学校の国語の時間は大切だと、最近とみに思います。
バブルが崩れ、長期低迷が続く日本社会を襲ったのがコロナ禍でした。
そんなとき政治家が人びとに発する言葉は、Go to トラベルとか、ソーシャルディスタンス、ステイホームなどでした。
私は英語の教師ですが、このような和製英語もどきの言葉に、ある意味の「軽さ」を感じていました。
国民みんなが四苦八苦しているときに、「経済を加速度的に回復させる」という言葉が虚しく響きました。
これらは、政治家だけでなく、みんなが言葉を軽視した結果ではないでしょうか。
いまや、「これは信用できる」という言葉を探すのが難しくなっています。
全体に言えることですが、いまはトップダウンでものごとがきまっていくのがふつうになりました。
教育政策でも同じです。
よくわからないまま、上から降りてくることをなし崩し的に受け入れるようになってきました。
思考停止して、抗うことをやめ、受け入れていくと、疑問や怒りがあきらめになってしまいます。
そうなると、将来へ希望をもてないようになります。
また、トップダウンでなくても、周囲の人が使っている、響きのいい、感覚的にいいと感じる言葉を、真似て多用する傾向があります。
「真逆の」←「正反対の」とか「日がかぶる」←「日が重なる」とかは、いつのまにか多くの人が使うようになりました。
言葉一つひとつの意味を問い、それはいまこの状況でふさわしいものなのかを考える必要があります。
そのとき必要になるのは、国語の授業で身につけた国語力です。
ものごとを適切に判断するには、言葉の意味を正しく知っていることが求められます。
そのような観点からも、学校の国語の時間は大切だと改めて思います。