公立の小中学校で学ぶことの特徴は、家庭環境や価値観、学力状況のちがう子がいっしょになって学校生活を送ることです。
みんながちがうからいいのです。
人は本来、生まれ育った環境や家庭の経済力、生活環境で将来の可能性が狭められたり、閉じられていくことがあってはならないのです。
家庭の経済的状況が厳しいからオンライン授業を受けられなかったとか、進学できなかった、または夢を諦めたとかで、自分の可能性を否定してしまうことがない社会であるべきです。
しかし、社会には明確にはなっていない階層のようなものがあり、子どもがどの階層に属するかで、親の教育への投資に差が出ます。
保護者が教育の価値に重きを置く人とそうでない人によって子どもが教育を受ける機会がかわっていきます。
階層ごとの交流があればいいのですが、一つの階層だけにいると、固定的なものの見方になってしまいがちです。
ですから、子どもが多様な人びとと出会い、対話や経験を通して、多様な価値観を知り、学びあえる学校は大切な場であると考えます。
ただし、学校はよくも悪くも、先生と児童生徒という「タテの関係」か同級生という「ヨコの関係」を脱することはできません。
いまや同級生同士には同調圧力が働きます。
また中学の場合は思春期の子はタテの人に心を閉ざす傾向が一般的です。
そのとき、すこしだけ年上の大学生などは「ナナメの関係」にあたります。
大学生のボランティアは、中学生にとって少し年上のナナメの関係の人になります。
自分もがんばればあのような人になれるという「ロールモデル」として、大学生が中学生には映るのです。
これはタテの関係にしかなれない教師にはできないのです。
学校はいま旧態依然としたタテとヨコの関係ではなく、ナナメの関係を活用していくべきでしょう。
たとえば放課後になると、学習会が開かれ、大学生が横についてくれ、勉強を教えてくれる。
授業中も、学習サポーターとして、学習支援で大学生が入り込んで教えてくれる。
このようなしくみづくりが望まれます。