みどりの野原

野原の便り

2月14日 万博公園 アトリ群れ カワセミ オオルリ & 淀川のコミミズクはお留守

2017年02月14日 | Weblog
万博公園

 
太陽の塔は工事中でクレーン車が見えた。          梅林

 
あちこちでアトリの大群が見れた。私はこんな大群れをみるのは初めてだ。

 
        カワセミやオオルリ 何度見ても飽きない。

 
   タギョウショウ 球果が出来でいた。      森の向こうに怪獣・・

夕方、水無瀬へ移動

 
例年のカメラ部隊がいない。数人が来ていただけ。
      去年も一昨年もすぐ間近で見れたコミミズク 今年はお留守のようだ。

前に何羽も飛んでいた時、広いとはいえこれだけの数のコミミズクが冬の間に食べる小動物などが足りるのかとちょっと心配になっていたが、いよいよ食べ物がなくなったのだろうか?
餌がネズミ算で増えて、また来年はコミミズクが来てくれるのを期待。
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2月13日 京都府立植物園 セツブンソウ 午後は講演「自然の恵みのごちそう」

2017年02月13日 | Weblog
少し早めに行って植物園を回る。

寒い日が続いていたので、きっと植物園にも雪が残っているのではと思ったが、雪は全くなし。

 
      ハナミョウガ 果実           アリドオシ 果実

 
今の時期の主役はセツブンソウ 小さくて見逃しそう。
白いガク片 二股に分かれた黄色い腺に変化した花弁 ブルーの雄しべ 中心に薄紫の雌しべ カラフルな花。

 
    フキノトウも出ていた。     右)針状の鋸歯のある葉 この幼木は何だろう。
近くに成木があってオオカナメモチとわかった。

春の草花展開催中 ドームの中は春爛漫
 
    色とりどりの春の花           フクジュソウも満開
   
 
       バイカオウレン            ユキワリソウ

午後から「自然の恵みのご馳走」の演題で「草喰なかひがし」のご主人のお話を聞いた。
「草喰なかひがし」は、現在京都で一番予約が取れない店の1つとか。
毎日ご主人自ら野や山へ出向いて集められるという自然の食材を使ったお料理が出される。
「食べられるものを食べつくす」ことが命ある食べ物への責任だと。
「四季を感じ命を食す」ことに心を砕かれているのがよくわかった。

そしてもう一つのこだわりは”おくどさん”で”特別の釜”で焚く白ご飯 
「おくどさん研究会」を主宰し、かまど文化の魅力を発信しておられるらしい。

その日に採れた食材の持ち味を生かし、食材と相談しながら作る。
食材と語り合う。野菜に寄り添う。そんな風におっしゃる。
食材に感謝することを言われた。
ふだんあまりに何も考えないで食べているのをちょっと反省。

お店で四季それぞれに出されるという献立を画面で見て味わう。(実際に味わいたいところだが)

終わりに実演があった。甘酢漬けのカブラを使ったツバキ

 
赤カブの甘酢漬けをずらして広げ、芯に干し柿を入れて巻き、中央にノリを巻き半分に切る。

 
それをやさしく花びら状に広げる。 炒り卵の裏ごし?を花の芯に振りかけて雌しべに見立てる。                  右)ツバキの枝に花を飾って出来上がり。

お店に食べには行けないけれど、次のお正月に、このツバキ「いただき」
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2月12日 自然堤防(自然河岸)巡り 2か所 森市神社 村屋神社

2017年02月12日 | Weblog
先日(1月17日)の続きで、護岸のしていない「自然堤防の水路」巡りをすることになり子供たちと3人で出かけた。


飛鳥川の堤防の少し広くなったところに駐車

自然堤防① 田原本町西竹田

 
あらら・・いきなり護岸整備工事中の看板が・・    
    右)今日は日曜日で工事はお休みだがショベルカーなどが置いてあった。


工事中の水路から直角のまだ工事されていない水路 堤防にはクヌギが植えられ、どんぐりがいっぱい落ちていた。

 
そこから道路をくぐって(手前の方に)直角に続く水路 
水は少ないが「前に見た時には水がいっぱいあった」という。
水路の横を歩きながら「おっちゃんが土手に座ってタナゴを釣って居たりして・・」
「え~っ。タナゴ釣れるん?」「・・そんな風景が似合うなあと思って・・」なーんだ。
「手漕ぎの小さいボートでこうやって・・」ボート?「そんな光景が浮かぶなあ・・」って。笑ってしまった。
周りはのどかだし、この水路に水がなみなみとあればそんな雰囲気なのかなあ。
      
 
その先の水路は草がしげっていたがずっと向こうまで続いていた。

 
戻って、日曜日で工事の人がいないのを幸いに、向こうはどんなになっているのか探検。
工事中の水路の突き当りにはコンクリートの壁があり、そこから水路は直角に折れて、向こうの藪に続いている。藪の中を覗くと、水路は深くなって堤防の道の下へ。


堤防の道に上がってみると、水路は飛鳥川へと流れ込んでいるのがわかった。

次に来た時にはここの水路はどうなっているのか?三面張りになっている可能性大。
風前の灯・・・ 

勝手に「自然堤防」って言ってるが「コンクリート護岸」に対して「自然河岸」という言い方もあるらしい。ここでは「自然堤防の水路」ということにしておく。

 
水路に生えていたイグサの仲間は帰ってから切ってみてイグサ科の帰化植物コゴメイとわかった。

次の場所に向かう。

保津阪手道の跡をなぞる県道を通り、京奈和自動車道を越える。
途中の斜めになった筋交い道(太子道)と交わるあたりは「巷」といわれる交差点だったらしく、遺跡も出ているとか。

 
森市神社 名前も知らなかったが、洪水でこの地に漂着したとか・・境内にはツガの大木・灯籠・道標・「池地蔵」と刻まれた石もあった。  右)前は保津・阪手道か?

森市神社の横にある大安寺池 大きい池だ。向こうに見える森は村屋神社の森らしい。
h16年にはコハクチョウが3羽観察されたというネット記事があった。

次に立ち寄った神社
 
何となくこの神社を「村屋神社」と言っていたが「村屋坐弥富都比売(むらやにますみふつひめ)神社」(森屋の宮とも)というのが神社名らしい。 
       そして 右)この小さい社が「式内大社村屋神社」(境内社・摂社)

他にも、摂社の「久須須美神社」(恵比須神社)や末社の「服部神社」が境内にある。

イチイガシなどが繁る鎮守の森は前に植物の会で来たことがあるが、台風でだいぶ傷んだらしく、前はもっとうっそうとしていたとか。
2の鳥居から入って 一の鳥居へ回り込んだ。


一の鳥居は木造だった。

 
森屋神社は中津道(後の橘街道)沿いに建つ。
一の鳥居近くには道標が2つあった。それぞれ奈良や法隆寺や高野・三輪・長谷などが記されていた。   右の道標は上部に東西南北が記されている。

 
大和川の堤防を走る。前に見えるのは三輪山  川にはヒドリガモやカルガモが群れていた。

自然堤防②桜井市大西
 
いい感じの水路だ。水路伝いにずっと歩いて右へ出る。 
右)戻り路 自然堤防水路に並行してコンクリート護岸の水路が通っていた。(植栽の向こう側が自然堤防水路)
今は水はないが田植えの頃にはここに水が通るのだろうか? 自然堤防水路と両方使っているのか?

 
上の写真の水路から直角に続く水路 石の橋が架かっていた。渡る。
                       右)ここにもクヌギの植栽があった。
そういえば、家のそばに昔、田んぼの端にちょっと残った堤防があったが、そこにもクヌギが植わっていた。 水路の堤防にはクヌギか・・

①の水路もこの②の水路も何度も直角に曲がって続いている。

もう1ヶ所あるらしいが又の機会にして、今日は時間が遅いのでこの辺で引き返すことにした。
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12月11日 ブローチのプレゼント ころも&ベーグル

2017年02月11日 | Weblog
下の娘が私と上の娘の2人に手作りフェルトブローチをプレゼントしてくれた。


2匹のわんこのブローチ 上の娘のところにいて、一昨年亡くなってしまったビーグル犬の「ベーグル」と1階で今も健在の豆しばの「ころも」仲良く2匹寄り添っている。

現実にはこの2匹、なぜか何度顔を合わせてもちっとも仲良くならなかったのだ。
2匹一緒になると「ころも」は小さいのに気が強く(この家にいるせいか?)黙って追いかけまわす。方や「ベーグル」は吠えまくる。
ついに仲良くならないままベーグルはあの世へ行ってしまった。
・・が、ブローチの中では仲良く並んでいてほほえましい。

飼い主しかわからないが、それぞれの犬の表情といい雰囲気といいほんまによく感じが出ていて。おそろいの帽子につけて可愛い、可愛いと連発。明日はおそろいで付けていこう。
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2月11日 十津川温泉のはずが・・かもきみの湯 雪

2017年02月11日 | Weblog
この土日 子供たちと十津川温泉に行く予定になっていたが、行けなくなりキャンセルした。

代わりに御所の「かもきみの湯」へ行くことになった。
車で行けるのか心配だったが、問題なかった。

 
車内から金剛山 山も山麓の村も真っ白。 「かもきみの湯」駐車場からの景色(帰りに写す。来たときはいっぱいだった駐車場もすいてます)


建物周辺にも雪が積もっている。

超混雑を予想していた温泉は、思ったほどでもなくゆっくりできた。

 
雪遊びに興じる(大きい)子供たち。 

十津川がダメになったが、雪も温泉も楽しめて良かった良かった。
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2月10日 桜井周辺 木材の町 石寸(いわれ)山口神社・春日神社・八阪神社

2017年02月10日 | Weblog
午後から桜井方面へ。
風が冷たい。東の山も薄く雪をかぶっている。

貯木場?横の細い隙間を抜ける。

木の匂いというより・・何だか臭い。

 
そばを通って気付いた。木材の木口などにおびただしいフジツボや2枚貝や干からびた海藻。
臭いにおいはこれらが発しているのだった。
フジツボが付いているということは長い間海に浸かっていたということ。
海の貯木場にあったものがここへ運ばれてきているのか。・・ということは外材なのか。

今は木材業界も不振のようだが、良質材の産地で、特に吉野材の大規模集散地として発展し「木材のまち」といわれた桜井。今は外材が主なのかなあ。

 
石寸(いわれ)山口神社 大和の「6所山口神社」(他5社=飛鳥・長谷・畝傍・耳成・押坂)の1つに数えられる神社。
祭神は大山祇神(おおやまつみ)今は桜井木材業界繁栄の守護神とされているという。
                       右)そばにある「菰池」コガモがいた。

草むらにポツンとお地蔵様 前掛けをめくると「目明地蔵」と彫ってあった。
誰がどんな思いで祀ったものか。


東の山は薄く冠雪

聖徳太子が少年たちに伎楽舞を学ばせたという「土舞台」はすぐ近くだが、今日はパス。

 
 
村社 天満神社 階段を登ると、木立に囲まれた広い境内 もちろん誰もいない。


しばらく行くと横に寺川。渓谷を思わせる深さがあり、激しく蛇行している様子が見られた。すごい。

  メスリ山古墳を回り込む。

 
     春日神社(上之宮)         境内の大木はムクロジか?
 
 
石垣の下には石塔などがたくさん集められていた。   
         右)境内にある南北朝時代に造られたという「石造宝塔」は重要美術品

八阪神社(高田)はメスリ山古墳の斜面に鎮座する。

 
参道の途中の地蔵の1体に「ざい志よみち あべ文珠・・」と刻まれた地蔵道標があった。

  
       八阪神社拝殿       16歌仙の額などが掲げられていた。

 
階段を上がった高所に本殿 祭神は素戔嗚命 階段の両側にはなぜか狛牛像。

ここから帰り道

 
愛宕灯籠も道標になっていた。                右)そばの池
 
帰り道にも木材の会社が何軒かあった。薄板を積み上げて乾燥中か。
  右)平日なのに人の姿の見えない所が多かった中、フォークリフトで丸太を移動してチェーンーでカットしている人がいた。
  
阿部寺跡 広い跡地に塔跡という基壇があった。安倍一族の氏寺だったらしい。
                      右)梢にヤドリギが目立つ。
 

 住宅の塀に取り込まれた道標

短時間だったが歩くといろいろあるものだ。
町中では見られない寺川の蛇行はちょっと感動だった。
山口神社 天満神社 春日神社 ・・どこにもある神社名 ちょっとこんがらがるが、
どこも静かできれいに管理されていることに感心した。
道標を見ると昔の人の往来が偲ばれる。
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2月6日 橿原神宮前~北越智方面・・ここはどこ?天満山長法寺大日堂

2017年02月06日 | Weblog
橿原神宮からウォーキング

益田池堤(ますだいけつつみ)
 
益田池は平安時代に高取川を堰き止めて築かれた広大な池で、ここに残っているのは堤の跡。(わかりやすい写真を撮ってこなかった)     
            右)堤の上に登ったが公園の小道のようでイメージがわかない。
説明版によると推定貯水量は満水時は140万t~180万t・・といってもまったく感覚がつかめないが・・周辺の田畑を潤したことだろう。
水量調節のための導水管となった巨大な木樋が発見されている。

南へ・・

 
宣化天皇陵 皇后の橘仲姫皇女と夫婦合葬され、宮内庁管理の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)といわれる前方後円墳。ここは来たことがある。
考古学的には「鳥屋ミサンザイ古墳」とされる。


古墳の周囲には大きい濠が廻る。ホシハジロらしい鳥が泳いでいた。

今日は簡単な地図を持ってきている。
近くにある倭彦命の墓へ。

崇神天皇皇子 倭彦命の「身狭桃花鳥坂墓」「桝山古墳」とも呼ばれる。
幕末の修陵により前方後円墳に改変されているが元は方墳。方墳では日本最大規模らしい。
「身狭桃花鳥坂(むさのつきさか)」というのは地名のようだ。
前に来た時にはこの古墳の中を抜けて池へ出たと覚えているがどの辺から入ったのだったか?

少し戻って横道を山の方へ・・・抜けると・・橿原高校に出た。


通りかかった所にあったアオイゴケ。帰化種かどうかは不明。

そして、ちょっと良さげな山沿いの道を入る。
 
斜面にはカワラマツバやホタルブクロの葉があり、季節の良い時に来たいところ。。
      進むうち山になり・・竹藪になり・・どこへ行く道なのか・・通る人もない。
明るい所に出た。・・ここはどこ?・・


カヤの大木が見えた。お寺のようだ。持っている地図には載っていない。

横から入ったので寺の名はわからなかったが、鐘楼、灯籠もたくさんあり立派そうなお寺だ。
 
境内の説明版には「天満山 長法寺 大日堂」とあった。本尊は大日如来坐像
人けはないがきれいに管理されている。     右も大日堂

 
大日堂の屋根。鬼瓦に「柏原村 瓦屋・・・」の刻印が見えた。慶安五年の刻印もあるらしいがわからなかった。    獅子の後ろ足で頭を掻く動作がかわいい瓦。

 
正和五年(1316年)の銘のある「重要美術品石灯籠」 
   右)山の小高い所に古めかしい「石造層塔」現在は8重だが当初は13重だったらしい。
塔内からは押出仏などが発見された。
(「押し出し仏」は現在、飛鳥資料館に展示しているというネット記事があった)

 
境内から「三神社」と書かれた鳥居(左)を少し登ると小さいお社(右)

帰って地図を見たが「天満山 長法寺」の名はなく「三神社」は載っていた。
『「大和名所図会」巻ノ五天満山長法寺の絵図に当社を三所権現として描かれている』というネット記事があった。

 
表門から出た。門にも「天満山 長法寺」の表示は見当たらなかった。
門前には「車馬乗り入れ・・魚鳥の捕獲・竹木の伐採・・などを禁ずる・・奈良県」の屋根付きの「定め板」(何ていうのでしょうか?)があり、相当な寺と思われるのに・・。

ここは橿原市一町で、無住の長法寺は一町の大日講の方たちが守っておられるらしい。
境内にはたくさんの牡丹が植えられていた。

よくわからなかったが、何だか気になるお寺・神社だった。また来たい。

寺を出ると、幼稚園などがあり、少し位置がわかってきた。
歩いていくうちに新沢千塚古墳群のあたりに出た。新沢千塚を通り抜ける。

 
落葉して明るい新沢千塚古墳群 ぼこぼこ膨らんだ所はすべて古墳。
伐られた木もかなりあるようだ。
周辺では整備工事がすすんでいる。素朴さを失わない程度にしてほしいなあ。

遅くなったがここで弁当を食べて、最寄り駅まで歩くつもりだったが雨がぽつりときた。
空も黒くなってきた。傘を持たずに来ているので濡れるのはかなわん。
バスも通っているがこの時間帯は全くなく最寄り駅までタクシーに乗った。
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2月4日 史跡・神社・街道・道標・川(生駒郡~大和郡山市~磯城郡を歩く)

2017年02月04日 | Weblog
古道・道標・地形・廃線跡などが好きな息子と一日歩いた。
さすが立春。暖かく上着不要のいい天気だった。
行ったことがないところばかりで、私の中ですっぽりと抜け落ちているようだ。

主なところ

石田家・中家住宅
八王子神社・推古神社・額安寺・額田部窯跡・額安寺五輪塔・筒井順慶墓所・菅田神社・杵築神社(安堵町下窪田と)・馬場塚五輪塔
良福寺・油掛地蔵
布留街道・下街道・中街道
天理軽便鉄道廃線跡
道標 太神宮灯籠
佐保川・大和川と蛇行跡  他・・

安堵町(生駒郡)からスタート、さっそく出てきた太神宮灯篭などを見ながら環濠を持つ「中家住宅」へと歩いていたら、
 
なんだか怪しげな崩れかけた屋根が見えた。  近寄ってみると「多聞城門 石田家 筒井順慶」の石碑があった。後で行く中家住宅と共に環濠(写真右 水なし)の中にある。
多聞城は松永久秀が奈良市多門町に築いた城。(詳細省略) 廃城になって筒井順慶によって壊されたが、石垣は郡山城の石垣に使われ、門は順慶の親族にあたる石田氏に譲られ移築したらしい。奥に居宅があり新しい持ち主?借主?さんが使っておられるらしい。

中家住宅(生駒郡安堵町)
 
家の前には大きい駐車場。屋敷の中には高い避雷針が2本 大和棟造りの立派なお屋敷だ。
見学もできるそうだが、申し込みしてないので、外観のみ見学
足利尊氏に従って大和に入り・・・後、中氏と改め・・・帰農して大地主となったらしい。
武士様式と農家造りを併せ持つ造りで、表門・米蔵・牛小屋・持仏堂や庫裏など・・重文に指定されているという。

 
敷地3500坪、屋敷の周りには2重の堀が囲む。  左)内堀 右)外堀
次の機会にはぜひ内部見学したい。

今日歩いたコースには布留街道・下街道・中街道 それに太子道などが通っていたところ。

 
布留街道は道路改修があまりなされてなくて自然な曲線が見られるのだそう。
西は法隆寺からこの辺りを通り、東は二階堂・天理方面につづいていたとか。

「木造文殊菩薩騎獅像」があるとの道標が気になって立ち寄った良福寺(大和郡山市西町)
 
町で管理しているという小さなお堂(文殊堂とも) 右)覗いてみたが文殊様はお厨子の中
恵比寿神社の境内に建つとのことだが、恵比寿神社は目に入らなかった・・

大和中央道の南行き線の下をくぐって東へ。
北行き道は平面なのに南行きは高い所を走っているのは古墳?を避けたとか・・?

額安寺(かくあんじ)(大和郡山市額田町)
 
この辺りは古代水運の要所で栄えたところ。額安寺は金堂講堂三重塔などが立ち並んでいたらしいが、兵乱と再興を繰り返し、今は講堂(写真 今の本堂)を残すのみ。 
日本最古の虚空蔵菩薩半跏像(重文)は国立博物館に寄託しているとのこと。

 
推古天皇を祀った推古神社 この辺りは推古天皇の出身地だとか。 
本殿は古墳の上に立っているらしい。
      右)推古神社の前は下街道。布留街道と接している辻 太神宮灯籠が建つ。
細い道を山手に登る。

 
額田部窯跡 額安寺の瓦を焼くための窯だったらしく、3基見つかっているとか。
       右)板の隙間からのぞいてみた。四角い掘り込みと深い掘り込みが見えた。

さらに登ると、額安寺五輪塔 

 
大小たくさんの五輪塔が並ぶ。大きい五輪塔から向こうの8基は全部 重文
今まで見たことがないぐらい大きい五輪塔は西大寺の僧・刃性の墓 高さ2,81mもある。
解体修理の際に出てきた骨臓器や遺物も重文指定されているらしい。
窯跡や五輪塔・・額安寺の繁栄ぶりがしのばれる。

ずっと歩いて・・

「このまっすぐな道路何と思う?」っていわれても・・


これは「天理軽便鉄道」の廃線跡だとか。ここから右は平端駅から天理へ。左は法隆寺駅へ。・・そう言ってたら、向こうから法隆寺駅行のバスが通った。
天理軽便鉄道は「大阪電気軌道」後の近鉄法隆寺線で、平端駅から西が廃線になった。

平端駅(大和郡山市昭和町)の近くに来た。
開業当時、平群郡平端村に駅があったという。
古代豪族の平群氏の本拠地はこの辺りまであったとも聞いた。
平端の名の由来は、平群郡の端になることから。というのは聞いたことがある。
またこの辺りは北の山地が徐々に低くなり、平らな盆地中央部に続く所で、起伏の残る地形らしい。先ほどの上り下りもそんな地形だったからか。
今日歩いてきた墓や住宅地も少し高いところにあった。
そしてこの小高いあたりの道路は条里制に基づかない規則性のない道が多いというのも途中で見て納得。はっきりと東西南北に向いた道はないらしい。

平端の踏切を東へ越え・・

筒井順慶の墓所(大和郡山市筒井町)

覆い屋の中に五輪塔が納まった「五輪塔覆い堂」重文

墓地のあるあたりを抜けて一面田んぼの風景が広がる。

佐保川に架かる三郷橋を渡り・・森に囲まれた菅田神社(大和郡山市八条町)に立ち寄り・・近鉄線をくぐってまほろば健康パーク(元、ファミリー公園)をぐるっと一回りして、大和川の堤防を歩き・・

 
田んぼの真ん中に小さいお堂 癒される雰囲気
「油掛地蔵尊」がおわします。全身油でギトギト。願をかける時には油をかける習わしがあるらしい。(磯城郡川西町)


  大和川夕景 だいぶ日が傾いてきた。

杵築神社(安堵町下窪田)から馬場尻橋を渡る。

今はまっすぐ直線的に流れる大和川。昔は蛇行の激しい川だったようで、洪水もたびたび起こったそうだ。
そんな蛇行跡が見られる場所があるという。

 
堤防下の倉庫の前の(敷地内の)道は、蛇行した川に見える。
見せてくれた地図を見ると一目瞭然。蛇行跡は生駒郡安堵町と磯城郡川西町の境界になっている。

馬場塚五輪塔(生駒郡安堵町)
クロガネモチの木の根元に五輪塔が1つ。でもしっかり説明版があってありがたい。
 
馬場氏の祖先の墓とのこと。石は丘にばらばらにあったものをつみあげたらしい。
四角い地輪の部分には細かい字が彫ってある。馬場美濃守氏勝を顕彰する文が彫られているらしい。

道標もたくさん残っていた。見えにくい文字をたどる。
大きい立派なものもあれば、押しやられて一面がまったく見えないもの、
お地蔵さんの前掛けに隠れている道標。

丹波市・三輪・長谷・伊勢・高野・高田・龍田・法隆寺・・・
万葉仮名や独特の崩し字を交え判読はなかなかむつかしい。
施主や世話人や建造年月も読めると面白い。今日のコースで6個所ぐらいあった。
今まで見つけていなかった道標を今日1つ発見したらしい。
6時間半ぐらい歩き、帰りは夕暮れになった。
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2月2日 雪の残る山道 草木も冬眠中

2017年02月02日 | Weblog
今日は寒い。歩いたら暖かくなるかと思ったて出かけたが・・冷たい。
マフラーを口まで覆い、帽子を目深にかぶり・・

しっかり着込んで、体はそんなに寒くなかったが、指先が凍えた。
途中ほんのしばらくだったが吹雪になった。
道は凍っていなかったが早々と引き上げた。


落葉に雪がかかっている。 

 
つややかな赤い実をつけて・・アオキは冬もへっちゃらのよう。
                     右)虫こぶかと思ったが中に虫は見えず。
 
      ウラジロガシ  ツルアリドオシの実が1粒(ピンボケは手の凍えのせい??)


      カラスザンショウの実

草木はひっそりと身を潜めていた。
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2月1日 ブロッコリーが・・

2017年02月01日 | Weblog
だいぶ大きくなって葉も増え、つぼみもできて楽しみにしているベランダのブロッコリー。

 
先日、朝見たら、何と葉がボロボロ。やられた~。ヒヨドリめ!

遅まきながら紐を渡したが・・みじめな姿になってしまった。
初挑戦のブロッコリー。回復するかなあ。

ベランダの手すりの下に鳥の糞
マンリョウの赤い実もほとんどなくなった。
目に入らないのか?残してあるのか1鉢だけはまだ実をつけている。

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