みどりの野原

野原の便り

1月11日 八木町歩き & サークル 新年会と年間計画

2024年01月11日 | Weblog

里山クラブの新年会の前に希望者で八木町歩き。
見どころがたくさんあるが、限られた時間で歩く。


いつも歴史を感じるなあと気になっていた「半九旅館」
『江戸末期創業の旅籠宿で、下ツ道沿いにあったが、八木―桜井間の電車開通頃に現地に移転』(ネット)

看板が消えかけの銭湯「玉湯」かなり前に廃業されているようだ。
地元のメンバーが教えてくれた。銭湯は気にかけているのに知らなかった。
八木の銭湯もだんだんなくなって・・まだ残っているのだろうか?

恵比須神社は好きなところ。

宝形造の正福寺薬師堂(本堂)(廃寺) (露盤に正福寺が見える)がある。
寺門があったり、境内社の白髭稲荷があったり、神仏習合の姿が見られる。
境内は河瀬直美監督の映画「朱花(はねづ)の月」のロケ地になったと教えてもらった。

松尾芭蕉が笈の小文の旅で八木町に1泊した時に詠んだ句碑を見て、春日神社へ。


春日神社 クスノキの大木


古道「下ツ道」と「横大路」が交差する。
高札が建っていたところからこの交差点は「札の辻」と言われた。
江戸時代、伊勢参りや大峰山参詣でずいぶん賑わったようだ。
「西国三十三所名所絵図」には往時の様子が描かれ、高札や井戸や旅人も描かれている。
伊勢詣でに必携なのは「柄杓」。
先に行ったセンタイバ(接待場)で湯茶の接待を受けたり、時には食べ物を入れてもらう時にも使った。
柄杓1本あれば(伊勢参りの人とわかり)途中で宿や食事などの施行を受け、無銭で伊勢までたどりつくこともできたのだとか。

「札の辻交流館」

「札の辻」の東北角に建つ「札の辻交流館」
江戸時代「八木 木原屋 嘉右衛門」の屋号を持つ旧旅籠の建物。
「東の平田屋」とも言われた。
道路を挟んだ西側には「西の平田屋」がある。同じく旅籠だった。今も居住されている。

「東の平田屋」は改修後、2012年~「札の辻交流館」として一般公開されている。
今日はガイドさんの説明付きでよくわかった。

1階は「帳場」、奥には主人の部屋がある。

各地の「講」の看板 予約が入った日には「講」の看板を表に掲げる。

伊勢参りが流行し、街道や宿も整ってきたが、ぼったくりやいかがわしい旅籠・道中の不安も多かったらしい。

旅人に安全な旅を提供しようと考え出されたのが「講」の仕組み。
大阪の松屋甚四郎・源助が発起人となって「浪花講」が始まった。
旅籠での賭博・遊女を買う・酒を飲んで騒ぐ‥などを禁止。
講指定の優良旅籠を斡旋。
旅籠には講の看板を掲げ、旅人の目印とし、旅人は講の札を持って旅をする。

「浪花講」以外にも各地に伊勢詣での「講」ができた。

「講」とは、毎月伊勢参詣を目的とする積み立てをし、みんなで積み立てたお金で、くじで選ばれた代表者が参詣する、という制度。
安心して伊勢参詣ができる仕組みができて、伊勢参り(お蔭参り)はますます盛んになった。
「講」の仕組みを考え作った人はすごいな。

伊勢参りを済ませた後は、衣装替えしてお遍路さんとなり、大津~伏見~三十石船で大阪へと戻る。
浪花講では、そんな帰りの観光コースも紹介していたようだ。


旅籠の屋内井戸 水面が見えた。


階段の上の「蓋」 転落防止や防犯のために夜には鍵がかけられた。

大店で「丁稚さんなどが逃げ出さないように、夜は梯子を外す」・・というのを聞いたことがあるが、火事などあれば大変だ。

2階は全室客間。6室の和室がある。相部屋の雑魚寝だったらしい。


上客用らしい床の間や棚の付いた奥の部屋。


欄間には各地の景色が彫られている。
手前は「淀城と水車」
他にも「住吉大社の屋根と反り橋」「大阪から伏見へ淀川を遡る船を土手から人が綱で引いているところ」など。


天井裏には大屋根を支えるしくみ「桔木(はねぎ)」
梃の原理で大屋根を持ち上げる。この建物には11カ所もあるとか。

後の予定があるので、交流館を出発する。
何回も来ているが、またゆっくり来たくなった。

サークル新年会場に到着。
お食事の後、新年度計画もスムーズに決まる。

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1月8日 平城宮跡~水上池 オシドリ トモエガモ オナガガモ 

2024年01月08日 | Weblog

平城宮跡から水上池へ。

平城宮跡へは久しぶりに来た。


2022年に完成した 大極門(南門・正門) 向こうに大極殿が見える。

「大極門」が完成して、工事中、その上に掛けられていた「覆屋」が東側に曳家されたのには驚いたものです。
その覆屋の中で、今「東楼」が復元整備中。
「東楼 見学デッキ」というものがあったので、登ってみたが、中はよく見えなかった。

「東楼」が完成した後、覆屋は大極門を通り越して西へ移動。
その中で「西楼」が復元される予定らしい。
覆屋の使いまわしはいいことです。すごいことが出来るものだ。

どんどん景色が変わっていく平城宮跡。


広いところでは凧あげに興じる人々。
平和でいいですね。
遠くに若草山が見える。昔は成人式の日に山焼きが行われていた。
今日は成人の日。では今日が山焼きの日?
帰って調べてみたら、今は、1月の第4土曜日となっているらしい。


水上池 古い時代からある溜池らしい。広い。
冬は水鳥の観察地。今日も泉北野鳥会の皆さんも見かけた。

ところで、水上池の読み方は? 
ずっと「みなかみいけ」って言ってたけれど「みずかみいけ」が本当の読み方なの?
Wikipedia 他「みずかみいけ みずがみいけ」になっている。

長く池に住んで、親しまれていたコブハクチョウは去年死んでしまったとか。
淋しくなった。


メンバーの中にスコープを持って来てくださる方がお二人。
お陰で肉眼では見にくい水鳥も見せてもらえてうれしい。


遠くにオシドリ スコープでははっきりと見えた。
白い発泡スチロール?の右側に数羽。
マイデジカメで拡大しても、かろうじて色がわかる程度。

トモエガモも顔の模様がはっきり見えた。
トモエガモを見たのは久々。


オナガガモは肉眼でも見えた。


ホシハジロも近かった。

ミコアイサ 白いので遠かったが、わかる。

他には、マガモ・カルガモ・コガモ・ホシハジロ・オオバン・カイツブリ・カワウ

この頃「水鳥が少なくなった」との声を聞く。
どういうことなのでしょうか?

初めて自衛隊前バス停から帰ったが、その後、ウワナベ池でハシビロガモの群れが見られたそうだ。

時間が早かったので、1駅前の駅から家まで歩いて帰った。

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1月7日 散歩(イヌシデ・アカシデ・シナマンサク・・) & 七草がゆ

2024年01月07日 | Weblog

①気になっている木を見に行ってきた。


イヌシデ でいいかな?
枯れ葉にも毛があり、枝にも毛がある。


これはアカシデと思っている。
枝は無毛で赤っぽく白い皮目がある。

他でも見るが、イヌシデとアカシデ わかりにくい時がある。


マンサクのそばに、枯れ葉がたくさん付いたシナマンサクと思われるものがあるのに初めて気づいた。
蕾があった。


イヌビワ 熟しているのは雄果序 


ヤマコウバシ 冬芽 大きいのは混芽のようだ。


アベマキのどんぐりや殻斗が落ちていた。木はどれ?


この大きい木がアベマキのよう。
見えている葉はコナラ。
根元はごっちゃになっている。


仮軸分枝の枝ぶりはヤマボウシ?
花の時期にも行ってみなくちゃ。

②今日は七草がゆの日。
春の七種は先日摘んできて、洗って準備してある。


  せり(セリ)  なずな(ナズナ) ごぎょう(ハハコグサ)


  はこべら(ハコベ)   ほとけのざ(コオニタビラコ)
ほとけのざ(コオニタビラコ)以外は洗い済み。
これらと、すずな(カブラ)・すずしろ(ダイコン)と。

「いっぱい入れてや」というので、たっぷり入れたら、少々上品さに欠ける七草がゆができたが、おいしかった。

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1月6日 長居公園(タイワンツバキ・コブクザクラ) 植物園(ハボタン・ジュウガツザクラ・タイサンボクとオガタマノキ)

2024年01月06日 | Weblog

今年初めての長居 穏やかな天気だった。

長居公園

タイワンツバキ 今が満開。たくさん花が咲いている。


ウィローオーク(ブナ科) 紅葉が残っていた、
原産地はアメリカらしい。どんなドングリを付けるのか。


コブクザクラ 満開 断続的に春まで咲き続けるようだ。
2つつながったサクランボ(1つのガクの上に果実2個)が見たいものだ。

長居植物園


ハボタンの植栽
キャベツの仲間というのは何となくわかる。
キャベツの仲間にはブロッコリー・カリフラワー・ケール・芽キャベツなど。
そういわれれば・・でもずいぶん形態が違う。

キャベツとハボタン どちらが早く渡来したか?
ハボタンの方が早く、江戸時代に結球しない食用の菜として渡来。
園芸ブームで観賞用に品種改良されたという。

一方、キャベツの渡来は明治時代。一般に広まるのはだいぶ後のことだったとか。


今が盛りのカンツバキ
ツバキの名がつくが、サザンカに近い園芸種。


ツバキ園の中には白~少しピンクがかった一重咲きのような花もある。
これはサザンカに近い園芸種だそうだ。
果実の殻がついていた(上の写真の右中ほど)

本来のサザンカは九州から屋久島に自生し、花は白で一重。
(ここには植えられてないのか?)
サザンカ(11月~12月頃)・カンツバキ(12月~3月頃) ツバキ(2~3月頃)と、咲く時期が違う。
ツバキはまだつぼみだ。


ソシンロウバイ 咲き始め。まだ葉がたくさん残っていた。
離層はできているようで、少し触るとポロリと取れる。


芯の濃いロウバイも少し咲いていた。


満開になっているのはジュウガツザクラ。
秋から冬に咲く。花は淡紅色~白の八重咲き。


タイサンボク 枝の先に付いた果序の落ちた跡。
すっぱりと刃物で切ったよう。その横から側芽が伸びる。
木の下には果序がたくさん落ちていた。
成熟しにくいらしく、実った果実は見えない。


同じモクレン科のオガタマノキ 花は葉腋に付く。
(タイサンボクとオガタマノキの花の付く位置の違いは、言われるまで気がつかなかった)


アキニレ ジグソーパズルのように剥げる樹皮
(樹皮と言っているものは維管束がないので、厳密には樹皮とはいえない分泌物のようなもの?? よくわからない)


成長の悪いアキニレは樹皮?がはがれていない。


アラカシの葉に付いた白い粉状のもの うどん粉病
菌類による病害 白い病斑の中に小さい黒の粒


実体顕微鏡で見ると、黒い粒々がよく見えた。
ここから胞子を出すらしい。


サンゴジュの葉に付いているのは地衣類?


拡大すると、外へ広がっていく様子


チャンチンモドキ 落ちていた果実の先の5つの点は雌しべの跡だそうだ。
左奥にあるのは「核」頭に目が出るの5つの穴が見える。


トキワガマズミ 花も少し残り、瑠璃色の果実が美しい。

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1月5日 春の七草 揃いました。

2024年01月05日 | Weblog

明日は出かける予定があるので、春の七草を摘みに飛鳥へ出かけた。


ハコベ(はこべら)きれいな柔らかそうなところを摘む。


セリ(せり)ここで採れなかったら、もう1か所候補地を見つけてある。
取りにくい場所だったが、なんとか葉だけ摘んだ。


ハハコグサ(ごぎょう)はわりに見つけやすい。


ナズナ(なずな)少し畑へ入らせてもらい、今年はきれいなのが摘めた。


コオニタビラコ(ほとけのざ)
例年探すのに手間取る。
去年採ったところへ行ってみたが、2つの田は草ぼうぼうの休耕田?になっていた。
少し離れた所で、少しだけだが摘むことが出来た。

・・ということで、今年も「春の七種」を揃えることが出来た。
洗ってパックして当日まで保存する。

池の水鳥 遠かったが・・


コガモ


手前は カルガモかな?


泥の上を歩いているのは、チドリの仲間かな?
イカルチドリのようです。

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1月2日 広陵~王寺達磨寺周辺 初ウォーキング

2024年01月02日 | Weblog

息子娘とウォーキング。
行きやすいところはたいてい行っているので新たな行き先は決めにくい。
・・とはいえ、行ったことがあるところもまだまだ知らないことがある。


左の方に古墳らしいものが見えた。行ってみることにする。
いつも行き当たりばったりだ。


「平野古墳群」の説明板があった。これは平野1号墳(平野車塚古墳)
3基確認されていて、他3基は消滅しているそうだ。
すぐそばに、2号墳、もう少し西の方に平野塚穴山古墳(国指定史跡)
があるようだ。
全く知らなかった。回ってみたいが、今日はパスする。

小学校の近くなど何カ所かに「サルに出会ったら、絶対に近づかずその場を離れてください・・・」看板があった。
山に近い、とまでは言えないところなのにサルが出没するのか。


「太子葬送の道」と言われる、斑鳩から大阪、上の太子 への道がこの辺りを通っていたらしい。
道標・燈籠・太子道の石標などがところどころにあった。


尼寺厨神社(にんじくりやじんじゃ) 
祭神は御饌都大神(みけつおおかみ)
(天照大神の御饌(みけ=神饌)を調える神)


山道を抜けると・・。


白山姫神社(しらやまひめじんじゃ)に出た。
修験道の白山信仰に関係する神社らしい。

階段を下る。


「石の鳥居」は、天理の住民や大坂の商家などが「送迎(ひるめ)太神宮」に奉納したもので、送迎太神宮撤去後、ここに移転されたものらしい。

上の写真の黒い印をつけた石段は「送迎太神宮」の道標を半分に割って階段に転用したもの。
「送迎太神宮道」「すぐよしの 大みね・・」などが読める。
来たことがあるのに、鳥居や階段のことは知らなかった。

「送迎(ひるめ)大神宮」というのは明神山の上にかってあった神社。
伊勢神宮へのおかげ参りの風習が全国的に大流行した文政13年頃、大阪と大和の国境の明神山はその通り道だった。
そこに突然、社殿ができ神域が造成され、ここが「大和の皇大神宮」として近郷近在からの送迎太神宮参りが大流行したそうだ。
しかし、翌年、郡山領主柳澤家が、ここはニセの皇大神宮だとして取り壊してしまったという。
明神山山頂にはその説明板がある。


下れば、尼寺廃寺跡公園。塔跡や金堂跡が残る。
回廊で囲まれた法隆寺式伽藍配置だったそうだ。


通りかかった畠田郵便局の前に立派なタラヨウの木。
赤い実をたくさんつけていた。


正面に乳垂れ地蔵(ままたれじぞう)・右に役行者のお堂。
乳母の乳の出が少なかったので、推古天皇がこの地蔵に祈願されたところ、よく乳がでるようになったとの伝説が残る。


乳垂れ地蔵の敷地の一角に、道標があるのを教えてもらった。
言われなければ気がつかない。


車道から1段高い造成宅地のフェンス沿いに倒れているのは道標だ。
こんなとこ、どうやって見つけたん。
ここに家が建ったら道標はどうなるのか・・
「こうやってだんだん道標がなくなっていくんや」と息子。


芦田池 『推古天皇が、607年の冬、大和に造った4つの溜池(片岡池・高市池・藤原池・菅原池)の1つ「片岡池」のことで、官立の溜池である‥』と日本書紀に架かれているらしい。(説明板)
池は水が抜かれている(かいぼり 池干し中)


車道沿いに、孝霊天皇御陵・武烈天皇御陵への道標
あれっ?孝霊天皇は「田原本」、武烈天皇は「初瀬」に宮の伝承地があるのに?
御陵は王寺や香芝に御陵があるとは知らなかった。
(知らないことばかり・・)


今日の目的地?折り返し点?達磨寺についた。


達磨寺本堂 H16(2002)に建替えられた。立派なお寺だ。
本堂は、達磨寺3号墳という円墳の上に建っているそうだ。


建て替えの時に、石の蓋をした石室が見つかり、中に合子、その中に水晶の五輪塔、その中に仏舎利が入っていたという。

境内には・・


「達磨寺旧本堂の瓦製露盤」 
なかなか間近で見ることのない露盤が目の前で見れた。
この露盤が乗っていたということは・・旧本堂は今の本堂とは屋根の形が違っていたということかな?


「一夜竹」
達磨大師が竹の杖を挿したところ、1夜で芽が出た、という。
熱帯性の株立ちの竹、ホウライチクだ。


「石像雪丸像」 
「雪丸」は、聖徳太子の愛犬で、人の言葉も理解でき、お経が読め、達磨の墓を守るために本堂の近くに葬るように遺言したのだとか。
王寺町のマスコットにもなっている。

「薬師石」は、大和名所図会の、達磨寺境内図にも描かれているという。
目を閉じて近寄り、両手で抱けば、病気が全癒すると伝えられている霊石。
今は特に病気はないが・・念のために(笑)やっておいた。

他にも見どころがたくさんあり、見切れなかった。

帰路、途中までバスに乗ることにしたが、少し待ち時間がある。
1駅歩こうと言ったが、娘は村の中をひと回りしようという。


民家の庭に花が終わったばかりのイチゴノキがあった。

王寺本町の集落内をぐるっと巡る。立派な旧家が多い。


中でも目を引いた避雷針のある旧家。
ネットによると「谷家住宅」のようだ。
江戸時代後期に7年がかりで建てられたとのこと。

バスの時間に合わせて戻る。
途中のバス停で降りて、車を停めた所まで歩いて戻った。

6キロ余りのウォーキングだった。

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1月1日 ②墓参りを兼ねて明日香をウォーキング 大地震発生

2024年01月01日 | Weblog

娘や息子と墓参りの後、明日香を歩く。
娘は知らなかったところが多かったみたい。私も知らない道があった。

役場の駐車場に停めさせてもらって歩く。


川原寺前の道標や庚申塔にも松飾り。


橘寺の東北の辻にある道標石仏の1つにも輪飾り。


高市橋から飛鳥川


父が勤めていた昔の高市村役場 右端に「高市村道路元標」がある。


市場通り 8月10日にはお盆の市「十日市」がたったところ。
今でも市はあるのかな?
電線埋設ですっきりと美しい通り。


治田神社の鳥居から岡寺に向かう参道「湯屋谷」と言った。
実家があった所。


お墓は少し高い場所にあり、ここからの景色はよくて好きだ。
お墓参り。ご先祖様にお礼とご挨拶。

治田神社にお参りに行く。参道を登ってもいいんだけれど「あそこから行けるはず」という息子について行く。


わあ。えらい山道。落ち葉と枯枝を踏んで登る。


確かに道らしくはある。


しばらく登ると、治田神社の拝殿の前に出た。


治田神社 父はお正月には毎年鏡餅をお供えしていた。
しっかりお参り。


船形の手水鉢 昔と変わらないが、蛇口が付いていた。


広い参道は子供の頃のあそび場だった。
運動会の走る練習にはちょうどよかった。
お正月には羽根付きをした。今は誰もいない。

『境内には8世紀初頭の岡寺(龍蓋寺)の創設伽藍があったと推測されている(凝灰石の基壇や礎石瓦が出土)。寺の鎮守社として境内地に祀られていた可能性がある』(説明板)


抜けると岡寺の前に出る。門前は初詣客でにぎわっている。
大勢の参拝客は手前を左へ下ったところにある駐車場へ。
又は、右下の参道を少し下って新設されているいくつかの駐車場へと戻っていき、すぐそばにある風情のある治田神社へお参りする人はほとんどない。

岡寺の人混みを避けて参道を下る。

周遊路から昔のお墓の方へ行ってみる。


周遊路から入った所にある地蔵石仏


その奥にたくさんの石仏


そこからは落ち葉の積もる山道を登る。
今日は山歩きするつもりはなかったのだが・・


古いお墓に出た。昔は埋み墓だった所。
(お墓は左上に広がっている)
昭和48年に亡くなった祖父も土葬だった。
その後、寺に近い所に石塔墓(先ほど墓参りした場所)が出来て、そこへ移している。

そして、実家で飼っていた犬「ジュンちゃん」もここへ埋葬した。
「ジュンちゃんの墓」の木札を立てたのを覚えている。
娘たちはお墓を見に行ったがわかるはずもない。
祖父の墓さえどのへんだったかわからない。

「埋葬墓地と石塔墓地を別の場所に分けて設けるのを両墓制というんだって」娘が本で読んだという知識を教えてくれた。へえ~知らなかった。


山道と急な階段を下って農免道路に降りた。


道を横切った所に、今まで気づかなかった細い下り山道が見えた。
ここを降りたらお寺の横に出るはず。
・・と下ろうとしたちょうどその時・・16:10

「ボアンボアン」どんな音だったか・・「大地震発生 大地震発生・・」と大音量の村のアナウンス。
え~っ。何何?どうしたん?
それが、能登の大地震だった。
正月の穏やかな空気も凍り付くような出来事。・・怖い・・
歩いていたせいか全く揺れは感じなかった。
(帰ってニュースを見たらすごいことになっていた。)

常谷寺の横を下って参道に出る。


産の宮さん(八坂神社)お祭りがあったのを思い出す。

石舞台へ。


駐車場の端に移設されている地蔵堂(元は北西の隅にあったもの)


赤い前垂れのお地蔵さま。道標になっているそうだ。


お堂の床下にお地蔵さまの足元が見えた。
上半身だけがお堂の中に納まっているのか。
こんなになっているのは知らなかった。
 

旧明日香村役場


吉野川分水が通っている。


新役場に戻り、近くの田んぼに積んである籾殻をいただいて帰る。
「ネコの○○の匂いがする」というので、開ける時に注意しよう。

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1月1日 ①おせち料理 正月飾り 平和なお正月

2024年01月01日 | Weblog

娘も帰ってきて久しぶりの家族団らん。
みんな健康で平和なお正月を迎えることが出来た。

正月飾りいろいろ


お知り合いからいただいたジグソーのタツノオトシゴ


こまごました正月飾り。 
棚の右上の黄緑のタツノオトシゴは娘のフェルト作品


工作部会で竹伐りから作ったミニ門松。
マツとツルウメモドキを加えたら華やかになった。
材料費0円


娘の友達が下さったゴクラクチョウカ(ストレリチア)
長い間楽しめる。

お節も作りました。


昔ながらのお節です。
変わり映えはしないが、おいしいと言って食べてくれるので作り甲斐がある。
紅白なますはゆず釜に。菊花カブには壱岐の小島神社近くで採ってきたクコの実を乗せた(見えないが)。パリパリごまめ はお重に入れる前にみんながつまんで半分に。だて巻きは調味料を入れ忘れ・・形を変えて調味料を塗って青のりを振りかけたら何とかさまになった。
初めてクワイをクワエた。
クワイは昔あまり好きではなかったが、うまくできて好評。
来年も作ろう。
写真にはないが、お雑煮は白みそ仕立て。


かわいい。なかなか絵になるクワイ。
料理は剥いてしまうのが残念。

家族そろって幸せな年始でした。

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