下は2014年写で、崖の岩肌は、温暖化により殆ど隠れています。道路痕跡は目立たぬ様にピンクでプロットして在ります。
下の写真は、2007年で多少は岩肌が見えます。(CKT20072-C26-56)
道路遺構が、崖を横切る状態で写っています。
PC画面で作図しているので、スマホでは画像が荒いかもしれません。
興味のある方は、国土地理院の空中写真閲覧にて(CKT20072-C26-56)を調べて下さい。
下の写真は1964年で、崖には緑がホトンド無い時代です。
古い空中写真は画素が荒くて1m程度の道幅では画像に出にくい。
垂直に近い崖は空中写真を真上から撮ったら殆ど写らない!
季節により植生が変わり崖の見え方が変わる!
近年の空中写真は画素が緻密で詳細まで写るが、緑が侵食し始め、道路痕跡は隠れる!
冬枯れも殆ど無く、伐採覚悟の草刈道具持参でないと道路痕跡を確認できない。
プールの有る場所は、明治の時代に大潮の時は平らな干潟に成った場所で、関東大震災で1m程隆起し、埋め立てて現在に至ります。 これも歴史の一部なんですがね、、
視野の狭い科学的な研究発表しても、モット重大な要素を無視したら、それは非科学的な嘘になる。 事の起こりは明治の研究者大森金五郎が稲村ケ崎を渡渉し定説になり、稲村ケ崎には石碑迄作られ誰も疑問に思わなかった! でも、古典に書かれた事とは符合しないでしょ??
視野が狭ま過ぎて問題が有る専門家が多いのは残念で、過去の研究書を読み漁って確認もせずに妄信する、自分で考える事もせずにマスコミに拡散する事態に成っています。
この道路痕跡が示すのは、岩の高い場所を狭い砂浜に向かって降りる道で、強い干潮の時は干潟が沖に向かって100m程浮き上がり、古典の記載と矛盾しない場所です。