前回「下大槻から関本へ3」の図で示した右から4番目の矢印の先ですが、
矢印の先には、道路遺構に相当する帯状の平場が在る
堀切を期待して図を調べましたが、出てきたのは、、、
小田急電鉄に沿った帯状の平場でした。
どうせ、、素人の戯言(タワゴト)ですから、証拠なんてありません。
でも、
裁判でいう状況証拠と言う根拠はあります。
一、下大槻道路遺構の川を越えた延長線に存在する。
二、道路状の平場である。
三、道路として、方向が適している。
っと言う訳です。
直線性を無視し、時代考証を無視した大磯経由の古代道路説よりも、
この古代東海道説のほうが、説得力を感じませんか??
矢印の先には、道路遺構に相当する帯状の平場が在る
堀切を期待して図を調べましたが、出てきたのは、、、
小田急電鉄に沿った帯状の平場でした。
どうせ、、素人の戯言(タワゴト)ですから、証拠なんてありません。
でも、
裁判でいう状況証拠と言う根拠はあります。
一、下大槻道路遺構の川を越えた延長線に存在する。
二、道路状の平場である。
三、道路として、方向が適している。
っと言う訳です。
直線性を無視し、時代考証を無視した大磯経由の古代道路説よりも、
この古代東海道説のほうが、説得力を感じませんか??