みどりの野原

野原の便り

5月22日 三輪周辺

2010年05月22日 | Weblog
スサノオ神社から大神神社


大神神社に黛敏郎氏の歌碑があるのは初めて知った。
五線譜の入った歌碑で、大和は国のまほろば・・の歌が書かれてい
る。
ボランティアガイドさんが節をつけて歌ってくださった。

山の辺の道にある月山記念館も初めて行った。


山形の出身で代々月山派の刀工として技術を受け継がれているが
廃刀令や武器製造禁止令などもあり、それを乗り越えて今に続いて
いると話された。
「祖父は(現場に)人を近づけませんでした」と言われたのが心に
残った。
原料の鉱物を熱してだんだん刀にしていく工程のビデオは最後まで
見ないうちに集合時間になってしまった。


富士厳島神社の古墳を覆うケヤキ

旧芝村藩 掘・陣屋跡
織田信長の弟「長益」が信長の死後豊臣家に仕え三万石をもらった
ものを四男と五男に分与し、四男の長政が引き継いだ戒重一万石を
江戸時代ここに陣屋を移した。
江戸屋敷が芝にあったことから芝村藩と言われたそうだ。
住宅地のそばに陣屋の掘の一部分が残る。
陣屋の跡はその名も織田小学校になっている。


校舎の外壁には織田家の家紋が、陣屋の南門跡は小学校の門になって
いた。

信長亡き後、弟長益は、豊臣の家来となって働き、禄高を得、後に
は徳川に情報を流すなど、織田家を残すために上手に立ち回ったよ
うだ。子に石高を譲ったあとは京都に隠棲し、茶の湯に名を残したら
しい。
後で行った慶田寺には織田家のお墓があった。

国津神社・ホケノ山古墳・大型建物群が出土した纏向遺跡~三輪そ
うめん山本 ここでは社屋を移転した時に発掘で出土した23点が
展示されていた。

最後に日本最古の箸墓古墳へ。
掘だと思っていたのは後で人工の溜池だと初めて聞いた。
2重の掘は早くになくなっているそうだ。
池に浮かぶ小さい島も古墳だそうだ。後2つ池の中に古墳が沈んで
いるとか。
石室の石は逢坂山の石が使用されているそうだ。
池の縁に建つ碑の伝説のように「手渡し」ではないにしろ逢坂山か
ら石が運ばれたのは間違いないらしい。

最後に埋蔵文化財センターに立ち寄る。


三輪の大鳥居 くぐってJR三輪駅へ。
この黒い鳥居が夜には白く光るって本当かな?
コメント
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