みどりの野原

野原の便り

2月16日 竹内街道④終点 上ノ太子~ろくわたり道~二上山岩屋峠~當麻寺~磐城

2016年02月16日 | Weblog
少しずつ歩いた竹内街道歩き。今回は最終のコース。
少し寒いが、歩くのには絶好の日和。
途中竹内街道は国道歩きとなるのと、国道~岩屋峠に出るコースは前に歩いたこともあるので、国道歩きをなくして、初めての「ろくわたり道」という山道を越えて二上山岩屋峠へ出るコースを歩くことにした。
「ろくわたり道」はマップには健脚コースと書いてある。  さて・・

上ノ太子駅を出てしばらくは町の車道歩き。
幟や植栽のコンテナに「竹内街道」の表示 道標もあり、街道を示す道路舗装など、町をあげて竹内街道を大事に考えているのがわかる。
今までと違って町の中ではあまり迷うことはなかった。
 
    蘇我馬子創建と伝わる妙見寺            右)太子町マンホール 
聖徳太子が制定された一七条憲法の「和を以て貴しと為す」の文字入り。
叡福寺の多宝塔 町花サツキ バックは二上山
                

右)道標(右いせ よしの はせ たいま・・ ) 

 
いわれのありそうな六枚橋を過ぎると、だんだん街道の雰囲気も出てくる。

  
大道 旧山本家住宅 4~5月 9~11月の土日祝日は見学できるらしい。


山の近くになってきた。

「ろくわたりの道」は竹内街道歴史資料館から登る。(資料館は月火曜休館)

山手の畑の分岐右?左? 畑の人に教えてもらう。

 
車道を超え、気持ちのいい上り坂  枝先にぽつぽつとウグイスカグラが咲いていた。


電柵を超えて山際の細い道。シシ除け柵を開けて入り・・ 
この後の分岐 このまま進むか、広い道を登るか?
肝心のところに標識がないのが困る。広い道を登る。

 
又、道路を渡ったところから階段が続く。長ーい階段 急な階段 上り下り・・

 
尾根道に出た。アカマツ ネジキ モチツツジ   さわやか。

 
上り下り、階段・又階段・・ さすが健脚コース    遥かにアベノハルカスが見えた。
分岐では少し悩み・・
    
  
小高い山の頂上かと思うような所に出た。木に「むかい坂」の木札が付けられていた。
狭いところだが、ベンチが1つある。ちょうどお昼時なのでお弁当を食べる。

その後も下ったり登ったり・・

わかりにくい分岐ではちょうど通りかかった人に教えてもらい助かった。
違う道を行くところだった。二上山への登山道はたくさんあるのだ。
だいぶ下らないと行けなさそうな「鹿谷寺跡」を省いてしまったのは残念だった。


見覚えのある二上山の遊歩道に出た。

 
ツバキの咲く道を下ると岩屋峠

  
少し下って 岩屋 奈良時代築造の寺の跡らしい。
石窟には仏様が彫られていたのだろうが摩耗してわからない。
 右)石窟上部の穴は何か?不思議に思っていたが、木造の覆い屋があったのかも。とのこと。

  
かろうじて塔とわかる凝灰岩製の多層塔  
               右)平成10年 台風によって倒れた岩屋杉(樹齢約600年)
 
         左)岩屋峠から     右)祐泉寺への下り道は何回も通ったことがある。

アオキの雄花がもう咲いていた。
 
          裏向き不動尊           覗いたがお留守?? 


大池には今日もガチョウがいた。今日は近くにいた。
ネットで「ヨーロッパ系のツールーズという品種ではないか」との記載あり。
籠脱けだが、あちこちで見られるらしい。
喉のベロベロしたものは「肉垂」ではなく「喉嚢(こうのう)」との記載もあった。

 
左)當麻寺北門(黒門)~東大門 仁王像 を通り抜け。
今日は少し下ったところから右折して、竹内集落へ。


近道を教えてもらい、竹内集落にでた。

 
街道の雰囲気をよく残している民家が並ぶ。 昔の旅姿を想像する。


      ネコヤナギ

 芭蕉ゆかりの「綿弓塚」に立ち寄る。
俳人松尾芭蕉は「野ざらし紀行」「笈の小文」と、2度ほど當麻に詣で、句を残している。


竹内街道の終点地 長尾神社 
 
今から約1400年前にできた竹内街道。
堺市から始まり、松原市、羽曳野市を経て、奈良県葛城市の長尾神社に至る全長26キロの古代の道。 少しコースを変えながらも歩くことができた。

竹内街道の先には、横大路・長谷・伊勢への街道が続く。

健脚コースを歩き通せたなあと思ったが、帰りの橿原神宮駅の下り階段で膝痛。
ちょっと足に無理をさせたようだ。
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2月14日 長谷寺 だだおし

2016年02月14日 | Weblog
行ってみたいと思っていた長谷寺「だだおし」に行ってきた。
「だだおし」とは『修二会(旧年の穢れを払い、懺悔を行い、新年の平安・豊穣を祈念する法要)の締めくくりの行事で、春を呼ぶ火祭り』だそうだ。今日はすっかり春の陽気。


重文の仁王門は修理中

 
          登り廊           柱の継ぎ

 
登り廊の横には藁帽子に囲われた寒ボタン?冬ボタン? 


 
 ソテツ 赤い種子が見えた。  塀の上のアカミゴケの仲間 コナアカミゴケ?コケではなく地衣類  そばに同じ地衣類のウメノキゴケもあった。

本堂の前で待つ。
 
3時過ぎ、登り廊からお坊さん登場 前を通って本堂へ入って行かれ、続いて、唐櫃(7種の秘宝が入っているとか)が通り、又お坊さんが通入り・・法要が始まった。
ご詠歌らしい声、お坊さんの声・・かすかに聞こえるも、中で何が行われているのかは全く見えず。 (本尊の前で人々の罪科を懺悔する法要が行われているらしい)

その後、本堂の中に座っていた人達の持つお札(牛玉札 ごおうふだ)に加護されたらしい。
中に座っている人たちはそのお札を買った人たちのようだ。

中で鬼が出てきたらしいが、見えず。

「今から赤・青・緑の鬼が左右から回ります」前に出ないようにロープが張られた。
前列の隙間にいたので、こちらから出てきたら、こうやって手を伸ばして・・
と計画はしていたけれど、押されて居場所がなくなりそうになる。

 
    緑鬼登場 後に松明が続く。   動くものを撮るのはむつかしい。

 
青鬼  噛みつかれそうなほど顔の前に来た。 松明が頭の上をかすめる。
松明はマツの割木を組んだもの。長さ4m 重さ120キロぐらいあるらしい。
担ぎ手は4人ぐらいだったか。
松ヤニを含み激しく燃える。
回廊に落ちた火の粉をバケツを持った人が水を撒いてまわる。

 
      赤鬼も回ってきた。それぞれ色だけではなく顔つきが違う。 

鬼は左右から何回か回って終了。


本堂の中に入って本尊「十一面観音さま」を拝む。

外に出て、人だかりの中を覗くと、松明を分解中 何してるのかな?

たたき出した燃え残りの松明をもらって帰る人がいるらしい。
押し出されるのを待ちかねて、すぐに売り切れた。

 
見ていたら、松明に挟まっていた木切れをくださった。 
ありがたそうなのでもらったが、どうしよう・・


燃え残りの松明を下げている人がいたので「どうされるんですか?」と尋ねたら、「年月日を書いて鴨居に掛けておきます。守ってくださるので」とのこと。
なるほど、お守りか。
いただいた木切れは飾り棚の隅にでも置いておこう。
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2月12日 久米寺~益田池堤跡~新沢千塚古墳群 ハイキング

2016年02月12日 | Weblog
橿原神宮前駅 西出口を出発
暖かい。汗をかかないうちに上着を脱ぐ。

久米寺

 
寺の前の道標 右)おかでら たち花 左)志ん武 橿は羅(神武 橿原)

 
大塔跡 元は7重の塔があったらしい。大きい礎石が残る。   
     右)多宝塔 焼失した塔の代わりとして、京都仁和寺から移築されたもの 重文


鳥屋橋 高取川を渡る。

史跡「益田池 堤跡」
「益田池」は、推定40ヘクタールの広大な灌漑用ため池 
平安時代の初めごろ約200mの堤を築き高取川をせき止めて作られた。
池の名は「干ばつといえども田を益すの功あり」が由来。

益田池は今はなく、橿原ニュータウンはその跡地にできた。
その堤の遺構が史跡公園になっている。
 
高さ約55m 幅約30m 高さ約8mの 堤の遺構       上に登れる。

第28代宣化天皇陵
  
   宣化天皇陵 「倭彦命身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)」の石碑があった。
考古学では「ミサンザイ古墳」と言われているという。前方後円墳
宣化天皇については不明なことが多いらしい。

「ミサンザイ古墳って他にもあるね。どういう意味かな?」と誰かが言っているのが聞こえた。確かに堺の方にもある。
調べてみると「貴人の墓を意味するミササギが転訛したもの」との説、他にも説はあるようです。

古墳の周りの池は「灌漑用ため池 鳥屋池」とのことだが、堀ではないのか?
池を堀として利用したのか?

その堀のような鳥屋池を回りこんで少し歩いたところ。開いた門扉を山へ入る。

ここは「桝山古墳」  
『宮内庁ではこの墓を、倭彦命の「身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)」とよんでいる』とのこと。 
さっきの宣化天皇陵のところにも同じ「倭彦命身狭桃花鳥坂墓」の石標があったが?? 
桝山古墳と宣化天皇陵の関係がよくわからない・・


とにかく、入ったあたりは前方部と後円部の間あたりになるらしい。右側が後方部
そして、前方部と後円部の軸がずれているとのこと。
それは元あった方墳に、後で「皇族の墓は前方後円墳」との考えに基づき後円部を付け足す修復がなされたからというのだ。

そして、このころはまだ貴人の埋葬時には近習の者を生き埋めにする風習があり、陵の周りに埋められた人たちの泣き呻く声が数日たっても聞こえ(恐ろしい・・・)心を痛めた垂仁天皇が以後、殉死を禁じ、代わりに埴輪を立てるようになったとのこと。 

新沢千塚古墳群(国指定史跡)
丘陵に4世紀後半~6世紀後半の古墳が約600基集まっている。

 
整備された丘の大小の膨らみはみんな古墳 発掘調査でわかった主なものには説明板がある。


中でも金銀の装飾品やペルシャ由来のガラス椀などの豪華な副葬品が見つかった126号墳 
埋葬されていた人物は金銀の装飾品を身に着けた姿で葬られていたという。被葬者は不明。
副葬品は国の重文に指定され、東京国立博物館に納められ、橿原市博物館には精巧な復元模造品が展示されているらしいが、まだ見ていない。


橿原神宮 深田池 西の方にはマガモの群れが、入り口に近いところにはヒドリガモの群れが寄ってきた。
橿原神宮駅まで、約10キロのハイキングだった。
主なところでは説明があり、資料も準備していただいてありがたい。
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2月11日 虫明 牡蠣食べ放題 & 大阪の秘湯「山空海温泉」

2016年02月11日 | Weblog
家の(大きい)子供たちに誘われて車で岡山県 虫明へ「牡蠣食べ放題」に。
早朝に出発したのでスムーズに進み、予定より少し早く到着できた。

 
岡山県の虫明 とれたて漁師の店「稲荷丸」食べ放題1時間 
          右)炭火にはぜる牡蠣の汁を時々浴びて「キャア」 食べました~。
炭火焼牡蠣はおいしく、いくらでも食べれると思ったが、1時間が限度。

周辺を散策。

 
あちこちにホタテの貝殻に穴をあけてロープを通した養殖用の牡蠣床(というのかどうか)が積み上げられていた。   右)袋に入ったホタテの貝殻 青森県からくるらしい。
牡蠣の養殖
牡蠣の産卵期、幼生が浮遊し始める夏の初めにホタテのロープを牡蠣筏につるして牡蠣の稚貝を付着させ、後、筏をプランクトンの多い場所へ移動したりして育てる。
このあたりは「川が少なくて海の塩分濃度が高く身が締まってぷりぷりになる」とのこと。

 

    海なし県の住人は海を見るとうれしい。

 
見上げると何本もの飛行機雲の跡? 雲じゃないよね。     
            右)違う方向を見ても飛行機雲 交差しているものもある。
こんなに何本もの飛行機雲を見るのは初めて。
不思議に思って帰って調べたら、飛行機雲の写真をアップしている人もいた。

帰り道、道の駅に立ち寄る。
ちょうど餅つきをしていて、豆入りのあんこもちを売っていた。
牡蠣の塩分でしょっぱくなった口を「あんこで中和」

後、どこへ行くかは娘にお任せ。「車でしか行けない温泉に行きたい」
前に1度は行ったことがあるらしい温泉へ。タオルは準備している。
場所はだいたいが分かっているらしいが、中国池田を降りてちょっと迷い、やっと一庫ダムへ出た。
もう5時近い。着いたら「終わり」じゃないやろね。

それらしき屋根が見え、橋を渡り、駐車場に到着。「ここ、ここ」

能勢町らしいこの温泉は「山空海温泉」 温泉マニアには知られた大阪の秘湯らしい。

  
川(田尻川)とヒノキ林の間の細い道をしばらく歩くと、建物が見えてきた。

祝日は6時までということで、間に合った。
券売機は故障らしい。おじさんに入湯料1人700円 支払う。
「湯治温泉」の表示があった。

  
     右側に2棟建物がある。湯治場?    右)左側のプレハブのような建物が温泉らしい。
手前が男湯 向こうが女湯


  女風呂入り口(女子トイレではありません)

脱衣場は狭いが鍵付きロッカーあり。

お風呂場には3人ほど先客あり。
浴槽は2つあり、その1つに入った。温るぅ~。
「ぬるめの湯」と「熱めの湯」があるのだった。

それぞれ5人詰めて並べるぐらいの広さしかない。 石鹸やシャンプーなどはない。
泉質は「ナトリウム 炭酸水素塩泉」 ほのかに硫黄臭 肌にまとわるいい湯だ。 
源泉かけ流し。洗い場の蛇口から出る水も温泉

さすが風呂屋・温泉フェチの娘 こんな辺鄙な温泉よく知ってるなあ。

早めに出て外で待っていたら寒くなってきた。
帰りもスムーズに流れ、娘を送って21時 帰宅
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2月9日 お食事 &大和高田街歩き

2016年02月09日 | Weblog
友だちと3人で年1回ランチの約束。
一人から、「思っていたところが定休日で高田で予約したよ」と連絡あり。
「後はお任せね」というので、郵便局めぐりの計画を立てたが、もう全部回ったという。
「じゃあ街歩きで」前に歩いた近代建築や江戸の町屋が見られるコースを案内することになった。(h27年10月9日にも街歩き記事あり)

高田駅で集合
ランチのお店までの街歩き。行きはあまり時間がない。
アーケードが取り払われてあっけらかんとした駅前商店街 
JRを超えてすぐ、寺尾も泊ったという純和風旅館二鶴
隣は元高田キネマ跡に開業した大衆演劇場 色鮮やかな旗が立ち女性が一人入って行った。
高下駄なども売っている辻井履物店 

左へ行けば中央道路 たびたび洪水があった高田川を付け変え、跡を道路として利用。
直進して「市町通り」へ。
江戸時代の町屋などを見ながら1本西の通り「本町通り」へ。

     近代建築 宮城医院

間もなく今日のランチのお店 「ヴェルデ辻甚」予約5分前
創業400年を超える老舗の料亭だったが、現代風にアレンジされフランス料理のお店になっている。
前に1回来たことがある。

 
コース料理がいろいろ出たが、最後のデザート少しずついろいろ出たのはうれしい。

そばを通る道は、古代の官道「横大路」中世以降は長谷街道 伊勢街道として交通の要衝

すぐ近く横大路沿いにある「長谷本寺」へ。
大和高田市最古の寺院 廃仏毀釈で寺領の大部分を失ったという。
本尊の十一面観音像は長谷寺の本尊と同一木で刻まれたといわれる。
大和高田市で最も仏像数や種類が豊富だとか。

 
      長谷本寺  鐘楼は鐘を供出 鐘楼も朽ちていたのを、壇信徒の協力で再興。
室生寺より国宝五重塔の修復用のケヤキを無償で譲り受けた「総ケヤキ造り」だそうだ。


寺の前の道標「すぐ大坂 さかい道」

本町通りを戻る。
モリモト電気(吉野の建築家で知事公舎や畝傍高校を設計した岩崎平太郎の設計の近代建築)
中川印刷所(月刊文芸「敷島」には与謝野晶子や石川啄木も寄稿した)

 
寺内町の中心 専立寺 格を表す5本線の築地塀と野口雨情の歌碑


近代建築「森川商店本社ビル」統廃合を経てS43年まで南都銀行として使用。

大和高田駅の隣の松塚駅近くの郵便局へ行きたいというので一駅歩く。


松塚簡易郵便局 一人は1冊目 もう一人は2冊目の通帳に1000円入金して判子をもらう。
 
集めかけたら意地になるようだ。まあ無駄遣いするわけではないのでいいですが・・
私は預けるお金がないのでこのゲームには加わっていない。

ここまで来ればもう一駅 歩いて帰る方が早い。電車に乗って帰る友だちと分かれて歩く。
途中知り合い2人に出会ったが「マスクに帽子」姿で声がかかるまでわからなかった。
  
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2月8日 山田池 & 水無瀬 コミミズク

2016年02月08日 | Weblog
山田池と水無瀬へ。グループで欲張り探鳥会

 
山田池公園 ユリノキの並木 だいぶ前に行った記憶がある。 梅林~園路を巡る。

 
ペンギンじゃないよツグミだよ。 右)すぐそばの石のくぼみに溜まった水を飲みに来たメジロ 
水を飲んだり水浴びをしたり・・大サービス
他に、ウグイスの姿が良く見れた。

晴天で水鳥たちの色合いの美しいこと。
 
  左)コガモ輝く。マガモもきれい。  右)木陰に集まっていたオシドリも泳ぎだして・・

 
おっ!カイツブリが大きい魚をゲット。    
       右)獲物が大きすぎて飲み込めない。四苦八苦、長い間格闘して・・
私たちが立ち去るころ、まだ頑張っていた。全部食べることができたのでしょうか。

公園ネコ
 
掘り込んだ枯れ葉の蒲団の中でお昼寝。これはポカポカと暖かそう。
       右)太い尻尾 白くふんわりとしたあごヒゲ お主、タダものじゃないな?

次に、バスを乗り継ぎ、電車に乗り換えて水無瀬へ。
去年、人に捕まったコミミズクがいるらしい。 今年、姿を見せてくれるかな・・



 
ラッキーなことに、探す間もなく 左)コミミズクと 右)ノスリ(だそうです)が近くで見れた。

コミミズクは合計4.5羽 広く飛びまわったり、草むらに降りたり、枝に止まったり・・
双眼鏡で追いかけて堪能。
アンラッキーだったのは、目を離していて、ネズミらしきものを捕まえた、決定的瞬間を見られなかったこと。
友だちが写真を送ってくれるというので楽しみに待とう。


バズーカ砲のような望遠鏡カメラを構えた大勢のギャラリー 
今日は晴れて去年よりも寒くなかった。

大満足の「ハシゴ探鳥会」だった。
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2月7日 南港野鳥園 ツクシガモ ミコアイサ 堪能

2016年02月07日 | Weblog
久~~しぶりの南港野鳥園

今日はもう少し暖かいかと思いきや、霰が降ってきた。まあ雨よりまし。

最初に今日の案内役さんから、「タカ類が見れる時はカモは逃げるので見れず、カモがたくさんいる時はタカ類が見れない。ミサゴはカモを襲わないので、ミサゴがいてもカモは見れる」・・とお話があった。今日はどっち?
 
ニワウルシ 翼の付いた白い実が花のよう。 クロガネモチ なぜか葉を落とし実だけに。
野鳥園までの遊歩道にはいろんな木が植えてあり、行き帰りにムクドリやカワラヒワなどの鳥が見れた。

中央の観察所で観察
いきなりツクシガモが数羽目に入った。見られる場所も限られている珍しいカモらしい。

ミコアイサの雄も何羽か、他に、オナガガモやヒドリガモ、ホシハジロやオカヨシガモ
コガモ。カワウ、カイツブリ・シギの仲間(すぐ見えなくなって種類は不明)
杭の上や堤防の上にミサゴが。
ジョウビタキやモズ・キジバト・トンビ たくさんの種類の鳥が見えた。

ツクシガモは8羽は見た。
自分の双眼鏡でも見えてうれしい。大きいプロミナ―でも見て、堪能した。

たくさん見れたと喜んでいたが「2月2日朝にツクシガモ58羽」の掲示板には驚いた。

後で北展望所にも行ってみた。
そこではマガモもいた。
今日はカモデーだったようだ。
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2月6日 万葉講座(殯宮を考える) ついでに石舞台周辺

2016年02月06日 | Weblog
予定よりちょっと早めに出て、石舞台周辺を少し歩く。
いくつか冬芽などを見たが、気になったもの3つ。

①アラカシに付いたイボイボ
 
       汚らしい黄色の皮膚病?           裏は茶色の凹みに毛
調べてみたら「アラカシビロード病 フシダニの寄生により発生する」ものらしい。
防除には病葉を地中に深く埋めるか焼却するかというが、ほおっておかれそう。

②山から落ちてきた枯れ木

 
ひからびた地衣がいっぱい付いた枯れ木 側面にはきれいな丸い穴が空いていた。
       右)幹の中は途中まで空洞になっていた。
ひょっとして、鳥が巣に利用していたのかな?「主」を見たかったなあ。

③石舞台公園で
 
メリケントキンソウの除去作業中立ち入り禁止の看板 広い範囲が立ち入り禁止になっていた。                     右)効果検証のための?コドラート? 
あちこちはびこっているメリケントキンソウ 重曹を使用しているとのこと。うまく退治できるか。

午後からは、万葉講座で「殯宮を考える」の講演
「殯」の読み方は「ヒン」の他、万葉集では「アラキ」、日本書紀では「モガリ」、また名義抄では「ハフル」とも読まれる。

「殯」とは「死から埋葬まで、遺体を特定の場所にとどめ置いておく期間のこと」
そのための施設が「殯宮」らしい。
魂の蘇りを願うという意味も言われるが、魂を鎮め慰撫するための期間か。
今のお通夜の長期版なのかな?

飛鳥時代7世紀に始まったとする説が有力。
後、薄葬令や仏式葬儀・火葬の採用などにより文武天皇を最後に殯宮の制度は消滅

それが明治天皇のころに復活するのは、明治政府の天皇を神として祀るという思想や古代への回帰を目指そうとしたから?

「魏志倭人伝」には(殯という言葉は使われず 停葬)の時の親族や周りの人の動向が書かれ、「随書 倭国伝」には遺体の納め方などが書かれている。

なかなか興味深いお話を聞けた。
でも、なくなって数カ月~1年、遺体はどんなことになっているかと想像すると・・・
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2月5日 久しぶりに 菜の花スケッチ

2016年02月05日 | Weblog
昨日、車で売りに来る八百屋で、菜の花を買った。
 
実は1週間ほど前にも菜の花を買ったのだが、茎がグネグネと野性的で(そのせいで?安かった。大束100円)久しぶりに絵心?が湧いてきたのだけど、時間がないままにだいぶ咲き終わッた頃。


昨日買った菜の花は前のに比べるとちょっとおとなしめだが、早く描かないと又ダメになってしまいそうで、久しぶりにスケッチブックを出す。 


描いてみたが、あったのは「心」だけで手は思うようには行かず、色をつけるに至らず。
ついでに昔描いたものをいくつか見て見たが、前の方がましでがっくり。
まあいいや。


ついでに花を分解してみた。

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2月4日二上ふるさと公園~當麻寺へ

2016年02月04日 | Weblog
今日は立春 おだやかな日ざし。

 
            ハクモクレン                コブシ

 
      頬を染めたアシビ        コトネアスター 実がたくさん残っていた。


ローズマリー さわやかなブルーの花 咲きかけ


   アカメガシワの冬芽
 
       園芸種の大きいツバキ            弁化した雄しべ

當麻 大池

 
キンクロハジロ ヒドリガモ マガモ 遠くにガチョウが2羽 住み着いているようだ。
お天気がよくてキンクロハジロの金色の目がきれいに見えた。

 
 
垣根のカナメモチ 蕾から花 果実まで、いろんなステージが見れた。

 
      ニワトコの蕾もほどけかけ         庭のオウバイの輝くような黄色

下って當麻駅。
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