平成の時代が終わろうとしています。
「平成」とは、「平和が達成される」という意味だと聞きます。
この意味や願いにもかかわらず、この30年間は日本にとって、さまざまな変化があった時期だったと、考えています。
まず、インターネットが発達して、私たちの生活の中に入り込みました。
パソコンが、仕事に使われるようになり、いまではなくてはならないものとなりました。
私が初めて携帯電話を持ったのは、今からちょうど20年前でした。
当時は、ガラケーでもないハンディタイプのもので、カメラもついていない、電話の機能だけをもつものでした。
しかし、この携帯電話が役に立ったのが、阪神大震災のときでした。
固定電話がつながりませんでしたが、携帯電話がつながり、知り合いの人の安否を確かめることができました。
阪神淡路大震災、東日本大地震などは、人間の命の不確かさを私たちに突きつけました。
近代都市は、地震や津波の前ではひとたまりもない。
その突きつけにさらされ、私たちは傷が癒えないうちに、追い打ちをかけるように、台風や集中豪雨が襲いかかり、抗ってもどうしようもないという諦念、近い人間関係の人の死やふるさとの喪失感を感じてしまいました。
加えて、この30年間は、戦後の右肩上がりの経済成長が終わり、停滞から斜陽に向かう時期でもあり、それに自然災害が重なり、私たちに二重三重の喪失感、いや無常感が覆い尽くした時代が平成だったと思うのです。
夏には台風が来るかもしれない、豪雨に襲われるかもしれないという不安な気持ちを抱え、近い先に来るかもしれない南海トラフ地震におびえながら、「なんとかなるかも」と浮かれてみたりしながら、平成という時代が過ぎていこうとしています。
しかし、人と人が助けあうことに価値を見出したのが、阪神淡路大震災の災害ボランティアでした。
大勢の人たちが、「なんとか役に立てれば」と思い、被災地に向かったのです。
人の役に立つことに喜びを感じるのは、人間の根源的欲求だと思います。
新しい時代では、三中の子にとっても、他者に対して自分を生かすことができる、そのことが生き甲斐となる、人同士が助けあい、孤立しない人間関係を深める人生を送ってほしいと願います。