いま、日本で義務教育を受けることができていない外国にルーツをもつ子どもは推定でなんと2万人以上いると文部科学省は言っています。
不就学に至る具体的な状況は、親が子どもの学齢期前に地方自治体の教育委員会窓口で「日本語が話せないのなら入学は難しいです」と言われ追い返されるというものです。
この問題は制度を変えることで大きく解消に向かいます。
いま、親に就学を義務づけているのは日本国籍をもつ子だけです。それを「学齢期の外国籍の子どもは、必ず学校に就学させなければならない」とするだけで、地方自治体は法や制度を忠実に守りますから、入学が実現していきます。
これほど、法や制度というものは、役割や意味が大きいのです。
ただし、人間を国籍で区別し、外国にルーツをもつ人を「(多様性尊重社会にあって)日本が受け入れてやる」ととらえる意識は根強いものです。
だから、外国にルーツをもつ子どもが日本の学校に入学できたとしても、外国人市民を「お客さん」あつかいする習慣は残っていくでしょう。
ただ、制度や社会のしくみを変えるだけでも、かなりの効果はあります。
それは、法や制度を変えると、人の行動が変わる。行動が変わると意識も一定程度変わるからです。
たとえば、男女共同参画社会基本法が1999年に成立して以来、人びとの固定的な男女の役割分担意識はかなり変わりました。
一方で、東京オリンピック開始前には大会司式組織委員会内で「問題発言」がありましたが、それは固定的な見方から離れられない個人の問題が依然残っているということであり、ジェンダーに関する周りの意識が高まったからこそ、問題化できたととらえます。
このように、法や制度の整備は、人びとの意識までを変えるのです。
ただし、気になるのは、多様性の確保、さまざまなちがいを認めあい共生する社会の実現が、日本の事情(国内労働力の不足)で、受け入れないと日本の産業活動が回らなくなるからという事情で言われているという点です。
外国籍の人や外国人が無条件で受け入れられるのは、誰もが生きやすい社会を実現するためであり、多様性が社会を豊かにする可能性をもつからです。