箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

相手をまるごと受け入れ、理解する

2021年09月28日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ


共感するという概念は、社会の中、教育の分野、カウンセリングのフィールド等で大切にされます。

教育の分野でなら、児童生徒は、共感が生まれることで、「わたしの悲しい、つらい思いを、先生が(友だちが)わかってくれた」と感じ、理解者がいるという思いになり、その人を支えることになる大切な心の動きです。

その共感は英語ではsympathyと訳されることが多いようです。

しかし、sympathyには共感・理解という意味もたしかにありますが、「同情」という意味もあります。

わたしは、「思いやり」という心の動きも、同情の要素を含んでいる場合もあると考えます。

さて、人権は「思いやり」や「同情」で与えらるものではありません。だれしもが人間として対等に、生まれながらにして持つ権利であり、「いたわり」のように、外から与えられるものではないのです。

その点で、ある人の人権を尊重するという概念は、他者からのいたわりではないし、思いやりでも同情でもないのです。うまれながらもっている権利を行使できるようにサポートすることです。

では、「共感」をempathyとした場合はどうでしょうか。empathyはたとえ考えや感覚、価値観が自分とちがう人でも、その人の視点に立ち相手を理解する、知的な心の動きで共感をすることです。

そのなかでも、自分をその人の立場に当てはめるのではなく、他者を他者として、まるごと、そのまま知るというのがempathyを言いあてています。

とくに学校教育での児童生徒と教職員の人間関係は、その子をありのまま認め、受け入れるというempathyであり、「かわいそうだから」と同情することでもないし、いたわるものでもないのです。