チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2010.01.23 羽子板の飾り物のこと

この羽子板は、我が家には珍しく、豪華な飾り物です。
これは、私の友人(昔の職場の後輩でした)のYさんからの頂き物です。
多くの友人達のお陰で家が再建できて、震災から1年半後に、神戸へ戻る
ことが出来た私でしたが、その後、Yさんから、羽子板を貰って呉れないか
と、連絡がありました。
どういうことかと聞きますと、昔、彼女が結婚するとき、彼女の伯母さんが、
お祝いに手作りの羽子板を作って下さったそうです。
彼女の親戚は、手先の器用な方が多いそうで、その伯母さんもこの木目込み
人形以外にも、和裁や、刺繍や、色々な手先の仕事が巧みな人だったそうで、
Yさんのお父さんも又、料理や大工仕事など、玄人はだしだったそうです。
Yさんは、この羽子板を、長年、箱に入れたまま、押し入れに仕舞っていた
そうですが、ある時、彼女の娘さんが年頃になったので、「いずれ結婚する時
には、この羽子板を持って行きなさい。」と言うと、きっぱりと断られたと言
うのです。
そんな時、私が震災後、神戸に戻ってから、一念発起、職場を辞めて、コンピ
ューターで何か始めたいと思い立ち、試行錯誤の後、グラフィックに辿り着き、
まだ今から、その勉強を始めようという段階でしたのに、はや「・・工房」と
いう屋号を付けていましたので、何か、買い被られたのかも知れません。
美的な仕事に参考になるかも知れないから、ぜひと言うのです。
私は、そんな大切なものを頂くのは抵抗があって、何度も断りましたが、遂に、
羽子板は我が家へやって来ました。

彼女が運んで来てくれた羽子板は、何十年の月日を経ているとは信じられない
ほどで、お顔なども汚れの無い純白で、あまりにも美しく、私はすっかり驚き
ました。
私はこの羽子板が大好きになりました。
以来10数年、この羽子板は、我が家の大切な宝となりました。
ここに登場するYさんとは、このブログでおなじみの調理師のYさんです。
彼女のことは、カテゴリー「Yさんのこと、そして彼女のチタン鍋活用法」
にまとめております。
2010.01.21 仏画

毎年、お目にかけている、迎春風景です。
「仏画」と「羽子板」は、普段からここにありますが、元旦の朝は、この場所に「ミニお屠蘇
セット」(左下)を飾って、今年の加護をお願いします。

私の大切な仏画です。
知り合いの女流染色家の作品です。絹地を染めたものです。
(絵ではなく、染め物だとか。)
今から7~8年前、彼女の個展に行った時、一目で気に入り、購入しました。
彼女自身も、これが大好きで、本当は自分で持って置きたかったので、売れなければ良いがと
思っていたそうです。
それを、私が、横取りしてしまいました。
その時、彼女は「貴女のところに行くのなら良いわ」と、言ってくれました。
彼女は50回以上も海外旅行をしたそうですが、インドとか、中近東方面にしか行ったことは
ないそうです。この地域に、とても惹かれるものがあり、欧米などには興味が無いそうです。
以前に、あるお宅で、彼女の藍染めの仏画を見て、私は感動しました。
私も、それを欲しいと頼んでおりましたが、その後手に入れた、この仏画は、藍染めではなく
カラフルなものですが、この静かな色合いも又素晴らしいと思います。
彼女の仏画は、インドなどに多い、琵琶の様な楽器を持って少し足を曲げて踊っている女性の
姿など、まるで音楽が聴こえて来るような、陽気で動きのある楽しいものが多いです。
その彼女の絵の中では、この絵は、大人しい、仏画らしい仏画かもしれません。
この絵があるおかげで、我が家のこの一角が、とても神聖な場所になりました。
彼女は、ご高齢ですが、今年の年賀状によれば、今でも染色をしていますとのことでした。
※ 次回は、写真右の大きな「羽子板」のことを、書きたいと思います。
2010.01.17 母の屠蘇器(阪神大震災15周年記念日、【ブログ第600話目】)
今日は、「阪神大震災15周年記念日」です。
そして、今回で、私のこのブログは丁度「600話目」となりました。
その600話目に、あの大震災を乗り越えた、母の朱塗りの屠蘇器に付いて書かせて
頂きます。
(1)
これは、私の母が大切にしていた漆塗りの屠蘇器です。
母は、大層、物を大切にする人でした。
私は、母が亡くなってからは、この屠蘇器は仕舞ったままにして、別に、手入れの楽
な陶器の屠蘇器を買って来て、毎年のお正月に使っていました。
しかし、その陶器の屠蘇器は、震災で割れてしまいました。
震災後は、まるで、ままごとの様なミニお屠蘇器を手に入れ、使っていました。
「2010.01.15 私のミニお屠蘇器」
(2)
2年前のことです。
私が今の家に転居した後、2年間空き家になっていた家を、いよいよ引き払うことに
なった時、この母の大切にしていた屠蘇器を見つけました。
母が亡くなってから、20年以上経って、初めて見ました。
もう,忘れかけていた、その屠蘇器を見た時、私は、強く打たれました。
何と美しい朱色だろう!手放したくない!と思いました。
ところが私の言葉は、心と反対のことを言っていました。
丁度その時手伝いに来てくれていた妹に、「これを、持って帰って使いなさい。」と。
(「私には、ミニお屠蘇器がある!」…、と自分に強く言い聞かせながら。)
案の定、その後、これを思い出して、心が痛むことになりました。
あんな美しい朱色があったであろうか?それはもう、今では出せない色かもしれない。
それを、もっと多くの人に見て貰うべきではないか?この美しさを、これから毎年、
お正月に私のブログで、皆さんに見て貰うことが、母への供養になるのではないか?
私は、そう思いました。
物に執着の強い私は、眠れない日が続き、思い切って妹に屠蘇器を返してくれる様に
頼んでみました。
でも、すでに彼女は、使い始めている由だったので、あきらめました。
それでは、せめて写真に撮らせてもらいたいと思い、新年早々の1月4日、妹の家を
訪ねて、これを撮影したのでした。仲良しの友人二人と一緒に行きました。
そして、妹が、この屠蘇器を大切にしてくれている様子を見て、有難く思いました。
(3)
それにしても、少しは剥げたり傷んだりしているものの、あの震災に割れもせず
ほとんど損傷無く、こんなに美しく原型を留めて残った「塗りの屠蘇器」が、神戸で
他にもあったでしょうか?
我が家の様に、全壊とは言え、基礎がしっかり残った為、界隈で1軒だけ修理を施して
住むことが出来た家は、奇跡と言われた程で、ほとんどの家は、倒壊した訳ですから、
何もかも失われたのが現状であり、かろうじて残った家でも、まさか塗りの屠蘇器が、
無傷に近く残ったところは、皆無に近いかも知れません。
(神戸より被害の少なかった甲子園の兄の家でも、屠蘇器が壊れて、後に輪島まで修理に
出したことを聞きました。)
ところで、我が家は、あの大震災の時、周りの家々が、取り壊すしかなかった程の
壊滅的な被害を受けた中で1軒だけ残ったことには、やはり大きな原因が、いくつも
あったと思います。
偶然残った…と言う様な、単純なものではなかったことに、日を追って気付かされます。
(それらについては、項を改めて、いつか書きたいと思いますが、具体的なことでは、
我が家にはシロアリがいませんでした。当時勤めていた私が、日中留守である自宅を
どうやってシロアリの居ない家にすることができたか?なぜ、そうしようと思ったか?
それらを、早くお知らせしたいと思っていますが、多忙で追いついて行きません。)
(4)
最初に書きました様に、今日は、「阪神大震災から15年周年記念日」です。
そして、私のこのブログにとっては、丁度「第600話目」の投稿となりました。
(ブログを始めて2年半弱で600話ということは、相当密度が高かったかと思います。)
この日にあたりまして、「母の屠蘇器」のお話が出来ましたことを、とても嬉しく思います。
これからも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
2010.01.15 私のミニお屠蘇セット
(1)
毎年お見せする、私の自慢のお屠蘇セットです。
何とも可愛い、手のひらに乗るサイズのお屠蘇セットです。
左にある赤と黒の丸い蓋物が、ちょうど盃の大きさです。
これを作った人は、本当に、これを大人が使うことを想定していたでしょうか^^?
阪神大震災で、以前使っていた陶器の屠蘇器は、壊れました。
1年半の避難生活の後、神戸に戻ってから、新しい屠蘇器が欲しかった私は百貨店でこれを
見つけた時、とても嬉しかったことを思い出します。
といっても、塗り物はセットで、瀬戸物は別の百貨店でこれは単品で一つずつ買いました。
手前の、「龍」の字の紅白の陶器の蓋物は、震災前から持っていましたが、震災で片一方が
割れてしまいました。
しかし、その後、何と言う幸運か、以前これを買った百貨店に一つだけ残っているのを見付け
ました。
しかも、私の割れた方と同じ物が震災を超えて、たった一つだけ売り場に残っていたのです。
この偶然に、私は大喜びしました。飛び上がる程嬉しかったです。
(2)
龍の陶器の蓋物の蓋を開けたところです。
白い地色の方に昆布を、赤い地色の方に削り鰹を入れています。
昆布は、いつもは、結び昆布にして入れますが、今回は、松葉に切って入れました。
赤い方には、以前は、焼いたするめを裂いて入れていましたが、最近は、削り鰹にしました。
真ん中の扇子型の白い器は、粗塩入れにしています。この3つが、お屠蘇の肴です。
(3)
元旦の午前中に、お屠蘇を祝うことを、母に厳しく言われていましたので、以前は、その
言いつけを守る為に、元旦のお昼直前は、走り回っていました。(私は起きるのが遅かった
ので、なかなか大変でした。汗;)
私は、空きっ腹にお屠蘇を飲むと頭痛がするので(少量でも、朝の起きたての空きっ腹に
アルコールを飲むと堪えるのです)、それで、先に、祝い膳の用意などすべて済ませておき、
お屠蘇の後に、すぐおせちを食べられる様に準備万端にしてから、お屠蘇を祝っていたか
らです。(考えてみれば、それが当たり前でしょうけれど…。大汗;;)
勤めていた頃も、慌ててミニおせちを作って、生花を活けて、お屠蘇ですから、キリキリ
舞いでした。
そんなこんなで、正午の1分前とか、2分前に、滑り込みセーフで、ハーハー良いながら、
かろうじてお屠蘇を祝い始めることが、よくありました。
(母が、天国で、相変わらずな娘にあきれていたに違いありません。)
でも、今年は、悠々です。
活け花も、近年は手抜きで、造花になってしまいましたし、特に、今年はおせちも取り寄せ
ました。
本当に、今年は、楽なお正月をさせて頂きました。
2010.01.11 迎春の飾り#4(造花の菊)

(1)
この菊は、造花ですが、昨年末に見付け、強く引きつけられて買いました。
何故なら、幼い頃、着せてもらっていた大好きな晴れ着に、この菊が描かれていた
からです。
濃い紫の生地で友禅模様の、豪華なすばらしい着物でした。
この菊の花と、様々な小花や御所車などが描かれた古代模様の美しさが、 脳裏に
蘇って来ます。
生地は、ちりめんの様な、少し縒りの入ったものでした。
裏地は、真っ赤な絹でした。
しかし、中が赤で、裏が黄色の、こんな菊が、本当にあるのでしょうか?
着物の中の菊の花は、確かにこの花でした。

(2)
私は、この菊を見たとき、胸がズキンとしました。
4年前の引っ越しの時、「要らないものを捨てる」のでなくて、「要るものだけ持って
行く」ことをしないと、マンションでの快適な生活は出来ないとの知人のアドバイス
を受け入れ、心を鬼にして捨てて来たものを、思い出して胸がキュンと痛くなること
がありますが、今回、まさにそうでした。
引越後、数年の間に、こんなことが、幾度もありました。
でも、そんな覚悟で物を整理したからこそ、引越が出来たのだと、自分に言い聞かせ
てきました。
引越整理の時、亡き母が着物の端切れを入れていた古い木箱を見付けた時、この濃紫
の着物の小さな端切れを見ましたが、目をつぶって全部捨てました。
あの端切れだけでも、ポケットに突っ込んでおけば良かった。
この私の行動は、結果的に母との思い出まで断ち切ろうとしたかの様な気がしてきて、
自らを強く責めてしまいます。
せめて、この造花の菊を、あの端切れの代わりに、大切にして行こう。
そう思った途端、私は、ワ~と泣きたい様な、こみ上げてくるものを感じました。
やがて、ふと思いました。
それで、この菊が、現れてくれたのかも知れない。思い出の絆を繋ぐ為に…。
きっとそうだ。
そうと思うと、急に心が軽くなり、私は、感謝で一杯になったのでした。
2010.01.09 迎春の飾り#3(玄関)

(1)
新年の玄関です。照明が暗いので、写真に写り難いです。

(2)
毎年、ここへ載せていますが、私の自慢の漆塗りの干支の絵です。
これを買ったのは、20年程前ですが、以前の家では、壁の色が暗くて、合わない
感じだったので、一度も飾らないまま仕舞っていました。
引っ越して、今の家に来てから、ようやく、初めて箱から出して飾りました。
今度の家は、壁が白いので、大変引き立ちます。
まるで、この家に来る為に、買っておいたのかと思った程です。
少し高価でしたが、思い切って買っておいて良かったなと、つくづく思っています。
伝統的な図柄が多い漆塗りには珍しく、干支を大胆にデフォルメしています。
子、丑、寅、卯…と、一つずつ見て行くと面白いです。

(3)
この赤い花瓶の色が、好きです。
玄関を明るく、おしゃれに飾ってくれています。
※ なお、次回は、右端の大きなガラスの花瓶の中の、「菊の造花」に付いて書きたい
と思います。
2010.01.07 迎春の飾り#2(寅)

(1)
新年の飾り棚の上です。

(2)
寅2頭です。
左は、木の細工ものです。
右は,ガラス製です。
どちらも、ずっと以前に買ったものです。

(3)
この黄色い寅を、年賀状に描こうと思った迄は良かったのですが、
寅は、どんな顔をしているのか分かりません。
それで、ネットで見たアムール寅の顔を、描こうと試みましたが、
似ても似つかぬものに、なってしまいました。汗;;
とても、難しすぎて、描けませんでした。
良い訳をすれば、まだ、マックのOS#10に慣れておらず、新しい
ソフトになじんでいないので、どのツールを、どう使うか分から
ない為、思う様に描けないのです。
気に入りませんでしたが、エイッと、これで仕上げてしまいました。
しかし、今回、初めて知りましたが、寅の横顔は大変美しいですね。
(口を締めている時の話ですが。)
特に鼻の線が、美しいと思いました。
私が見た、今年の干支、寅の写真のサイトをリンクします。
旭山動物園 虎
旭山動物園 虎2
2010.01.05 迎春の飾り

(1)
窓飾りです。
今年から、変わりました。
朝の光で写真を撮ると、逆光になって、せっかくの 鏡餅が白くは写りません。

(2)
それで、夕方の斜めの光で、撮り方も斜めから写すと、白いお餅になりました。^0^

(3)
我が家の「迎春ドア飾り」です。
本当の「しめ縄」は、稲わらを撚って、橙や、ゆずり葉などと組み合わせたものですが、最近は、
ほとんど、見かけなくなりました。
まして、本式のものは、神社などでしか、見られなくなりました。
私のは、クリスマスリースのお正月版の様な物ですが、こんなものでも、しめ縄の代わりに玄関に
飾っている家は、私のマンションの同じ階では、我が家1軒だけでした。

(4)
下の方の 丸い輪の方は、数年前に百均の店で、200円で買ったものです。
綺麗な金色の線を束ねて丸くしたもので、大変華やかですが、これだけでは飾り難いと思って、使
っていませんでした。
ところが、昨年末、上の方の飾り(椿と松と笹の葉と「迎春」の字の紙がある)を見つけました。
この二つを合わせて見ると、何だかとても、しっくりと釣り合っているので、嬉しくなりました。
ですから、これは、上下、別物を組み合わせたものです。
どちらも、百均で買ったものです。
たった300円ですが、これがドアにあると、心が浮き立つ思いです。

<追加です。>
鏡餅にズーム!
右上に、「打ち出の小槌」と「小判」もあります。
縁起が良いですね。
2010.01.03 ルンルンお正月
とって、最高のお正月となりました。
声の年賀状を、掲示板の方(これは、まだ写真付きの掲示板などなかった
時代を含め、10年以上続いているプライベートな掲示板です。)に載せる
アイデアは、昨年のお正月から持っていました。
しかし、昨年のお正月は、あまりの多忙で、しかも、ひどい風邪を引いて
いたので(そんな状況でもおせちはつくりましたが)、それは無理でした。
それで、一年越しで、トライしたのです。
その録音を、掲示板には、楽にUPできましたが、ブログに載せるには、
苦労をしたことを、前回お話しました。
それから、昨日、ふと思いつきました。
チタンオンラインショップの方にも、載せたらどうかしら?
でも、おかしいかもしれない。止めた方が良いかしら?
しばらく、考えてから、親友に電話しました。
やりすぎよ、止めなさいと言われるかと思っていたら、
「あら、それ、いいやないの。」
「でも、そんなことしたら、おかしいでしょう?何考えてるの?と思われ
ない?」
「いやー。良いと思うよ。」
そうか~、私は意外に、恥ずかしがって身を揉んでしまうタイプなので、
率直に意見を言ってくれる、こんな友人達が、絶対に必要な人間だと思
います。(しかし、絶対にそうは見えないらしいのですが…。)
このブログも、UPする度に、友人に連絡して見て貰っています。
(特に、偉そうに自説を披瀝した後や、震災復興の思い出など、思い入れ
がこもった長い文章を書いた時は、消えてしまいたくなります。友人に
「あれで、いいやないの」と言われるまでは、極度に落ち込んでいます。)
そんな私ですので、彼女の言葉に勢いを得ました。
さっそく、「謹賀新年」と言うバナーを作り、ショップにUPして、先に
私のHPに作っておいたmp3のページに、リンクを張りました。
なかなか出来ず、焦った後に、ようやくリンクが張れました。
そして、バナーをクリックすると、声が流れるではあ~りませんか?
ウソー!キャー!出来た。
もう、私は、わくわく、ルンルンで、他のことが手が付きません。
年賀状の返事を書きつつ、心はうわの空で、すぐパソコンの前に張り付き、
自分で、ショップや、ブログや、掲示板に行ってはクリックしています。
ヘ~?出来た!出来た!…クリック!クリック!
まるで、おもちゃですね。汗;;
そんなことで、私の狭い脳の中は、このことで一杯です。
おかしなことでルンルンする人間が居るものだなと、お思いかも知れません
が、本当に居るのです。
もし、お時間がありましたら,お付き合い頂けると嬉しく思います。
下記に、載せております。
◎その1、「チタンオンラインショップ」の、上部です。
◎その2、元旦のブログ、「2010.01.01 あけましておめでとうございます」に。
◎その3、そして、「みずえ’s ほのぼのサロン」(掲示板)です。
これは、ショップには関係の無いプライベートなご挨拶で、2種類あります。
なお、バーが付いている場合は、「▶」の箇所を、クリックして下さいね。
念のため、下に,見本を付けておきます。

2009.12.28 遅ればせながら、今年のお正月の続き#7(最終回)

(1)
お話しました様に、今年は、人をおせちにお招きする予定ではなかったのですが、ご家族に病人が出て、
病院詰めの友人がいたので、来てもらったり、私も暇よともう一人参加したりして、私には余る程の
おせちを作ってあったので、もう一度、おせちご招待をしたことを書きましたが、「2009.01.03 来客」
「2009.01.09 祝い酒」
上は、その友人が、携帯で写した、その日のおせちの写真です。
彼女は、これを携帯の「待ち受け画面」に入れているので、彼女が携帯を開ける度に、友人達に「ワー!
すごい。これ、どこの料亭?」と聞かれるそうです。
その写真を送って貰いました。
私も、待ち受けに入れたかったのですが、入れ方が分からないまま、今になってしまいました。
いまや、待ち受け画面の設定も出来ない人は、私ぐらいかも知れませんよね。汗;;
(頑固におせちを作り続けていた人も、いまや珍しかった様に…。
おせちは、本来、大家族で、大勢で協力して、作り上げるものでしょうね。私も、作っていながら、
つくづく、そう思っていました。
ちょっと、これ買って来て、皮を剥いて、などと頼む人がいないのは不便です。調理から離れられない
状況ですから。私などの様に、自己流で適当に自分の好きなもの〔=野菜料理〕だけ、作っているのと
違って、本格的なおせち作りなら、それこそ大変だと思います。
あ、思い出しました。私も昔は、もっと色々、卵の黄身と白身を別々に裏ごしして蒸した料理や、
変わったところでは、生のタンを買って来て、卵白と粗塩で包んで焼いて、塩タンなども作っていまし
たっけ。塩タンは、本当に美味でした。)

(2)
その後、昨年末から引いていた風邪(実は、風邪と思っていなかったおかしな私ですが)を、散々こじ
らせて、ほとんど、食事らしい食事がとれなくなりましたが、かろうじて、1月5日の夕食風景の写真
が残っておりました。(おかゆです。汗;)
その後、声が全く出ず、喉が破れそうな激しい咳と、一晩にティッシュを1箱半使う、ひどい風邪の
日々が、延々と続きましたが、私は、そんな時、逆に、感謝で一杯になる自分を発見します。
自分のつらさを思うよりも、こんなひどい風邪を昔の人が引いた場合、どうしたのだろう?
そのことに、思いを馳せてしまいます。
これについては、いずれ、改めて、書かせて頂きたいと思います。
その後、4月に、足をこじらせてしまい、治す為に6カ月間外出せず、足を治す努力をしました。
全く動けないので、食材なども取り寄せました。(便利な世の中になったものですね。)
ほとんど治ったと思ったら、いろいろあって、又ぶり返し、ぶり返しして、今まだ、完治へ向けて頑張
っている最中です。
足だけは、治しておかないと、今後困ると思います。
(3)
そして、来年は、この食材を取り寄せていた業者が斡旋するおせちを、注文しました。
今回、長々とおせちについて書きましたが、私としては、自分のおせち作り終了を記念して、又、
もしかして、どなたかの参考となるかも知れないと思い、書かせて頂きました。

(4)
最後に、昨年の「ファイナルおせちパーテイー」の写真の、切り抜きをアップします。
(おせち一覧と申しましょうか?大皿一覧と申しましょうか?)
このパーティー(2008年1月)は、私にとって、記念すべき感謝の出来事でした。
そして、思いがけなく今年も又、小パーティーを開き、良い記念となりました。
< 完 >
2009.12.26 遅ればせながら、今年のお正月の続き#6(酢の物の残り3つ)
(1)
上は、「千枚漬け」です。
(聖護院かぶらは、もっと平たいです。間違えて聖護院大根を描いてしまいました。すみません。)
千枚漬けは、私の場合、わざわざ蕪を買うのではなく、菊花かぶを作った残りで作ります。
菊花かぶを作る時、大蕪又は、聖護院かぶらの真ん中を使いますから、上や下が残って、もったいない
ことから、千枚漬を作り始めました。
作り方や、味付けは、紅白膾などと、変わりません。
蕪は皮を剥いてから、薄切りにし、塩を当てて、しんなりしたら、軽くしぼります。
昆布を敷いた器に、蕪の薄切りを入れて、上から、砂糖、昆布酢(あれば橙)、薄口醤油を数滴、出汁
少々、鷹の爪、ゆずの千切りを入れて、冷蔵庫で保存します。
(写真では、鷹の爪は輪切りを使っていますが、千枚漬けの場合は、輪切りでなく、唐辛子の形のまま
使う方が美しいかと思います。)
(2)
器の中の白い方は、「酢蓮」です。
<作り方>
私は、いつもお煮染め用の蓮根の一部で、作ります。
蓮根は、薄切りにし、水にさらします。
お湯をわかして、酢を入れ、さっと茹でて(シャリシャリしている方が良いので茹で過ぎないこと)、
甘酢の中に漬けます。
甘酢は、砂糖、昆布酢、塩少々、少量の出汁で作ります。
それを、昆布を敷いた器に入れます。好みで、鷹の爪の輪切りを散らします。
(もちろん、昆布を敷いた上に、茹でた蓮根を入れ、上に調味料を加えても、OKです。)
(3)
器の中の茶色いものは、「たたきごぼう」です。
<作り方>
洗った牛蒡を、鍋の長さに切って、お湯で茹でる。
柔らかくなったら、まな板に取って、すりこぎなどで叩く。
それを、4~5cmの長さに切る。太いものは、2つ割り、4つ割りなどにする。
すりばちに、たっぷりの白ごまを摺る。
砂糖、昆布酢、薄口醤油、少量の出汁を加えてすり混ぜる。
そこへ、先のごぼうを(熱い内に)入れて、からめる。
以上、5種が、私のいつもの酢の物です。
作り方は、すべて自己流です。
【酢の物のコツ】
どの酢の物もそうですが、合わせ酢を、先に作る必要は無いと思います。
昆布を敷いた上に、直接材料を入れて、上に調味料をどんどん入れてゆくやり方を始めると、一気に
酢の物上手になると、私は思います。
(これは、私が尊敬する女板前のやり方で、酢の物で、彼女以上の腕の人を、私は知りません。)
そして、これらの酢の物は、翌日以降、どんどん美味しくなって行きます。
(紅白膾にしろ、菊花かぶにしろ、千枚漬けにしろ、その他の酢の物も、最初に、味をきっちり付けて
おく必要はないと、私が思う理由は、ここにあります。昆布や材料の味が混じり合ったマイルドな全体
の味が、まだ分からないからです。食する前に、確認し、万一、足りなければ、そこで修正します。
しかし、多分、ここですでに感動の味になっているはずです。)
私の更に、古いホームページ「2001年 お正月大好き人間のこだわり日記」をリンクします。
古い方へ 向かって、逆に、リンクしていますね。
昔のホームページは、レイアウトも崩れていて、読み難いです。済みません。
その時点の、マッキントッシュの文字規格では、綺麗にレイアウトされていたのですが…。
2009.12.24 遅ればせながら、今年のお正月の続き#5(紅白膾と菊花かぶ)

紅白なますです。
今年の紅白なますは、テキトーな感じで、済みません。写真を見ても、一応作ったという感じです。
<作り方>
大根を千切りにし、金時人参も、千切りにし、両方に塩を当てます。(人参は、多すぎない様に)
しばらくおいて、各々水気をしぼります。(しぼり過ぎない様にします)
それを、昆布を敷いた器に入れて、砂糖(料理に砂糖を使わない私も酢の物には砂糖を使います。)、
昆布酢(酢の中に一晩昆布をつけたもの)、薄口醤油を数滴で味付けし、鷹の爪の輪切りと、ゆずの
線切りを散らして、「かつおと昆布の出汁」を加えて(美味しくする為には必須です)、冷蔵庫に入れ
保存します。
橙があれば、酢の代わりに使うと、優しい味になり、最高です。
昆布から、良い出汁が出て、翌日以降、どんどん美味しくなります。

菊花かぶです。
これも、今年は、細工が荒くて雑な作りで済みません。
素材が、大切です。柔らかくきめの細かい聖護院大根を使うと美しいと思います。
<作り方>

(1)
大蕪、又は聖護院大根を輪切りにして、皮を剥いて、包丁で細かく切り込みを入れ、向きを変えて、
又切り込みを入れる。

(2)
その時、下の方まで切らない様に気を付ける。(慣れない内は、下に割り箸などを置いて切る。)
(3)
それを、バットなどの平たいものに置いて、塩を振る。
下の切り込んでいないところは、塩がなじみ難いので、塩を擦り込むか、バットの底に塩をパラリと
少しだけ撒いておく。

(4)
塩がなじんで、少ししんなりしたら、裏返して、カットする。
(裏の包丁目が入っていない部分に軽く切り目を入れ、優しく手で裂く。)
(5)
それを、軽くしぼる。
(6)
昆布を敷いた器に、(5)を並べて入れ、上から、砂糖、昆布酢(あれば橙)、ほんの数滴の醤油と、
「かつおと昆布の出汁」を少量入れる。
(7)
一つの花ごとに、上に鷹の爪の輪切りと、ゆずを小さく切ったものを載せて飾る。
翌日以降に、美味しくなります。
酢の物に共通のことですが、少量の美味しい「かつおと昆布の出汁」を加えることで、優しい味になり、
信じられない程美味しくなります。
なお、私の古いホームページから、「2002年 お正月大好き人間のこだわり日記」をリンクします。
実は、この時が、私の体調の絶不調の時で、痛みと闘いながら、泣きながら おせちを作りました。
もう来年はおせち作りは出来ないと思い、思い出の為に兄夫婦と妹夫婦を招待しました。
「2002年 お正月大好き人間のこだわり日記」
でも、それから、又翌年も、楽しいお正月を迎えることが出来ましたことは、前回リンクしました
「2003年 お正月大好き人間のこだわり日記」の通りです。
どん底を意識した場合、底を思い切り蹴って浮上すると言うイメージを、私はいつも持ちますが、まさに
そのどん底の年が2002年で、復活の年が2003年だったと思っています。
2009.12.22 遅ればせながら、今年のお正月の続き#4(酢の物のこと)
ごちそうの後の、酢の物の爽やかさは、格別です。
幼い頃のおせちの思い出の酢の物は,紅白なますと菊花かぶです。
長じて、自分でおせちを作る様になってから、紅白なますは、大型の大根を2本
使って、作ったこともあります。これを刻むのが、大変なこと。
でも、私の得意技でした。本当に、これ包丁で切ったの?と聞かれるぐらい、細く
長く、きらきら輝いている様に見えました。
そして、「菊花かぶ」も…。
私は、7~8年程前、今と比べ物にならないぐらい、手も足も激痛だった時期があり、
激痛の手が肩までしか上がず、髪を洗うのに、自分の頭の方を、手まで持って行って
洗っていた、あの激しく痛む手が、なんと見事に、「菊花かぶ」を作っていたことを、
私は時々思い出します。
そんな状況でも、包丁だけは使えて、信じられないほど美しい膾類を作ることができ
ることにを、私は神に感謝していました。
一番ひどい年のおせちご招待は、3組11人でした。
まさか、身体の悪いものが、こんなことをしているなんて、誰も信じなかった筈です。
そのことを、私はほとんど、口にすることはありませんでしたが、話したとしても、
伝わらなかったと思います。

「菊花かぶ」の繊細な白い乱菊の花びらに、私は、自分で見とれることがありました。

「菊花かぶ」は、まさに、日本料理の華だと、私は思っています。
その頃の、私の菊花かぶのことを、書いた古いページをリンクします。
その頃は、まだ便利なブログなど無かったので,苦労して作ったホームページです。
「2003.1.10の日記」
私のおせちの、酢の物の数は、いつの間にか、少しずつ増えて行きました。
今年は、お客様予定ではなかったのに、数えてみれば、5種あったので、驚きました。
その5種については、次回と致します。
今日は、恥ずかしながら、古いホームページから、私のお正月風景をリンクします。
「2003年 お正月大好き人間のこだわり日記」
2009.12.20 遅ればせながら、今年のお正月の続き#3(ごまめ、菜の花)

私は、おせちの中でも、ごまめが大好きです。
私は、ごまめは、電子レンジの得意分野だと思います。
電子レンジでのごまめの作り方は、とても簡単です。
<ごまめの煎り方>
(1)ごまめを50gずつに、分けます。
(2)電子レンジの中に、半紙を敷き、そこへ50gのごまめを、広げます。
(3)そのごまめを、2分間、電子レンジにかけます。
(4)紙などに広げて、冷まします。
(まだ、ごまめがある場合は、(3)、(4)を繰り返し、まとめておきます。)
<密の作り方>
(6)大きな耐熱ガラスのボールに、次の材料を入れます。
ごまめ50gに対して、砂糖大1、醤油大1、みりん大1
(7)それを、2分間、電子レンジにかけます。
(※ もし、ごまめ100gなら、倍量の「砂糖大2、醤油大2、みりん大2で、
電子レンジに掛ける時間は4分間」と言う風に、50gを基本にして掛算します。
蜜は、全部一度に作ります。)
(8)蜜が、ぐつぐつ煮たっているところへ、冷えたごまめと、小口切りの鷹の爪を
一気に入れて、手早く蜜と絡めます。
(9)両手に、割り箸を5~6本ずつ持ち、サッサッとあおる様にして、素早く蜜と
なじませます。
(◎ 「大きな耐熱ガラスのボール」が必要な理由は、ここにあります。)
(10)熱い内に、平たい容器に、なるべく重ならない様に、広げて冷まします。
(ここで、しっかり広げておくと、後で、くっつき難いです。)
(11)白ごまを、振ります。
電子レンジは、煎りものが得意ですね。
こうして作ったごまめは、香ばしく、パラリとして、口の中に残らないので、歯の
悪い高齢者にも、幼児にも大丈夫です。
私は、おせちのご招待をしていた時は、ごまめはいつも200~300g作りました。
美味しいと喜ばれるので、良かったらお土産にどうぞと言える様にです。

上は、菜の花の芥子和えです。
私が、おせちに菜の花を選ぶのは、菜の花は、作り置きしても、色が変わり難いから
です。お重の中の青みに、重宝します。
<作り方>
菜の花を茹でて、軸は斜め切りにし、葉は小口切りにします。
芥子粉を湯で溶いて、それを出汁と醤油と延ばします。
そこへ、切った菜の花を入れて,合えます。
カテゴリー「私のお正月」
2009.12.18 遅ればせながら、今年のお正月の続き#2(お煮染め)

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