少しずつ歩いた竹内街道歩き。今回は最終のコース。
少し寒いが、歩くのには絶好の日和。
途中竹内街道は国道歩きとなるのと、国道~岩屋峠に出るコースは前に歩いたこともあるので、国道歩きをなくして、初めての「ろくわたり道」という山道を越えて二上山岩屋峠へ出るコースを歩くことにした。
「ろくわたり道」はマップには健脚コースと書いてある。 さて・・
上ノ太子駅を出てしばらくは町の車道歩き。
幟や植栽のコンテナに「竹内街道」の表示 道標もあり、街道を示す道路舗装など、町をあげて竹内街道を大事に考えているのがわかる。
今までと違って町の中ではあまり迷うことはなかった。
蘇我馬子創建と伝わる妙見寺 右)太子町マンホール
聖徳太子が制定された一七条憲法の「和を以て貴しと為す」の文字入り。
叡福寺の多宝塔 町花サツキ バックは二上山
右)道標(右いせ よしの はせ たいま・・ )
いわれのありそうな六枚橋を過ぎると、だんだん街道の雰囲気も出てくる。
大道 旧山本家住宅 4~5月 9~11月の土日祝日は見学できるらしい。
山の近くになってきた。
「ろくわたりの道」は竹内街道歴史資料館から登る。(資料館は月火曜休館)
山手の畑の分岐右?左? 畑の人に教えてもらう。
車道を超え、気持ちのいい上り坂 枝先にぽつぽつとウグイスカグラが咲いていた。
電柵を超えて山際の細い道。シシ除け柵を開けて入り・・
この後の分岐 このまま進むか、広い道を登るか?
肝心のところに標識がないのが困る。広い道を登る。
又、道路を渡ったところから階段が続く。長ーい階段 急な階段 上り下り・・
尾根道に出た。アカマツ ネジキ モチツツジ さわやか。
上り下り、階段・又階段・・ さすが健脚コース 遥かにアベノハルカスが見えた。
分岐では少し悩み・・
小高い山の頂上かと思うような所に出た。木に「むかい坂」の木札が付けられていた。
狭いところだが、ベンチが1つある。ちょうどお昼時なのでお弁当を食べる。
その後も下ったり登ったり・・
わかりにくい分岐ではちょうど通りかかった人に教えてもらい助かった。
違う道を行くところだった。二上山への登山道はたくさんあるのだ。
だいぶ下らないと行けなさそうな「鹿谷寺跡」を省いてしまったのは残念だった。
見覚えのある二上山の遊歩道に出た。
ツバキの咲く道を下ると岩屋峠
少し下って 岩屋 奈良時代築造の寺の跡らしい。
石窟には仏様が彫られていたのだろうが摩耗してわからない。
右)石窟上部の穴は何か?不思議に思っていたが、木造の覆い屋があったのかも。とのこと。
かろうじて塔とわかる凝灰岩製の多層塔
右)平成10年 台風によって倒れた岩屋杉(樹齢約600年)
左)岩屋峠から 右)祐泉寺への下り道は何回も通ったことがある。
アオキの雄花がもう咲いていた。
裏向き不動尊 覗いたがお留守??
大池には今日もガチョウがいた。今日は近くにいた。
ネットで「ヨーロッパ系のツールーズという品種ではないか」との記載あり。
籠脱けだが、あちこちで見られるらしい。
喉のベロベロしたものは「肉垂」ではなく「喉嚢(こうのう)」との記載もあった。
左)當麻寺北門(黒門)~東大門 仁王像 を通り抜け。
今日は少し下ったところから右折して、竹内集落へ。
近道を教えてもらい、竹内集落にでた。
街道の雰囲気をよく残している民家が並ぶ。 昔の旅姿を想像する。
ネコヤナギ
芭蕉ゆかりの「綿弓塚」に立ち寄る。
俳人松尾芭蕉は「野ざらし紀行」「笈の小文」と、2度ほど當麻に詣で、句を残している。
竹内街道の終点地 長尾神社
今から約1400年前にできた竹内街道。
堺市から始まり、松原市、羽曳野市を経て、奈良県葛城市の長尾神社に至る全長26キロの古代の道。 少しコースを変えながらも歩くことができた。
竹内街道の先には、横大路・長谷・伊勢への街道が続く。
健脚コースを歩き通せたなあと思ったが、帰りの橿原神宮駅の下り階段で膝痛。
ちょっと足に無理をさせたようだ。
少し寒いが、歩くのには絶好の日和。
途中竹内街道は国道歩きとなるのと、国道~岩屋峠に出るコースは前に歩いたこともあるので、国道歩きをなくして、初めての「ろくわたり道」という山道を越えて二上山岩屋峠へ出るコースを歩くことにした。
「ろくわたり道」はマップには健脚コースと書いてある。 さて・・
上ノ太子駅を出てしばらくは町の車道歩き。
幟や植栽のコンテナに「竹内街道」の表示 道標もあり、街道を示す道路舗装など、町をあげて竹内街道を大事に考えているのがわかる。
今までと違って町の中ではあまり迷うことはなかった。
蘇我馬子創建と伝わる妙見寺 右)太子町マンホール
聖徳太子が制定された一七条憲法の「和を以て貴しと為す」の文字入り。
叡福寺の多宝塔 町花サツキ バックは二上山
右)道標(右いせ よしの はせ たいま・・ )
いわれのありそうな六枚橋を過ぎると、だんだん街道の雰囲気も出てくる。
大道 旧山本家住宅 4~5月 9~11月の土日祝日は見学できるらしい。
山の近くになってきた。
「ろくわたりの道」は竹内街道歴史資料館から登る。(資料館は月火曜休館)
山手の畑の分岐右?左? 畑の人に教えてもらう。
車道を超え、気持ちのいい上り坂 枝先にぽつぽつとウグイスカグラが咲いていた。
電柵を超えて山際の細い道。シシ除け柵を開けて入り・・
この後の分岐 このまま進むか、広い道を登るか?
肝心のところに標識がないのが困る。広い道を登る。
又、道路を渡ったところから階段が続く。長ーい階段 急な階段 上り下り・・
尾根道に出た。アカマツ ネジキ モチツツジ さわやか。
上り下り、階段・又階段・・ さすが健脚コース 遥かにアベノハルカスが見えた。
分岐では少し悩み・・
小高い山の頂上かと思うような所に出た。木に「むかい坂」の木札が付けられていた。
狭いところだが、ベンチが1つある。ちょうどお昼時なのでお弁当を食べる。
その後も下ったり登ったり・・
わかりにくい分岐ではちょうど通りかかった人に教えてもらい助かった。
違う道を行くところだった。二上山への登山道はたくさんあるのだ。
だいぶ下らないと行けなさそうな「鹿谷寺跡」を省いてしまったのは残念だった。
見覚えのある二上山の遊歩道に出た。
ツバキの咲く道を下ると岩屋峠
少し下って 岩屋 奈良時代築造の寺の跡らしい。
石窟には仏様が彫られていたのだろうが摩耗してわからない。
右)石窟上部の穴は何か?不思議に思っていたが、木造の覆い屋があったのかも。とのこと。
かろうじて塔とわかる凝灰岩製の多層塔
右)平成10年 台風によって倒れた岩屋杉(樹齢約600年)
左)岩屋峠から 右)祐泉寺への下り道は何回も通ったことがある。
アオキの雄花がもう咲いていた。
裏向き不動尊 覗いたがお留守??
大池には今日もガチョウがいた。今日は近くにいた。
ネットで「ヨーロッパ系のツールーズという品種ではないか」との記載あり。
籠脱けだが、あちこちで見られるらしい。
喉のベロベロしたものは「肉垂」ではなく「喉嚢(こうのう)」との記載もあった。
左)當麻寺北門(黒門)~東大門 仁王像 を通り抜け。
今日は少し下ったところから右折して、竹内集落へ。
近道を教えてもらい、竹内集落にでた。
街道の雰囲気をよく残している民家が並ぶ。 昔の旅姿を想像する。
ネコヤナギ
芭蕉ゆかりの「綿弓塚」に立ち寄る。
俳人松尾芭蕉は「野ざらし紀行」「笈の小文」と、2度ほど當麻に詣で、句を残している。
竹内街道の終点地 長尾神社
今から約1400年前にできた竹内街道。
堺市から始まり、松原市、羽曳野市を経て、奈良県葛城市の長尾神社に至る全長26キロの古代の道。 少しコースを変えながらも歩くことができた。
竹内街道の先には、横大路・長谷・伊勢への街道が続く。
健脚コースを歩き通せたなあと思ったが、帰りの橿原神宮駅の下り階段で膝痛。
ちょっと足に無理をさせたようだ。