キトラ古墳の玄武の描かれた石室北壁が公開されるというので見学に行った。
壺阪山駅から歩く。
有名になった高取のひな祭り。その準備中とのこと。どんなお雛様が出来上がるのかな?
右)高取川 春の小川の雰囲気
キトラ橋 下を流れるのは川ではなく「大和平野東部幹線水路」蓋がされている。
北側?は「8号隧道」となって地下へ。南側?は蓋つきの水路が続いていた。
下渕頭首工で吉野川から取水した水を、御所市樋野にある東西分水工で東西2つの水路に分けられ、この東部幹線水路は高取町から明日香村~桜井市~天理市~奈良市~大和郡山市へと流され農業用水などに使われる。
*2011(h23)6月4日にうちの子供たちと一緒に「樋野分水工」や「下渕頭首工」を回った時のブログ記事あり。 左の下のバックナンバーで2011年を選び、その上にあるカレンダーで6月4日をクリックすると 記事が見られます)おもしろかったです。
橋のそばのサクラの枝にミノムシが2匹 オオミノガ健在。
復元されたキトラ古墳が見えてきた。周囲は公園化して前にみたキトラ古墳と同じ場所とは思えない。
近くに住むものは何気なく「キトラ古墳」と言っているが、考えてみれば変な名
キトラの名の由来には 住所の小字「北浦」から。「亀と虎」の壁画が見えたからなど諸説あるようだ。
階段を降りたキトラ古墳壁画体験館で受付後、階段を上がった本館へ。
10年がかりの修理を終えた「玄武の描かれた北壁」と破片を集めて復元した「盗掘孔」「出土物」などが今回の特別展示。
玄武はわかるが下の12支像3体はごく一部しかわからない。横に描かれた「絵」と何度も見比べた。
これが石室の奥にあった実物だと思うとやはり感激。
その後、下の壁画体験館へ。
前に2度ほど来たがどちらもちょこっと立ち寄った程度だったので、一度ゆっくり見たかったので、今日は時間をかけて見学した。
一番の見どころは入ってすぐの原寸大石室(石槨)高さは1.2m足らず(矢印が底石 GL)狭い。
こんな狭い空間の中で四神や12支像 天文図などの壁画を描くのは大変だっただろうな。
右)閉塞石と盗掘孔 孔をあけるのも容易ではなかっただろう。ある意味感嘆。
盗掘孔の左面に(写真では見えないが)朱雀の壁画。「朱雀」が傷つけられなかったことは奇跡的だ。
キトラ古墳の築造 丘の斜面を削り、墳丘ができるまでを映像で見る。
底石を置いて周りを突き固め、壁石を積んでまた付き固めして・・いったん石室全体を埋めた後、墓道を掘り取る。なるほど。・・でその時閉塞石は? 取り外した?搬入した?
その後、漆喰を塗り、壁画を描き、石棺を納めて葬送儀礼をして埋め戻す。
映像はわかりやすい。
石室の組み立てパズル 凝灰岩と漆喰を塗った壁 触ることができる。
中央の天井に拡がる星空は「現存する世界最古の科学的な天文図」赤道や黄道が描かれた中国式の星座が描かれている。
右)4面には巨大スクリーンがあり、四神などをズームして見せてくれる。朱雀の51.3培像
壁画の修復の展示
これを見ると本当に苦労がしのばれる。
漆喰は「生クリーム」のよう。壁画は「酒粕」のような状態だったらしい。
漆喰は剥落し、大きく浮き上がり、亀裂があり、現地保存がむつかしいと判断され「はぎとり保存」されることになった。
前代未聞の超困難な作業を行うために、キトラ古墳の壁画修復のためだけに道具や機械も工夫され手作りされた。
手術道具のような修復道具や筆など 修復個所に合わせて手作りされたらしい。
ゆっくり見るには時間がかかるが見ごたえがあった。
キトラ古墳壁画体験館
帰りは飛鳥駅へと歩く。
途中、於美阿志神社(檜隈寺跡)へも立ち寄ったが、公園近くには新しい建物が建ち、新しい道が交差し、旧道を帰ろうとしてちょっと迷ってしまった。
壺阪山駅から歩く。
有名になった高取のひな祭り。その準備中とのこと。どんなお雛様が出来上がるのかな?
右)高取川 春の小川の雰囲気
キトラ橋 下を流れるのは川ではなく「大和平野東部幹線水路」蓋がされている。
北側?は「8号隧道」となって地下へ。南側?は蓋つきの水路が続いていた。
下渕頭首工で吉野川から取水した水を、御所市樋野にある東西分水工で東西2つの水路に分けられ、この東部幹線水路は高取町から明日香村~桜井市~天理市~奈良市~大和郡山市へと流され農業用水などに使われる。
*2011(h23)6月4日にうちの子供たちと一緒に「樋野分水工」や「下渕頭首工」を回った時のブログ記事あり。 左の下のバックナンバーで2011年を選び、その上にあるカレンダーで6月4日をクリックすると 記事が見られます)おもしろかったです。
橋のそばのサクラの枝にミノムシが2匹 オオミノガ健在。
復元されたキトラ古墳が見えてきた。周囲は公園化して前にみたキトラ古墳と同じ場所とは思えない。
近くに住むものは何気なく「キトラ古墳」と言っているが、考えてみれば変な名
キトラの名の由来には 住所の小字「北浦」から。「亀と虎」の壁画が見えたからなど諸説あるようだ。
階段を降りたキトラ古墳壁画体験館で受付後、階段を上がった本館へ。
10年がかりの修理を終えた「玄武の描かれた北壁」と破片を集めて復元した「盗掘孔」「出土物」などが今回の特別展示。
玄武はわかるが下の12支像3体はごく一部しかわからない。横に描かれた「絵」と何度も見比べた。
これが石室の奥にあった実物だと思うとやはり感激。
その後、下の壁画体験館へ。
前に2度ほど来たがどちらもちょこっと立ち寄った程度だったので、一度ゆっくり見たかったので、今日は時間をかけて見学した。
一番の見どころは入ってすぐの原寸大石室(石槨)高さは1.2m足らず(矢印が底石 GL)狭い。
こんな狭い空間の中で四神や12支像 天文図などの壁画を描くのは大変だっただろうな。
右)閉塞石と盗掘孔 孔をあけるのも容易ではなかっただろう。ある意味感嘆。
盗掘孔の左面に(写真では見えないが)朱雀の壁画。「朱雀」が傷つけられなかったことは奇跡的だ。
キトラ古墳の築造 丘の斜面を削り、墳丘ができるまでを映像で見る。
底石を置いて周りを突き固め、壁石を積んでまた付き固めして・・いったん石室全体を埋めた後、墓道を掘り取る。なるほど。・・でその時閉塞石は? 取り外した?搬入した?
その後、漆喰を塗り、壁画を描き、石棺を納めて葬送儀礼をして埋め戻す。
映像はわかりやすい。
石室の組み立てパズル 凝灰岩と漆喰を塗った壁 触ることができる。
中央の天井に拡がる星空は「現存する世界最古の科学的な天文図」赤道や黄道が描かれた中国式の星座が描かれている。
右)4面には巨大スクリーンがあり、四神などをズームして見せてくれる。朱雀の51.3培像
壁画の修復の展示
これを見ると本当に苦労がしのばれる。
漆喰は「生クリーム」のよう。壁画は「酒粕」のような状態だったらしい。
漆喰は剥落し、大きく浮き上がり、亀裂があり、現地保存がむつかしいと判断され「はぎとり保存」されることになった。
前代未聞の超困難な作業を行うために、キトラ古墳の壁画修復のためだけに道具や機械も工夫され手作りされた。
手術道具のような修復道具や筆など 修復個所に合わせて手作りされたらしい。
ゆっくり見るには時間がかかるが見ごたえがあった。
キトラ古墳壁画体験館
帰りは飛鳥駅へと歩く。
途中、於美阿志神社(檜隈寺跡)へも立ち寄ったが、公園近くには新しい建物が建ち、新しい道が交差し、旧道を帰ろうとしてちょっと迷ってしまった。
行ったことないけど 道 解りやすかったですか
半分の時間で行けると聞いてますが
飛鳥駅からしか歩いたことなくて
坂道ばかりでしんどいです
最初の行 北壁で
前のブログ読み返しました
すご~い
壺阪山駅から普通に歩けば15~20分で行けるのでは。
私、道草が多かったので余分にかかりましたが。