朝倉駅から登山口へ緩やかな登り。
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外鎌山(とかまやま)登山口 前に登った時にはなんともなく登ったように思うが、ふうふう。
外鎌山頂上に到着。標高292.5m
万葉集で「忍坂の山」と詠まれたのは外鎌山のことらしい。
また高円山・恩坂山・小倉山とも言われていたそうだ。
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見晴らしがいい。 大和三山がはっきり見えた。あべのハルカスが見えるというが、大阪はかすんでいる。
ここは南朝ゆかりの地で、山上には多武峰の力を得て築いた砦・外鎌城があったらしい。
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「南朝忠臣 西阿」と書かれた墓碑があった。枯葉の中に横たわって?いた。
「西阿(さいあ)」初めて聞く名。楠木正行について四条畷で戦い、討ち死にしている。
楠木正行一行は戦出発の前、吉野・如意輪寺に詣で、正行が矢じりで扉に辞世の句を刻んだ。その扉を過去帳に見立てて一族郎党が名前を刻んだという。その中に「西阿」の名前もあるという。
そんな緊迫した過去は全く感じない静かな山上だ。
反対側、忍坂(おっさか)へ下る。(「忍坂」は「押坂」と表示されている時もある)
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鏡女王押坂墓(談山保存会が管理)
右)細い谷川に鏡女王が天智天皇の歌にこたえて詠んだ歌碑が建つ。
「秋山の木(こ)の下隠(したがく)り行く水の我れこそ増さめ思ほすよりは」
(こんな熱い時もあったのに後に天智天皇は中臣鎌足に鏡女王を下賜するなんて・・個人的感想・・)
舒明天皇押坂内陵(段ノ塚古墳)の前を下る。
右)神籠石(じんごいし) 神武天皇東征の折、この地にいた八十建(やそたける)を討つ際にこの石に隠れ石垣を巡らし盾にしたという大石。火の見櫓は昭和に移設されたもの。
高円山 石井寺
今は無住寺で地域の方が管理しておられる。
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本堂 その奥にある収蔵庫の扉を開けていただいて拝観。
白鳳時代に製作された薬師三尊「石造浮彫薬師三尊像」と伝わる。
「日本最古の石仏」といわれ重要文化財に指定されている。
かつてあった粟原寺(廃寺)の三重塔の四方仏で粟原川の氾濫で流れ出た。という伝承があるという。
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本殿のこちら側からなら撮影してもよいとのことでデジカメで写す。
石仏はきれいで色白、汚れもなく彩色が少し残っていた。
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境内には石仏が多い。
忍坂街道の碑のある道を下る。
赤坂天王山古墳
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説明版がある。
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左へ入って3号墳 小さい入口から中を覗いた。開口部に残る閉塞石は1枚の石ではなくて小さい石を積み重ねたものとのこと。
石が小さければ盗掘しやすそうと思ったが、そうでもないらしい。
続いて1号墳へ。ここは中へ入った。
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一号墳 狭い入口からもぐり込む。
玄室でやっと立ち上がれた。縄掛突起のある家型石棺が見えた。 天井石(手前の2石)
他の人の灯り頼り、しかも暗いので写真は無理。
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出口へ向かう人 中から這い出してきた人
探検気分で面白かった。
ずっと下って忍坂山口神社へ。
忍坂山口神社のある森が見えてきた。
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忍坂山口神社は奈良の山口神社14社の内、特に重要な山口神社(大和六所山口神社)の1つ。 右)遠目からもそびえていたクスノキの巨樹 デカい。
説明版によると「初代クスノキは金閣寺の天井板に利用されたと言い伝えあり、今あるのは2代目のクスノキ」とか。
これで今日の予定は終了。朝倉駅へ戻る。
外鎌山登山、石井寺の石造浮彫薬師三尊像、赤坂天王山古墳、忍坂山口神社の巨樹、など変化に富んで見どころいっぱいのコースだった。
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外鎌山(とかまやま)登山口 前に登った時にはなんともなく登ったように思うが、ふうふう。
外鎌山頂上に到着。標高292.5m
万葉集で「忍坂の山」と詠まれたのは外鎌山のことらしい。
また高円山・恩坂山・小倉山とも言われていたそうだ。
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見晴らしがいい。 大和三山がはっきり見えた。あべのハルカスが見えるというが、大阪はかすんでいる。
ここは南朝ゆかりの地で、山上には多武峰の力を得て築いた砦・外鎌城があったらしい。
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「南朝忠臣 西阿」と書かれた墓碑があった。枯葉の中に横たわって?いた。
「西阿(さいあ)」初めて聞く名。楠木正行について四条畷で戦い、討ち死にしている。
楠木正行一行は戦出発の前、吉野・如意輪寺に詣で、正行が矢じりで扉に辞世の句を刻んだ。その扉を過去帳に見立てて一族郎党が名前を刻んだという。その中に「西阿」の名前もあるという。
そんな緊迫した過去は全く感じない静かな山上だ。
反対側、忍坂(おっさか)へ下る。(「忍坂」は「押坂」と表示されている時もある)
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鏡女王押坂墓(談山保存会が管理)
右)細い谷川に鏡女王が天智天皇の歌にこたえて詠んだ歌碑が建つ。
「秋山の木(こ)の下隠(したがく)り行く水の我れこそ増さめ思ほすよりは」
(こんな熱い時もあったのに後に天智天皇は中臣鎌足に鏡女王を下賜するなんて・・個人的感想・・)
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舒明天皇押坂内陵(段ノ塚古墳)の前を下る。
右)神籠石(じんごいし) 神武天皇東征の折、この地にいた八十建(やそたける)を討つ際にこの石に隠れ石垣を巡らし盾にしたという大石。火の見櫓は昭和に移設されたもの。
高円山 石井寺
今は無住寺で地域の方が管理しておられる。
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本堂 その奥にある収蔵庫の扉を開けていただいて拝観。
白鳳時代に製作された薬師三尊「石造浮彫薬師三尊像」と伝わる。
「日本最古の石仏」といわれ重要文化財に指定されている。
かつてあった粟原寺(廃寺)の三重塔の四方仏で粟原川の氾濫で流れ出た。という伝承があるという。
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本殿のこちら側からなら撮影してもよいとのことでデジカメで写す。
石仏はきれいで色白、汚れもなく彩色が少し残っていた。
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境内には石仏が多い。
忍坂街道の碑のある道を下る。
赤坂天王山古墳
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説明版がある。
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左へ入って3号墳 小さい入口から中を覗いた。開口部に残る閉塞石は1枚の石ではなくて小さい石を積み重ねたものとのこと。
石が小さければ盗掘しやすそうと思ったが、そうでもないらしい。
続いて1号墳へ。ここは中へ入った。
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一号墳 狭い入口からもぐり込む。
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玄室でやっと立ち上がれた。縄掛突起のある家型石棺が見えた。 天井石(手前の2石)
他の人の灯り頼り、しかも暗いので写真は無理。
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出口へ向かう人 中から這い出してきた人
探検気分で面白かった。
ずっと下って忍坂山口神社へ。
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忍坂山口神社のある森が見えてきた。
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忍坂山口神社は奈良の山口神社14社の内、特に重要な山口神社(大和六所山口神社)の1つ。 右)遠目からもそびえていたクスノキの巨樹 デカい。
説明版によると「初代クスノキは金閣寺の天井板に利用されたと言い伝えあり、今あるのは2代目のクスノキ」とか。
これで今日の予定は終了。朝倉駅へ戻る。
外鎌山登山、石井寺の石造浮彫薬師三尊像、赤坂天王山古墳、忍坂山口神社の巨樹、など変化に富んで見どころいっぱいのコースだった。