今日も有料ボランティアさんをお願いしている。
午前中は洋館巡りなど土手町界隈ぶらぶら歩き
カツラの街路樹 サクランボの街路樹(残念ながら花が終わって実はまだ?)
弘前昇天教会 英国系の教会で大正10年 米国人設計で日本人の大工が請け負った レンガはイギリス積みという積み方らしい。司祭さんは不在で日曜日だけ祭礼が行われているとのことで内部へは入れなかった。
昨日も通ったレンガ倉庫 元は酒造会社の酒蔵だったとか。倉庫の前には 倉庫で展覧会を開いたアート作家の「白い犬」が置かれている。
弘前城に通じる土手町通りは電柱のないスッキリした町 下土手町のスクランブル交差点
土手町は下土手 中土手 上土手と3つに分かれている。城に近い方が「下」になるという。
交差点にある菊池薬局は古くからあり、建て替えられる前は今は1つだけかかっている金看板がぐるりと巡らされていたとか。せっかくなら残せばよかったにのにと思う。
右)後で行ったミニチュア建造物で昔の姿が見れた。
「えぐきたの もっけ あづばる あずまし むらこ」?? 屋台村の前に青森弁が書いてあった。 こんな言葉で話しかけられたら・・ 「おら わがんね~」
もっけ=積極的な意味 あずばる=集まる あずまし=気持ちいい むらこ=なんだった?」 けやぐ=友達 だべり=しゃべり
ねこ=ねご いく=いぐ と濁点の発音になるのも特徴のよう。
方言っておもしろい。でもだんだん方言を話す人も少なくなっているらしい。
元呉服屋(角三呉服店)の建物は青森銀行津軽支店として使用された後、市に寄付されて「白石町展示館」に 銀行のカウンターが残る
弘前カトリック教会 祭壇
前を通り過ぎた時目を引いた石場旅館 これも明治の建築で板垣退助も泊まったとか。
弘前教会 プロテスタント系の教会だとか シンプルな礼拝堂
ツルで編んだ 寄付入れ? 2階には和室があり和洋折衷
三上ビル 昭和2年の建築 津軽塗のお店 工程の多さは驚くばかり。
青森銀行記念館 元は第五十九銀行本店 日本で59番目の国立銀行 明治の木造建築
右)2階の窓は年月が経った今も指1本で上げ下げできる。その外側は防火を考えた漆喰の戸になっている。
2階の天井に施された金唐皮紙
青森産のケヤキを柱に使い階段の手すりに擬宝珠 防火対策として漆喰が使われるなど日本の技法も取り入れられている。 銀行当時の展示があった。
見てきた洋風建築の多くに設計者として関わっているのが堀江佐吉
堀江佐吉は明治時代の大Ⅸ棟梁 その子供たち(長男・4男・6男・7男)も含め洋風建築を手がけてきた偉大な人物だと知った。特に誰に学んだということはないそうだがすごいなあ。
旧弘前図書館 裏手にある「ミニチュア建造物群」
旧東奥義塾 外人教師館は当時招かれていた外人教師のための宿舎
2階にはサンルームがあり、ブランコが作りつけてあった。子供部屋もあった。
歴代教師の写真が飾られていた。 家族ぐるみでの赴任だったのだろう。
1階のカフェでアップルパイを食べた。
午前の部の案内が終わって、解散になった弘前市立観光館の「山車展示館」
米山 大根山 他、歴史的なものを物語にした各町内会の山車
これで午前の部終わり。 次へ続く。
午前中は洋館巡りなど土手町界隈ぶらぶら歩き
カツラの街路樹 サクランボの街路樹(残念ながら花が終わって実はまだ?)
弘前昇天教会 英国系の教会で大正10年 米国人設計で日本人の大工が請け負った レンガはイギリス積みという積み方らしい。司祭さんは不在で日曜日だけ祭礼が行われているとのことで内部へは入れなかった。
昨日も通ったレンガ倉庫 元は酒造会社の酒蔵だったとか。倉庫の前には 倉庫で展覧会を開いたアート作家の「白い犬」が置かれている。
弘前城に通じる土手町通りは電柱のないスッキリした町 下土手町のスクランブル交差点
土手町は下土手 中土手 上土手と3つに分かれている。城に近い方が「下」になるという。
交差点にある菊池薬局は古くからあり、建て替えられる前は今は1つだけかかっている金看板がぐるりと巡らされていたとか。せっかくなら残せばよかったにのにと思う。
右)後で行ったミニチュア建造物で昔の姿が見れた。
「えぐきたの もっけ あづばる あずまし むらこ」?? 屋台村の前に青森弁が書いてあった。 こんな言葉で話しかけられたら・・ 「おら わがんね~」
もっけ=積極的な意味 あずばる=集まる あずまし=気持ちいい むらこ=なんだった?」 けやぐ=友達 だべり=しゃべり
ねこ=ねご いく=いぐ と濁点の発音になるのも特徴のよう。
方言っておもしろい。でもだんだん方言を話す人も少なくなっているらしい。
元呉服屋(角三呉服店)の建物は青森銀行津軽支店として使用された後、市に寄付されて「白石町展示館」に 銀行のカウンターが残る
弘前カトリック教会 祭壇
前を通り過ぎた時目を引いた石場旅館 これも明治の建築で板垣退助も泊まったとか。
弘前教会 プロテスタント系の教会だとか シンプルな礼拝堂
ツルで編んだ 寄付入れ? 2階には和室があり和洋折衷
三上ビル 昭和2年の建築 津軽塗のお店 工程の多さは驚くばかり。
青森銀行記念館 元は第五十九銀行本店 日本で59番目の国立銀行 明治の木造建築
右)2階の窓は年月が経った今も指1本で上げ下げできる。その外側は防火を考えた漆喰の戸になっている。
2階の天井に施された金唐皮紙
青森産のケヤキを柱に使い階段の手すりに擬宝珠 防火対策として漆喰が使われるなど日本の技法も取り入れられている。 銀行当時の展示があった。
見てきた洋風建築の多くに設計者として関わっているのが堀江佐吉
堀江佐吉は明治時代の大Ⅸ棟梁 その子供たち(長男・4男・6男・7男)も含め洋風建築を手がけてきた偉大な人物だと知った。特に誰に学んだということはないそうだがすごいなあ。
旧弘前図書館 裏手にある「ミニチュア建造物群」
旧東奥義塾 外人教師館は当時招かれていた外人教師のための宿舎
2階にはサンルームがあり、ブランコが作りつけてあった。子供部屋もあった。
歴代教師の写真が飾られていた。 家族ぐるみでの赴任だったのだろう。
1階のカフェでアップルパイを食べた。
午前の部の案内が終わって、解散になった弘前市立観光館の「山車展示館」
米山 大根山 他、歴史的なものを物語にした各町内会の山車
これで午前の部終わり。 次へ続く。