東京では、ここ2年ほどで駅のエレベーターの数が急増しました。
東京パラリンピックの開催がきまり、障害のある人がたくさん街に来るため、バリアフリー施設の整備を進めたからです。
エレベーターがないため、車いすでは利用できなかった駅や電車の乗り換え駅にエレベーターが整備されました。
さて、「障害者差別解消法」は2013年に制定されました。
その法の中で、社会が「合理的配慮」を実施することが求められています。
社会の中にあるバリアをなくすため、事業者は「負担過重にならない範囲で」合理的配慮の対応に努めることが規定されています。
では、こんな例はどう考えるべきでしょうか。
よく流行るラーメン屋さんがあり、お昼時にはお客さんの行列ができます。
ある日、店主が「お昼時には車いすの人の入店をお断りします」という張り紙を店頭に掲げました。
これを見たお客さんの反応はいろいろでした。
「車いすの人を差別している」
「お昼時はお店も忙しいんだから、しかたないよ。車いすの人はがまんしなくっちゃ」
「車いすの人もラーメンを食べられるのが当然よ」
「車いすは場所をとるから、混雑時には遠慮してもいいんじゃない」
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法が定める合理的配慮の解釈としては、店主は努力義務を怠っていることになります。
法の解釈では、車いすの人が利用するには(店にとって)「負担が重すぎない範囲」で、合理的配慮に努めなければなりません。
これは、負担が重すぎるときには、「従業員が少ない店であり、昼間は混雑しているので・・・」という事情を当事者と話し合い、理解を求め、別の方法を考えるなどが考えられます。
ところが、話し合うことなく、「車いすの人は、昼間お断り」という張り紙は、一方的に伝えているだけであり、合理的配慮を実施する努力義務を怠っていると、私は考えます。
このケースから、「店主からの思いやりがたりないな」という心の動きになる人がいるかも知れません。
小中学校の道徳の授業なら「思いやり、公共の精神をもとう」という展開になるでしょう。
「思いやり」という言葉は、世間ではたくさんの人が使います。
「思いは見えないが、思いやりは見える」という広告もメディアを通じて流れた時期も10年ほど前にありました。
人権は思いやりの心で守ることができると考え、学校で思いやりを教えることは大切です。
人権侵害の芽は、個人の心に生まれるのだから、学校で思いやりを教えることは必要です。
しかし、思いやりがたりないから、エレベーターが少なかったのでしょうか。
そうではなく、エレベーターが少なく、車いすユーザーが駅を利用できないのは、社会のしくみの問題です。
人権侵害の問題の根底に社会のしくみが存在するからこそ、それを変えるには法の制定が必要なのであり、個人のおもいやりや心のありようだけで、問題は解決しないのです。
そして、法の制定・実施により、人びとの行動は変化します。これが法が制定される意義なのです。
法により、人びとの行動が定式化されるのです。人権教育はそのことを、児童生徒が学習することでもあります。
学校教育の中では、道徳教育の充実と人権教育の推進の両方が大切です。