毎年1月2日はウォーキングするのが恒例なのだが・・
車で広陵町あたりの神社を回ることになった。
琴平神社 灯籠には「金比羅社」と彫ってある。
こじんまりした社。
厳島神社 灯籠の右側に集められた3基の道標がある。
1組の家族が参拝を終えて帰ると、私たちだけになった。
拝殿奥の本殿の前まで行って参拝できる。
変わった形の神紋は 巴紋? 勾玉紋?
そんな関係の紋を調べてみたがわからなかった。
狛犬は「天保4癸巳」の年号が彫ってあった。
「石工 大坂下寺町源正寺阪之下 みかげや? 新六」と読めた。
石工名がわかると親近感が湧く。
三吉石塚古墳のそばを通ったので立ち寄った。
帆立貝式古墳。墳丘には葺石が葺かれ、埴輪が並ぶ。
出土遺物に基づいて制作された複製品だとか。
古墳の周りは墓地が取巻いている。
讃岐神社
昔話「かぐや姫」に出てくるおじいさんが「讃岐造」という所から、竹取物語ゆかりの神社としている。
広陵町のマンホール かぐや姫のまち 竹と雲?のデザイン
小北稲荷
厄除祈願の幟が並んでいた。
拝殿前にはお焚火。太い木が燃えていた。
お焚火はうれしい。しばらく火のそばにいた。
玉垣の中に「千本樫」
正楽寺観音堂
本尊は2mを超す木造十一面観音立像だとか。
隣り合わせで八坂神社がある。祭神は素戔嗚尊。
昔は神仏習合の神社と神宮寺だったのかも。
境内には「八坂神社のケヤキ巨樹」
古くから開けた平野部にあって、有用樹が伐られないで残り巨樹となっているのは珍しく貴重とのことで、広陵町の天然記念物に指定されている。
今日回った神社はほとんど来たことがあるが、その場に来てみないと思い出さないところもある。
正月2日というのにほとんど参拝客にも会わず、静かにお参りできた。
今日は楽々車で移動で運動にはならなかった。
お墓参りもして帰った。
氏神さまで年越し。
新年おめでとうございます。参拝の列に並ぶ。
神社の神紋は「胡瓜紋」だ。
帰ってから年越しそばを食べて、少し遊んでから就寝。
朝、年賀状を受け取り、友人の近況などを読むのは毎年の楽しみです。
子ども達や夫はゆっくり起きて、お昼に揃ってお節をいただく。
大人ばかりの正月。昔ながらのお節とお雑煮
古風なお節でも家族が喜んで食べてくれるのがうれしくて作る。
去年1年の家族への感謝を込めて。
今年もよろしくの意味も込めて。
家族元気で穏やかな新年。ありがたい。
午後はちょっとひと歩きしよう。
子供たちは、”昨日も歩いたので、今日はほんの短めの距離”を希望。
操作橋を目標に決めて出発。
曽我川緑地公園をぐるりと回りこんだ西側
ヒマラヤザクラはまだ花殻が残っていた。
いつも通るところとは反対側になるので花が咲いているのをしっかり見たことがない。
西へ回って曲川大橋のそば。
無数に付いたカキの実 熟れ熟れでオレンジ色。
曽我川左岸を南へ歩き・・
伊勢街道(長谷街道 古代の横大路)曽我川に架かる豊津橋に出る。
西詰には太玉神社を案内する道標。
東詰には龍田 法隆寺 堺 大阪を示す立派な道標が建つ。
南へ行くと高取川が合流する。
高取川に架かる橋
その名も「操作橋」 うちの家族にはおなじみの橋だ。
そばに取水口があり、この設備はそれに関連した装置と思われる。
「操作橋」の名は水門を操作する装置のそばにあるという意味なのか?
いつ頃できた橋なのか? 知りたい。
ここが今日の目的地。
取水口の道を挟んだ北側は暗渠となり、集落の中を通って水が運ばれるようだ。
帰りは集落の中を通り、天高市神社へ詣でる。
天高市神社(曽我八幡神社)
主祭神は事代主命 ご神紋は「橘」
説明板によると『日本書記に、天の岩戸に天照大神がお隠れになった際、八百万の神々が天高市の地にお集まりになり、天照大神が元の生業にお戻りいただくようご相談された伝承の地と伝わる』
上記の説明板の記述は「日本書記第7段一書(一)」によるもののようだ。(ネット)
2㎞ほどごく短距離の初ウォーキング?散歩?だった。