鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

旧東海道の道幅3

2018年07月27日 | 古代東海道
〉江戸時代の街道の道幅 (うにゅー)
〉2018-07-15 23:42:53
〉本筋とは関係ない話かもしれませんが、江戸時代に現役バリバリだった
〉旧街道は、その広さ故に、金欠だった明治政府がその道幅の一部を地元
〉に売却したということがあったのだそうな。何かの番組で、武相国境の
〉境木から先、品濃坂までのきれいに旧道が残っている部分について、
〉そう解説していました。あの細々とした旧道の心もとなさが本来の姿かと
〉思っていたのが、ちょっと残念な気がしたんですが。。。(笑)

出来るなら、詳細を知りたい処です。
元の道幅と売却した分、時期、場所等ですが、、
情報を知る方が居たらお願いします。

 そんな訳で、確実な情報は、下記です。
>『家康公御遺言百箇条』に道幅を既定した文章がある。
>大海道 6間(約10.8m)
>小海道 3間(約5.4m)
>馬 道 2間(約3.6m)
>歩行路 1間(約1.8m)

東海道は大海道で6間(約10.8m)幅と言う訳です。
しかし、
箱根の石畳は一間幅で家康の威光に拘わらずこの規定は守られて無い事が判ります。

古代東海道の大和朝廷の威光とは違い、、
江戸から100㎞離れただけで、六間幅大海道は一間幅となります。

では、
江戸の近い処は大海道の6間(約10.8m)が有ったのでしょうか?
東京は、関東大震災と東京大空襲で破壊された大都市です。
江戸時代の東海道の痕跡など残らないでしょうね!
そう思ったら、、大間違い。
確かに江戸時代の宿場の建物は無いでしょうが、震災も空襲にも逃れた宿場が有った。

コメント
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