コメントより、
〉恐らく (坂)さん
〉逆三角の地形は日当公園付近一帯と思われます。
〉下記リンク先の「山崎・台峯緑地」の全体設計図で、
〉下記リンク先の「山崎・台峯緑地」の全体設計図で、
〉「源流の森と里山の保全ゾーン」と書かれた所の下あたりです。
〈https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/koen/documents/dai-kihonsekkei03sekkei_04zentai.pdf 〉
〈https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/koen/documents/dai-kihonsekkei03sekkei_04zentai.pdf 〉
コロナ騒動の中を倉久保谷戸に行きました。
基本は2019暮の台風により、谷戸は通り抜け不可となり、新しく車が入る道迄整備されており、
この谷戸も宅地に成るのか? っと思ったらこの情報でホッとしました。
(坂)さん ありがとうございます。
祝! 山崎・台峯緑地
倉久保に在った土塁の場所は、今どの様に成っているでしょうか?特定しましょう!
下は1960年代の写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/58/7cb226ecc0914490eae6e32e3b0ad04f.jpg)
下は、1990年代の写真を重ねていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e2/8fdfb2c30570e0bcfd182a53989341e8.jpg)
土塁の最下端が残って居るのが判るでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/9a/52648750562e2b362b578aad81c4fc42.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/a4/32becbff8c815407120314303e0b13d7.jpg)
驚いた事に、
土塁の最下端が残って居たようです。
残念ながら、私有地の後ろ崖の様ですね!
その上は、日当公園に成っている場所です。 (坂)さんの話と同じです。
これ以上は、素人の手出し無用の場所です。
この下を掘れば、武蔵大路の硬化面が出るのでは?なんて期待するのですが、、
国土地理院 下記の地図を使用。
〈https://maps.gsi.go.jp/?hc=h#17/35.327017/139.539746/&base=ort&ls=ort%7Cslopemap%2C0.5%7Cort_old10%2C0.82%7Cort_USA10&blend=000&disp=1110&lcd=ort_USA10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0&d=m&reliefdata=00G2DB4B4G5GABABABGAGB6DBADG14G83CC72G1EG5BCF5FG28G4FA831G32G268500G3CG5D8F7EG46G24737DG50G033180G5AG100975G64G5C466EGG57015C〉
古道の硬化面としては、
化粧坂上の頼朝像周囲に硬化面が良い状態で有り、化粧坂の下段にも硬化面が見られましたが、現在は、非常に荒れています。
そして、2020年に朝比奈に行くと、嵐で朝比奈峠は通行止め!
でしたが、、
太刀洗の少し上で、朝比奈峠道にも硬化面が有ったのです。
問題は、何時、誰がこの舗装を作ったのでしょうか?
道路舗装等、近代の工法でコンクリートでもアスファルトでも50年と持ちません。
其れこそ、世界遺産や、文化遺産の価値が有る遺構じゃないかと思うのですが、、、
明治からの話なら100年使用に耐えた道路舗装です。
鎌倉時代からなら、、800年!現役で使い続けられたという意味で文化資産の価値が有る。
石畳じゃなくて、人工的な硬化面です!
ギネスに載るかも!!
話はそれましたが、、倉久保から台峰は、もう一つ砦としての視点を誰も語りません!
化粧坂に続く台峰は新田義貞が主力部隊で攻めても落とせなかった場所!
本当にに強固な砦で有ったのか??? 疑問に思いませんか?
その疑問は、現地を調べれば解る事。
山崎・台峯緑地 と成れば何時でも検証できるのです。
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