みどりの野原

野原の便り

2月6日 万葉講座(殯宮を考える) ついでに石舞台周辺

2016年02月06日 | Weblog
予定よりちょっと早めに出て、石舞台周辺を少し歩く。
いくつか冬芽などを見たが、気になったもの3つ。

①アラカシに付いたイボイボ
 
       汚らしい黄色の皮膚病?           裏は茶色の凹みに毛
調べてみたら「アラカシビロード病 フシダニの寄生により発生する」ものらしい。
防除には病葉を地中に深く埋めるか焼却するかというが、ほおっておかれそう。

②山から落ちてきた枯れ木

 
ひからびた地衣がいっぱい付いた枯れ木 側面にはきれいな丸い穴が空いていた。
       右)幹の中は途中まで空洞になっていた。
ひょっとして、鳥が巣に利用していたのかな?「主」を見たかったなあ。

③石舞台公園で
 
メリケントキンソウの除去作業中立ち入り禁止の看板 広い範囲が立ち入り禁止になっていた。                     右)効果検証のための?コドラート? 
あちこちはびこっているメリケントキンソウ 重曹を使用しているとのこと。うまく退治できるか。

午後からは、万葉講座で「殯宮を考える」の講演
「殯」の読み方は「ヒン」の他、万葉集では「アラキ」、日本書紀では「モガリ」、また名義抄では「ハフル」とも読まれる。

「殯」とは「死から埋葬まで、遺体を特定の場所にとどめ置いておく期間のこと」
そのための施設が「殯宮」らしい。
魂の蘇りを願うという意味も言われるが、魂を鎮め慰撫するための期間か。
今のお通夜の長期版なのかな?

飛鳥時代7世紀に始まったとする説が有力。
後、薄葬令や仏式葬儀・火葬の採用などにより文武天皇を最後に殯宮の制度は消滅

それが明治天皇のころに復活するのは、明治政府の天皇を神として祀るという思想や古代への回帰を目指そうとしたから?

「魏志倭人伝」には(殯という言葉は使われず 停葬)の時の親族や周りの人の動向が書かれ、「随書 倭国伝」には遺体の納め方などが書かれている。

なかなか興味深いお話を聞けた。
でも、なくなって数カ月~1年、遺体はどんなことになっているかと想像すると・・・
コメント
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