沖縄本島の近くに伊江島があります。
沖縄戦では、この島にもアメリカ軍は来襲さぞした。
艦砲射撃により、島の人びと約4000人のうち、約1500名が亡くなりました。
沖縄戦が終わってからでも、3年後の1948年にアメリカ軍の爆弾処理船が伊江島の港で爆発しました。
そのときちょうど沖縄本島からの連絡船が着いたところで、下船中の人が巻き込まれました。100名を超える死者が出ました。
さて、多くの犠牲者が出たその伊江島では、いま修学旅行生の民泊を受け入れいています。
民泊では、修学旅行生がホテルには泊まるかわりに、沖縄の民家に泊めてもらいます。
地元の沖縄家庭料理を出してもらったり、パイナップルを収穫したり、サーターアンダーギーを手作りしたり、農作物を取り入れたり、貝殻を集めたアクセサリーをつくったり、三線を教えてもらったり・・・。
このような体験活動をできるのが大きなメリットです。
民家さんは家族と同様に修学旅行の中学生を受け入れてくれ1泊2日を共に過ごしてくれます。
ホテルでは味わえないような地元のおっちゃん・おばちゃん・おじい・おばあ、また小さな子と人間的なふれあいができます。
わずか一泊ですが、生徒にとっては貴重な体験をすることができます。
民泊最後のお別れでは、次の動画のように民家さんとのお別れを惜しむ生徒がいます。
わずか一泊ですが、生徒にとっては貴重な体験をすることができます。
民泊最後のお別れでは、次の動画のように民家さんとのお別れを惜しむ生徒がいます。
ただ、その島は76年前に1500名もの住民の命がなくなった場所であり、港はいまから73年前に100名を超える死者が出るという「悲しい現実」があった場所であることを、生徒たちは忘れてはならないのです。