鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

長窪の砦1

2018年10月08日 | 大鎌倉城
前にも同じ長窪の事を書いた!
何を今更蒸し返すのか? 何てね、、、
 以前の記事で、鎌倉に対しそんな見方も有るのか?
程度の認識は芽生えたと思いますが、
城としか思えない資料を! 誰でも調べられ確認できる資料提示しよう。
  と言う訳です。

この地図は、国土地理院です。
〈https://maps.gsi.go.jp/#13/35.337697/139.534931/&base=std&base_grayscale=1&ls=std%2C0.77%7Cslopemap%7Crelief_free&blend=01&disp=111&lcd=relief_free&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0&d=vl&reliefdata=20GB4B5B3GAGF1FFBAG14GE2FC85G1EGB0FA5CG28GA2F739G3CG6AED23G50G2BCC5EG64G02CF28G78G06B345GG02823D〉
 でアクセスできます。

凹凸が無い場所では、黒いラインは一切ありません。傾斜が強い場所に黒いラインは表示されます。
結果は、長窪を黒いライン(切岸)が切れ間無く囲っている。
この切れ間の無い処が人工的に作った根拠です。
東西に1.3㎞、南北に1㎞の規模の砦です。
鎌倉城に対して、1/50程度の狭い場所ですが、
一般的な山城と比較すると これでも大きい城と思います。
鎌倉全体が、この状態で切岸を作って有った訳で、
長窪の紹介は、鎌倉城を理解する為のモデルケースです。
個人レベルでは、調査をやり切れないのが巨大な鎌倉城です。
個人レベルでも全体を把握できそうなモデルケースの紹介です。


この図が有れば、現地を確認するに便利です。
普通な道路地図と傾斜表示の地図を合成しました。

鎌倉の住宅に埋もれた長窪の紹介です。
歩く目的ならば、2,3時間で終わります。
興味を持って細部を確認しながら歩けば、数日掛かる場所です。
  次は、更に長窪の、近年の変化です。
コメント
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