またまた明日香 今日は史跡巡りウォーク。 少しコースも違う。
①中尾山古墳
2020年の発掘調査で、詳しい規模や構造が判明。
三段築成の八角墳であることが再確認された。
外周の石垣が三重にめぐっていたこと、広範囲に石敷きが廻っていたこと、横口式石槨の内部壁面は磨き上げられ、全面に水銀朱が塗られていたこと。
火葬骨を納めた器を安置する場所と思われるくぼみがあることなど、内装施設の具体的な構造などが判明。被葬者は文武天皇の可能性が極めて高いと、ニュースになった。
中尾山古墳 今は埋め戻されてただの小山。
中尾山古墳の脇に咲いていた1輪のササユリ
②文武天皇 檜隈阿古岡上陵
明治時代に宮内省によって治定され、今も「文武天皇 檜隈阿古岡上陵」
考古学名は「栗原塚穴古墳」 宮内省管轄で調査はできない。
稲渕の棚田 草地が増えているように見えた。
去年に作られたジャンボ案山子「志村けんのバカ殿様」
志村けんさんが亡くなった今も棚田を見守ってくれている。
勧請綱 その形から「雄綱」と言われている。
川下からくる災いを防ぎ、子孫繁栄と五穀豊穣を祈る。
上流の栢森には「雌綱」がある。
午後
③南淵請安の墓へ。
「南淵先生墓」の道標を登る。
「先生」は「センジョウ」と読むそうだ。知らなかった。
南淵請安(みなぶちしょうあん)墓
南淵請安は、飛鳥時代の僧。稲渕に居住していたと伝わる。
推古天皇の時、608年、第3回遣隋使の学問僧として、高向玄理や僧 旻など8名と共に大使 小野妹子に随行。
640年に帰国するまで32年間、隋から唐への時代の移り変わりをつぶさに見て来た。
飛鳥では、中大兄王子・中臣鎌足が、横暴を極める蘇我氏を倒すために語らい、南淵請安に「周孔の教」を学ぶ。
蘇我氏を倒し、大化改新を推進するにも、南淵請安の知識が生かされたことだろう。
飛鳥川 飛び石
飛鳥川を飛び石伝いに渡る。
④都塚古墳
昔は「金鳥塚」と言っていた。
2014年の調査で、ここが国内に例のない、東西葯40m、南北葯42mの「階段ピラミッド状」の方墳であることが判明し、ビッグニュースとなった。
石積みの階段が8段ぐらいあったらしい。周濠跡も見つかったとか。
一帯は蘇我氏の拠点地域で、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳に近いことから、被葬者は馬子の父、蘇我稲目の可能性が極めて高いとのこと。
都塚古墳 この小山からは階段ピラミッドは想像できない。
代わりばんこに石室の中を覗く。
蓋のずれたくりぬき型家型石棺が見える。
墳丘の上にも登ってみた。
石舞台公園で解散となる。