箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

障害者問題は社会の問題

2021年09月11日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
東京パラリンピックが終わりました。

各選手が一生懸命に挑む姿は、多くの人びとの胸を打ちました。

メダルには届かなくても、自己ベストの記録を出したアスリートもいました。

先天的障害のある人、後天的な障害のある人、それぞれですが、選手が生きてきた道のり、経歴などをメディアは紹介してくれました。

これは、たいへん意味のあることだと思います。

アスリートの生きてきた道のりを人びとが知ることは、障害への理解を深め、共に生きる社会へ一歩近づくからです。

ただ、そのメディアの報道の中にも、気になることがありました。

それは、記録を出した選手をメディアが揃ってとりあげ、ニュースや記事にする、その方法です。

そのとりあげ方が、「(障害がある人なのに)がんばって努力を重ねて困難を乗り越え、結果を出した」と、ある選手をカリスマのようにしてしまうことがありました。

もちろんその選手が努力を重ねて、結果を出されたことは、称賛したいし、その努力に敬意をもちます。

そのことを十分に踏まえたうえで、もし「障害は個人の努力で乗り越えるものだ」というメッセージをメディアが世の中に発することになったならば、それは違うのです。

障害者問題は、個人の問題ではなく、社会の問題です。

障害者を生きづらくしているのは、社会のしくみの問題です。

たとえば車いすの人が駅の2階に上がれないのは、エレベーターがないからです。

介助犬を連れた人がレストランへの入店を拒否される、例は、そういう社会の慣習が残っているからです。

つまり、障害者問題があるのは社会に障害=障壁があるからです。

これを、研究者や専門家は「障害の社会モデル」と呼んでいます。

共生の実現のため、変わらなければならないのは社会です。障害者ではないのです。

このことをあらためて考えさせられたパラリンピックでした。