みどりの野原

野原の便り

2月28日 橿原神宮 深田池 ヒドリガモ トモエガモ 今井町 蘇武エノキ

2017年02月28日 | Weblog
橿原神宮の探鳥会に参加

 
   橿原神宮そばにある深田池     向こう岸の木はカワウの糞で真っ白。


ヒドリガモやオオバンが人懐こく寄ってきた。お天気が良く間近ではっきり見れる。


水鳥の雌はわかりにくいが、ヒドリガモの雌は頭の黄色い帯はないがくちばしの先が黒いのでわかりやすい。


トモエガモがいるという。中央のがそうらしいが、木陰で色がよく見えない。
南の山裾に遊歩道が付くまではオシドリの姿も見たけれど、最近は見なくなった。

他にはカワウとマガモぐらいだった。

休憩所の屋根にイソヒヨドリ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。きれいな色。

1890年(明治23年)に創建された橿原神宮
橿原神宮拝殿では、日本書紀や古事記を参考に描かれた神武天皇一代記絵巻が展示されていた。
大昔からあるように見える神宮の森は、神武天皇即位から2600年にあたる昭和15年。その記念事業として神域の拡張整備が行われ、その一環として全国からの献木と動員で植栽された。75年の森。
     
ノスリがゆうゆうと頭の上を飛んだ。アオジが地面で何かつついていた。

私は、若桜遊苑の近くにあるイトクの森古墳(池田神社)へ、ちょっと寄り道。
全長約30メートルの前方後円墳だったが、現在は後円部だけがわずかに残っている状態。
古墳時代前期の古墳と推定されているそうだ。

 
その後円部の上に建つ池田神社

 
塀の内側の狛犬を確認したかった。 右の狛犬の台石に「石工・サクラ井 平井庄造」の刻字がはっきりと読めた。 
明治25年(1892)2月の建立らしい。(ネット記事による)

平井庄造は先日の広陵町の記三上神社の灯篭にも書かれていた名。
時代を見ても櫛玉命神社の狛犬の作者「桜井駅石工 平野屋庄蔵(信繁)」とは別人ですね。


 神武天皇陵 文久3年(1863)今のところを天皇陵に定める。 

 
2代天皇とされる綏靖天皇陵 明治11年(1877)  高いところにヤドリギが見えた。

お昼前、橿原神宮の森を出て、今井町へ陸橋を渡る。


 今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」

その前の飛鳥川沿いに近年整備された公園でお弁当を食べた。

公園には「蘇武井(そぶのい)」や「子安地蔵」の復元されたものがあったが、弁当を食べた後、用事があるので皆さんと別れ、公園の端に昔からある本物を見て帰った。

 
これが、元からある「蘇武井」良質な水がこんこんと湧いたという。朝の水汲みのつらさを唄った碑が公園に建っていた。右横のお堂が「子安地蔵」   右)「蘇武橋のエノキ」
聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ通われた途中、愛馬「黒駒」に蘇武井水を飲ませたという伝説もあるという。

皆さんは午後から寺内町として栄えた今井町の歴史的建造物の残る町並みを見学される予定だそうだ。
コメント
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