人は悩みの連続の中で生きています。
毎日生活するなかで、多かれ少なかれ悩まないことはないと思います。
SNSには、若い女性が「適応障害と診断された」というつらい思いを吐露している投稿が最近よく出てきます。
この人たちは、仕事上の人間関係の悩みを打ち明けています。
適応障害というと、学校の場合は、友だち関係につまずき、教室に入れなくなり、保健室登校や不登校になる子が少なくはありません。
「生きているのがつらい」と言う子までいます。
わたしは、SNSでつぶやこうとも、学校で教職員に話そうとも、悩みを言語化することは必要だと思います。
悩みは、じつはその原因となることがら以外にネガティブな感情やモヤモヤする気持ちが付随しています。
そのような感情や気持ちが余計に重なりあって「つらさ」になっています。
Aさんとの仲たがいが原因で、教室に入らなくなったのですが、「教室に入れないわたしは弱いのかな」とか、「このままずっとクラスに入れないままだろうか?」、「授業を受けれなくなると、勉強がわからなくなるのでは」・・・。
このように、教室に入れないのはAさんとの友だち関係がうまくいかないからという原因に、いろいらなマイナス感情や心配・不安が重なり合っているのです。
だから、つらいことを言葉にして、言語化して、自分の悩みにピッタリとくる言葉で表すのです。
それが見つかったとき、悩みの周辺で混沌としていた重さが取り除かれ、スーと軽くなるのです。
悩みに対して、人はうまくつきあっていくのが望ましいと思います。