さわやかな晴天の中、歴史クラブ35名で桜井の史跡を訪ねる。
主なところは
①ムネサカ1号墳
166号線からいきなり急な山道を登る。
飛鳥の岩屋山古墳と同じ設計だという。懐中電灯を持って中に入る。
玄室の中は天井も高い。
山道はコクランがたくさんあった。
②粟原寺跡
寺域は広大だったらしい。「粟原流れ」といわれる洪水により建物
も仏像も下流に流されて分散し、ここには散らばった礎石などが集
められている。
談山神社所有の三重塔の相輪の1部に記載されたところによると、
藤原鎌足の従兄弟の子の中臣大嶋が草壁皇子の菩提を弔うため発願、
比売朝臣額田が大嶋の意思をついで造営を始め、22年かけて完成さ
れたとある。
その比売朝臣額田が額田姫王と同一人物ではないかと考えられる
とのことだ。
天智天皇崩御のあと隠棲し、その後の記載がない額田姫王が、大嶋
と再婚し、粟原寺を造営し、完成した時にはすでに85歳になってい
たというのだ。
③赤坂天王山古墳群の1号墳に入った。土砂が流れ込んでいるからか、
入口はやっと人が滑り込めるぐらいで、お尻から滑り込むように10
人ずつ入った。
中には、盗掘穴のある家型石棺があった。
手前は大きく、といっても頭は入らないぐらい。棒のようなもので取
り出したのか。向こう側にも小さく穴が開いていた。
盗掘も相当の時間と根気が要ったことだろう。どんな気持ちでノミ
を振るっていたのか。気味が悪くはなかったんだろうか。
後、重要文化財の三尊石仏のある石位寺(拝観は出来ず)や、舒明
天皇陵・鏡王墓・大伴皇女墓・仏教伝来の地顕彰碑を巡った。
石井寺ではシキミが蕾をたくさんつけていた。少し咲きかけもあり。
顕彰碑のある大和川のあたりは古代大和朝廷の中心地で、最古の市
といわれる海柘榴も近く、難波津から舟運で運ばれた荷物がここで
降ろされ、飛鳥へと運ばれたらしい。
仏教伝来の百済の使節もここから上陸した由緒のある地だ。
仏教はここから始まったということだ。
案内役のクラブの方の名ガイドにはいつもながら感心する。
伝承やロマンいっぱいの桜井周辺だった。
今は昔を偲ばせるものは何もなく、ひろびろとした大和川が靜かに
流れていた。
主なところは
①ムネサカ1号墳
166号線からいきなり急な山道を登る。
飛鳥の岩屋山古墳と同じ設計だという。懐中電灯を持って中に入る。
玄室の中は天井も高い。
山道はコクランがたくさんあった。
②粟原寺跡
寺域は広大だったらしい。「粟原流れ」といわれる洪水により建物
も仏像も下流に流されて分散し、ここには散らばった礎石などが集
められている。
談山神社所有の三重塔の相輪の1部に記載されたところによると、
藤原鎌足の従兄弟の子の中臣大嶋が草壁皇子の菩提を弔うため発願、
比売朝臣額田が大嶋の意思をついで造営を始め、22年かけて完成さ
れたとある。
その比売朝臣額田が額田姫王と同一人物ではないかと考えられる
とのことだ。
天智天皇崩御のあと隠棲し、その後の記載がない額田姫王が、大嶋
と再婚し、粟原寺を造営し、完成した時にはすでに85歳になってい
たというのだ。
③赤坂天王山古墳群の1号墳に入った。土砂が流れ込んでいるからか、
入口はやっと人が滑り込めるぐらいで、お尻から滑り込むように10
人ずつ入った。
中には、盗掘穴のある家型石棺があった。
手前は大きく、といっても頭は入らないぐらい。棒のようなもので取
り出したのか。向こう側にも小さく穴が開いていた。
盗掘も相当の時間と根気が要ったことだろう。どんな気持ちでノミ
を振るっていたのか。気味が悪くはなかったんだろうか。
後、重要文化財の三尊石仏のある石位寺(拝観は出来ず)や、舒明
天皇陵・鏡王墓・大伴皇女墓・仏教伝来の地顕彰碑を巡った。
石井寺ではシキミが蕾をたくさんつけていた。少し咲きかけもあり。
顕彰碑のある大和川のあたりは古代大和朝廷の中心地で、最古の市
といわれる海柘榴も近く、難波津から舟運で運ばれた荷物がここで
降ろされ、飛鳥へと運ばれたらしい。
仏教伝来の百済の使節もここから上陸した由緒のある地だ。
仏教はここから始まったということだ。
案内役のクラブの方の名ガイドにはいつもながら感心する。
伝承やロマンいっぱいの桜井周辺だった。
今は昔を偲ばせるものは何もなく、ひろびろとした大和川が靜かに
流れていた。