先日(1月17日)の続きで、護岸のしていない「自然堤防の水路」巡りをすることになり子供たちと3人で出かけた。
飛鳥川の堤防の少し広くなったところに駐車
自然堤防① 田原本町西竹田
あらら・・いきなり護岸整備工事中の看板が・・
右)今日は日曜日で工事はお休みだがショベルカーなどが置いてあった。
工事中の水路から直角のまだ工事されていない水路 堤防にはクヌギが植えられ、どんぐりがいっぱい落ちていた。
そこから道路をくぐって(手前の方に)直角に続く水路
水は少ないが「前に見た時には水がいっぱいあった」という。
水路の横を歩きながら「おっちゃんが土手に座ってタナゴを釣って居たりして・・」
「え~っ。タナゴ釣れるん?」「・・そんな風景が似合うなあと思って・・」なーんだ。
「手漕ぎの小さいボートでこうやって・・」ボート?「そんな光景が浮かぶなあ・・」って。笑ってしまった。
周りはのどかだし、この水路に水がなみなみとあればそんな雰囲気なのかなあ。
その先の水路は草がしげっていたがずっと向こうまで続いていた。
戻って、日曜日で工事の人がいないのを幸いに、向こうはどんなになっているのか探検。
工事中の水路の突き当りにはコンクリートの壁があり、そこから水路は直角に折れて、向こうの藪に続いている。藪の中を覗くと、水路は深くなって堤防の道の下へ。
堤防の道に上がってみると、水路は飛鳥川へと流れ込んでいるのがわかった。
次に来た時にはここの水路はどうなっているのか?三面張りになっている可能性大。
風前の灯・・・
勝手に「自然堤防」って言ってるが「コンクリート護岸」に対して「自然河岸」という言い方もあるらしい。ここでは「自然堤防の水路」ということにしておく。
水路に生えていたイグサの仲間は帰ってから切ってみてイグサ科の帰化植物コゴメイとわかった。
次の場所に向かう。
保津阪手道の跡をなぞる県道を通り、京奈和自動車道を越える。
途中の斜めになった筋交い道(太子道)と交わるあたりは「巷」といわれる交差点だったらしく、遺跡も出ているとか。
森市神社 名前も知らなかったが、洪水でこの地に漂着したとか・・境内にはツガの大木・灯籠・道標・「池地蔵」と刻まれた石もあった。 右)前は保津・阪手道か?
森市神社の横にある大安寺池 大きい池だ。向こうに見える森は村屋神社の森らしい。
h16年にはコハクチョウが3羽観察されたというネット記事があった。
次に立ち寄った神社
何となくこの神社を「村屋神社」と言っていたが「村屋坐弥富都比売(むらやにますみふつひめ)神社」(森屋の宮とも)というのが神社名らしい。
そして 右)この小さい社が「式内大社村屋神社」(境内社・摂社)
他にも、摂社の「久須須美神社」(恵比須神社)や末社の「服部神社」が境内にある。
イチイガシなどが繁る鎮守の森は前に植物の会で来たことがあるが、台風でだいぶ傷んだらしく、前はもっとうっそうとしていたとか。
2の鳥居から入って 一の鳥居へ回り込んだ。
一の鳥居は木造だった。
森屋神社は中津道(後の橘街道)沿いに建つ。
一の鳥居近くには道標が2つあった。それぞれ奈良や法隆寺や高野・三輪・長谷などが記されていた。 右の道標は上部に東西南北が記されている。
大和川の堤防を走る。前に見えるのは三輪山 川にはヒドリガモやカルガモが群れていた。
自然堤防②桜井市大西
いい感じの水路だ。水路伝いにずっと歩いて右へ出る。
右)戻り路 自然堤防水路に並行してコンクリート護岸の水路が通っていた。(植栽の向こう側が自然堤防水路)
今は水はないが田植えの頃にはここに水が通るのだろうか? 自然堤防水路と両方使っているのか?
上の写真の水路から直角に続く水路 石の橋が架かっていた。渡る。
右)ここにもクヌギの植栽があった。
そういえば、家のそばに昔、田んぼの端にちょっと残った堤防があったが、そこにもクヌギが植わっていた。 水路の堤防にはクヌギか・・
①の水路もこの②の水路も何度も直角に曲がって続いている。
もう1ヶ所あるらしいが又の機会にして、今日は時間が遅いのでこの辺で引き返すことにした。
飛鳥川の堤防の少し広くなったところに駐車
自然堤防① 田原本町西竹田
あらら・・いきなり護岸整備工事中の看板が・・
右)今日は日曜日で工事はお休みだがショベルカーなどが置いてあった。
工事中の水路から直角のまだ工事されていない水路 堤防にはクヌギが植えられ、どんぐりがいっぱい落ちていた。
そこから道路をくぐって(手前の方に)直角に続く水路
水は少ないが「前に見た時には水がいっぱいあった」という。
水路の横を歩きながら「おっちゃんが土手に座ってタナゴを釣って居たりして・・」
「え~っ。タナゴ釣れるん?」「・・そんな風景が似合うなあと思って・・」なーんだ。
「手漕ぎの小さいボートでこうやって・・」ボート?「そんな光景が浮かぶなあ・・」って。笑ってしまった。
周りはのどかだし、この水路に水がなみなみとあればそんな雰囲気なのかなあ。
その先の水路は草がしげっていたがずっと向こうまで続いていた。
戻って、日曜日で工事の人がいないのを幸いに、向こうはどんなになっているのか探検。
工事中の水路の突き当りにはコンクリートの壁があり、そこから水路は直角に折れて、向こうの藪に続いている。藪の中を覗くと、水路は深くなって堤防の道の下へ。
堤防の道に上がってみると、水路は飛鳥川へと流れ込んでいるのがわかった。
次に来た時にはここの水路はどうなっているのか?三面張りになっている可能性大。
風前の灯・・・
勝手に「自然堤防」って言ってるが「コンクリート護岸」に対して「自然河岸」という言い方もあるらしい。ここでは「自然堤防の水路」ということにしておく。
水路に生えていたイグサの仲間は帰ってから切ってみてイグサ科の帰化植物コゴメイとわかった。
次の場所に向かう。
保津阪手道の跡をなぞる県道を通り、京奈和自動車道を越える。
途中の斜めになった筋交い道(太子道)と交わるあたりは「巷」といわれる交差点だったらしく、遺跡も出ているとか。
森市神社 名前も知らなかったが、洪水でこの地に漂着したとか・・境内にはツガの大木・灯籠・道標・「池地蔵」と刻まれた石もあった。 右)前は保津・阪手道か?
森市神社の横にある大安寺池 大きい池だ。向こうに見える森は村屋神社の森らしい。
h16年にはコハクチョウが3羽観察されたというネット記事があった。
次に立ち寄った神社
何となくこの神社を「村屋神社」と言っていたが「村屋坐弥富都比売(むらやにますみふつひめ)神社」(森屋の宮とも)というのが神社名らしい。
そして 右)この小さい社が「式内大社村屋神社」(境内社・摂社)
他にも、摂社の「久須須美神社」(恵比須神社)や末社の「服部神社」が境内にある。
イチイガシなどが繁る鎮守の森は前に植物の会で来たことがあるが、台風でだいぶ傷んだらしく、前はもっとうっそうとしていたとか。
2の鳥居から入って 一の鳥居へ回り込んだ。
一の鳥居は木造だった。
森屋神社は中津道(後の橘街道)沿いに建つ。
一の鳥居近くには道標が2つあった。それぞれ奈良や法隆寺や高野・三輪・長谷などが記されていた。 右の道標は上部に東西南北が記されている。
大和川の堤防を走る。前に見えるのは三輪山 川にはヒドリガモやカルガモが群れていた。
自然堤防②桜井市大西
いい感じの水路だ。水路伝いにずっと歩いて右へ出る。
右)戻り路 自然堤防水路に並行してコンクリート護岸の水路が通っていた。(植栽の向こう側が自然堤防水路)
今は水はないが田植えの頃にはここに水が通るのだろうか? 自然堤防水路と両方使っているのか?
上の写真の水路から直角に続く水路 石の橋が架かっていた。渡る。
右)ここにもクヌギの植栽があった。
そういえば、家のそばに昔、田んぼの端にちょっと残った堤防があったが、そこにもクヌギが植わっていた。 水路の堤防にはクヌギか・・
①の水路もこの②の水路も何度も直角に曲がって続いている。
もう1ヶ所あるらしいが又の機会にして、今日は時間が遅いのでこの辺で引き返すことにした。