新型コロナウイルスの感染は、なかなか収まる様子がなく、日本での最初の発症から約1年半がたちましたが、毎日の新規感染者は減る傾向にあるとはいえ、医療逼迫の状況が継続しています。
このコロナ禍災は、私たちが「VUCA」といわれる世界で生きていることを知らせました。
研究者・専門家によるとVUCAとは・・・
Volatility 変動性
Uncertainty 不確実性
Complexity 複雑性
Ambiguity 曖昧性
の世界のことです。
令和の元号に変わったとき、誰がこのVUCAの世界が現れることを予想したでしようか。
この先何が起こるかわからない世界に私たちは生きている・・・.。
考えてみれば、そのことは当たり前のことでしたが、私たちは気がついていなかったのです。あるいは、気がついていても忘れていた(忘れようとしていた)のでした。
今後は、ウィズコロナの時代もアフターコロナの時代になっても、何が起こるかわからない世界を引き受けて、私たちは生きていかなければならない状況に置かれるのでしょう。
そこで、コロナ禍災によって学校教育の面では、今後どのような転換をしていくことになるのでしょうか。
それは、公教育のありように変化を与えていくようにも思われます。
日本の公教育では、どの子にも等しく同じ教育内容を提供するという役割を原則にしています。
そして、その公教育は、子どもたちの学力の全体水準を引き上げ、戦後復興をめざす日本経済・社会を支えてきたのでした。
その学校教育のしくみは、みんなを一斉に、同じ時間に、同じ場所に集めて、同じ学習内容を同じペースで、均質性ある学級編成の集団で行う授業で、どこの学校も貫かれていました。
しかし、コロナ禍災は、オンライン授業をスタートさせ、そういった学校のしくみの限界を明らかにして、転換を迫りました。
そのとき、同時に家庭で孤立する子や学校に行けず不安を感じる子、体調不良を示す子などの問題を全国一斉休校後に表出させ、明らかにしたのでした。
その点から見れば、コロナ禍災は学校のしくみの限界と転換を迫ったのは確かです。
しかしながら一方では、子どもたちが生きる場としての学校の存在意義をあらためて、教育関係者に再確認させたともいえます。
つまり、教職員の支援のもと、仲間のなかで育まれ、生きていくこと、生活していくことを保障する場として、学校の役割を人びとに再認識させたのがコロナ禍災であったということです。
つまり学校は、家庭以外で子どもたちが生きる場としての役割をもっているのであり、これはアフターコロナの時代に入ったとしても、変わらない、不易のはたらきなのです。
今後、学びが個別化してきて、オンライン学習が定着していったとしても、子どもが生きる場としての学校の役割は色あせず残っていくことでしょう。