撃するとは、この場所の事です。)
何故この葛原なのか?
鎌倉城の構造を知れば判る事です。その解説は又の機会で、、、

コメント
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