みどりの野原

野原の便り

2月18日 丹羽佐吉 参道狛犬 水分神社 奈良カエデの郷ひらら(旧宇太小学校)

2017年02月18日 | Weblog
知り合いからの情報で丹波佐吉と狛犬のお話を聞きに行ってきた。

会場は「奈良カエデの郷ひらら」廃校になった旧宇太小学校を活用している。
校舎や教室の雰囲気もよく残されている。

 
            昔懐かしい木造校舎

 
許可を得て教室も少し見たが、時間不足 またゆっくり来たい。
               右)世界のカエデが1200種 3000本もあるとか。

さて、今日の講演は「参道狛犬文化の中の丹波佐吉」

日ごろ、神社などに行った時見る狛犬。写真は撮っている。
子連れの姿も様々で可愛い。1つの石から台も子獅子も彫り出されているもの。銘の残るものは親しみがわく。彫刻の模様がいいもの。シンボルを見つけてわいわい言ったり・・
自分なりに楽しんでいる。
狛犬の他、道標や石仏なども丹波佐吉のは何か惹かれるものがある。

でも、狛犬のことも佐吉のことはあまり詳しくは知らないので、今日の機会はうれしい。
(以下、聞き違い勘違いあるかも。お許し下さい)

「参道狛犬」とか「浪花狛犬」という言い方は知らなかった。

「浪花狛犬」は、関西に多く見られるもので、蹲踞の姿勢のものが多い。
「参道狛犬」とは「拝殿内や神域」以外の「参道や拝殿前に置かれたもの」をいうらしい。

狛犬は仏教伝来とともに伝わり、はじめは仏像と共に内部に置かれていたらしい。
金属・木・石・陶器など材質もさまざま。

佐吉については記録が残されている。
佐吉は5歳で孤児になり、旅の石工難波伊助に引き取られ、石工の道へ。
20歳の頃、旅の石工となり各地で修行、腕を上げる。
最初に佐吉の銘の入った狛犬が奉納されたのは弘化4年(1847)(東近江市佐野・天神社)32歳の時。ちょうど、江戸中期以後ブームになった浪花狛犬がその流行のピークを迎えた頃。
その後、佐吉はあちこちで素晴らしい仕事をして名声を得る。

宇陀の地へ来たのは37歳の頃。依頼を受けて宇陀の大師山の四国88ヶ所石仏群制作のため弟子達10人と3年かけて石仏群を作っている。
(狛犬はピークの後、徐々に形式化 大量生産の時代になってくる)

佐吉は48歳の頃病を得て、後、丹波大新屋で最後となる不動明王を制作(慶応元年・1865)した後、ひっそりと姿を消したそうだ。もうすぐ明治になる少し前、51歳だったという。

宇陀大師山(平井大師石仏群)は前に行ったことがある。
h26年9月25日 ブログにも書いているはずだが、他所へ行った帰り、偶然「石仏群」の矢印を見つけて細い道を入って行った所、そこは四国88ヶ所霊場巡りになっていた。
信仰心のない私は「なーんだ 霊場巡りか」と思ったが、少し歩いてみることにした。
山道の傍らに「○番○○山○○寺 大日如来」とかの札があり、他にも石像や石塔などがある。何となく見ていたが「これちょっとすごくない?」と目に留まるものがあり、その中に佐吉の銘の入ったものもあった。「来てよかったね」となったわけだ。

狛犬の設置場所・石材・全体の形・顔・耳・目・鼻・あごひげ・たてがみ・脚・奉献の文字・銘や奉納年月日 奉納者・世話人など・・・見方を教えてもらった。
台座と言っていた部分は「州浜」という名があることも知る。 

佐吉の狛犬にも変遷があること。
佐吉の狛犬は彫りの深さ・力強さ・州浜の枠線など特徴があるが「短絡しないでください」と先生のお言葉。「こうなっていれば佐吉作」とは言えないということだ。
村上源照信・村上佐吉・照信の銘のものもある。

丹波佐吉の石造物はどこか違うところがあり、前にも通りかかった布袋像に妹が目を止めた。そして後ろに回って佐吉の銘を見つけたことがある。後で有名なものと知る。

佐吉作でないが、好きな狛犬もいる。地元の人らしい石工銘があるのもうれしい。

狛犬など、それを目的とせずに歩くので、ゆっくりとは見れないかもしれないが、少し見方がわかった分、見る目も違って楽しめるのではないかと思う。

講演の後、近くの宇陀水分神社中社へ。
水を守る神で、別に下社と上社がある。

水分神社中社へは前に夫婦杉を見に来たことがある。

鳥居の前の狛犬は丹波佐吉の作。

 
左の狛犬(吽)は耳と州浜の所がちょっと欠けていた。 
        右)尾の形で時期が分類できるらしい。合わせてみると第3期の尾 かな?

 
右の狛犬(阿) 上記(左の吽像)とはたてがみの流れ方が違う。
                  右)奉献の字の深い彫り。手がすっぽりと入る。
石の色が薄赤いのは「阿蘇の赤石」という石材を使っているからという。

「阿蘇の赤石」どこかで見たぞ。阿弥陀如来だったかお地蔵さまだったか・・・薄赤い色をした確か立像だった。過去のピクチャーを検索してもでてこない。 ま。いいか。

「阿蘇の赤石」、阿蘇=熊本ではなく、大師山近くの阿蘇の山の石だということ。
ええ~っというほど驚いた。
赤いのは水銀を含むからとか。確かにこの辺に水銀鉱山があったことは聞いたことがある。
佐吉は地元の石を使って制作したわけだ。

そして、弟子10人と言っても彫り手ばかりでなく、石の採取や他の作業に関わった人も含むというのは参加者の方が言っておられた。
参加者には相当詳しい人もおられるようだった。狛犬を彫っているという他府県からの方も。講師先生は「狛犬でこんなに集まるとは思わなかった」とおっしゃってた。

  
3棟が並ぶ「本殿」は鎌倉時代の建築で国宝に指定されている。 
        右)本殿前の両脇に建つ永世燈 これも佐吉の可能性ありとか(無銘)。

もう少しゆっくり見たいところはまたの機会に。いろいろ勉強になった。
コメント
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