みどりの野原

野原の便り

9月28日 田原本周辺 秦楽寺 多神社 クスノキ巨樹 アオスジアゲハ幼虫 イスノキ

2014年09月28日 | Weblog
田原本町周辺は弥生時代から人が居住していた所。笠縫から黒田へ歩いた。
古い伝説伝承のある地域だ。太子道の名残も見られる。 説明付きウォーキング

秦楽寺(じんらくじ)(秦庄)
 
付近は秦氏の居住地 聖徳太子の家臣 秦河勝の創建といわれる秦楽寺。
本尊は聖徳太子が百済国より献じられ秦河勝に贈られたと伝わる楠一木作りの「十一面観世音菩薩立像」  右)空海が三教指帰(さんごうしいき)執筆中に騒がしく鳴くカエルに静かにするように叱って以来、騒がしく鳴かないという伝説のある阿の字池  中国風の山門が変わっている。

多神社(多坐彌志理都比古神社)(多)
 
初詣に行くおなじみの多神社。静かな雰囲気が好き。 右)墓誌レプリカ
資料館には 弥生時代の田んぼ遺跡に残る足形の写真や出土した土器などや太安萬侶の墓誌のレプリカや古事記の写本もあった。
太安萬侶は古事記を編纂をしたといわれる人物だが、このあたりに居住していた多氏一族が祖先らしい。        
邸宅跡は平城京左京から発見され、奈良市此瀬町の墓からは墓誌が発見。
出身地・居住地・墓 がはっきりしている人物は珍しいという。
宮司さんは安麻呂から数えて51代目だそうだ。

 
    オガタマノキ や ナギに実ができていた。

安楽寺(矢部)

安楽寺は南北朝時代作の「絹本着色融通念仏縁起絵」(重文)を所蔵。厳重に保存されているよう。

藤井シイタケ園では菌床栽培の様子を見学した。

 
コナラやクヌギなどの落葉樹を粉砕して栄養剤と混ぜたものが菌床となる。温度と湿度管理が大事。菌を付けて一週間のシイタケ 菌床は何度か使用できる。

連休寺は山号を薬王山という。(薬王寺)

薬王寺の護摩堂が写されてこの寺になったともいわれるらしい。
このあたりの地名は薬王寺 今、薬王寺という寺はない。
 
本堂に安置されている阿弥陀如来立像(木像)は元薬王寺の旧仏と伝わる。
右)本堂の前に宝篋印塔の傘部分が反対向けに置かれ植木鉢の台になっていた。

八幡神社(薬王寺)
ここには歴史を物語るような巨木があった。
 
県天然記念物 クスノキ巨木 人が手をつないで幹周りを計る。幹周6mの表示があったが10mぐらいはありそうだ。まだまだ元気いっぱい。 あやかりたい。

 
大クスのそばの小社のカラフルな狛犬?。
      右)社の柱についていたのは アオスジアゲハのサナギ
大クスの葉をいっぱい食べて育った健康優良児だろう。

保津の環濠 鏡作伊太神社(宮古)に続いて

法楽寺(黒田)
板絵図によると法楽寺は大伽藍で、
孝霊神社(黒田)は法楽寺の鎮守社であったらしい。
この辺りは古事記・日本書紀による桃太郎伝説の地でもある。

黒田大塚古墳(黒田)
6世紀前半に築造された。昔は周溝がありもっと規模が大きかったとか。
ここで解散となった。

途中で見たもの
 
クチナシの垣根についていたオオスカシバの幼虫 大小多数付いていたので丸坊主になりそう。  右)ヒマ(トウゴマ) 植栽 ベニヒマと言った方がいいのかも。 

 
イスノキは鈴なりの果実 一枝もらって花瓶に挿しておいた。
その後数日、部屋の中にぽつぽつと黒いものが落ちていて、よく見たらイスノキの果実がはじき出した種子だった。部屋の端まで飛んでいる。  
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