チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2009.06.27 今年も「あじさい荘」へ
今年も、あじさい荘へ招かれました。
園芸、特にあじさいが大好きな、中学時代の友人の家です。
私が「あじさい荘」と名付けました。
今年は、ご主人が入院中で、多忙な為、取り敢えず私だけ招かれましたが、時々、
このあじさいの時期に、同級生仲間で麻雀会を開いてくれます。
そんなこともあり、「あじさい荘」です。(雀荘ね。)
その日は、朝起きると我が家のバルコニーが濡れていたので、「やっぱり雨ね。
いつも、あじさい荘に行く日は決まって雨だから。」と思っていると、雨は朝だ
けで、午後はカンカン照りでした。
明石の彼女の家に到着すると、珍しく(多分始めて)、雨に打たれていない、
乾いたあじさいと対面でした。こちらでも、朝だけ降ったそうです。
でも、さすがにあじさいは見事で、とても綺麗でした。
今回、お誘いがあった時、私は、今足を悪くして、隣のスーパーに行っても腫れる
こと、食材を宅配して貰って、外出はしていないないこと、今回は、どうしても治
したいので、歩かないために、駅からタクシーに乗りたいことを伝えていました。
ご主人が元気な時は、いつも、ご主人の車で送り迎えをして頂いていました。
駅の南のいつも一緒に行く「たこ焼き(明石焼き)屋さん」へ行った距離が、自分
の許容量限度で、そこからは、タクシーにする積もりでしたが、最初の私の伝え方
が充分でなかった様で、叉は、元気な様子をしているので、まさかそれほどとは思
わないか(そんな状態の人が来るとは普通思わないし)「タクシーはいらんいらん。
すぐやから。」とどんどん進んで行く彼女を追い掛けて、結局駅迄戻り、その又、
北側のバス乗り場から、バスに乗ってお宅へ向いました。
バスを降りて坂道をいくつか折れて、本当にすぐなのですが、足の悪く無い人には、
何でもないのですが、私にはこたえて、お宅に着いた時点で許容量の数倍でした。
(私の言う許容量とは、歩ける限度と言うよりも、後で悪化させない為の、私の感
覚による限度です。)
でも、あじさいを見ながら、ゆっくりと昔話等をして、楽しい時間を過ごしました。
帰路は、又、バスでしたが、到着するところが駅の南西の角で、そこから人に聞き
つつ、改札迄の距離に難儀しました。
ようやくの思いでホームに上がると新快速は出たばかりで、20分立って待たねばな
りません。この立っているのが大変なのです。そして後で痛みます。
ホームを替えて、普通や快速で行けば、早く座れますが、移動が辛いのでそのまま
立って待っていました。
「あ、これは、後で困ったことになるぞ。」と思いました。
でも、帰宅すると、あじさいを水切りして活けて、夕食(うどん)を作ったりして
いて、「あ、何だ、もしかして大丈夫かも?」と、安心しました。
翌日、Nさんが車で来てくれて、銀行や買物など私の用事に付き合ってくれました。
その翌日です。朝起きたら、11時でした。11時間以上眠っていました。
と同時に、足の腫れと痛みがひどくなっていることに気付きショックをうけました。
次の日、妹が来た時、「そんなに元気そうだから、誰にも足が痛いなんて分らない
わよ。」と言っていました。
それは、良く言われます。
昨日の金曜日、いつもの様に整形外科に水を抜きにゆきました。
29ccまで減らしていた左足が、無念の41ccに増えていました。
しかし、悪かった右の足は61ccから46ccとなり、改善しました。
こちらは減ったのが、不思議です。吃驚する程腫れていて、痛かったのに。
結局、痛かった右足を庇って、左が腫れた様です。
先生に、「外出は良いけれど、歩くのはいけません。」と言われました。
それは難しい。やはり、「治療日以外は外出しないこと」を、貫かねばなりません。
ただ、有難いことに、今回一時的な悪化はありましたが、それでも以前より快方に
向っております。1カ月ほど前は、左110cc、右145ccの水を抜かれました。
それが、今では、2桁になりました。
リハビリ室で聞いていると、廻りの女性が「私は左3cc、右2.5cc抜かれた」とか、
「私は8cc抜かれた」と言っていて、驚きました。少ない価です。1桁です。
私は、今回は完治させるつもりです。
今迄は、足の痛みなどあって当たり前として、生活し、人と付き合っていました。
今とは、比べものにならない程の激痛の日々も、動き廻っていました。
今後、これは、絶対に止めないといけません。
そして「歩かない。しかし、筋力と体力を付ける。」を目標に、頑張りたいと思っ
ております。
園芸、特にあじさいが大好きな、中学時代の友人の家です。
私が「あじさい荘」と名付けました。
今年は、ご主人が入院中で、多忙な為、取り敢えず私だけ招かれましたが、時々、
このあじさいの時期に、同級生仲間で麻雀会を開いてくれます。
そんなこともあり、「あじさい荘」です。(雀荘ね。)
その日は、朝起きると我が家のバルコニーが濡れていたので、「やっぱり雨ね。
いつも、あじさい荘に行く日は決まって雨だから。」と思っていると、雨は朝だ
けで、午後はカンカン照りでした。
明石の彼女の家に到着すると、珍しく(多分始めて)、雨に打たれていない、
乾いたあじさいと対面でした。こちらでも、朝だけ降ったそうです。
でも、さすがにあじさいは見事で、とても綺麗でした。
今回、お誘いがあった時、私は、今足を悪くして、隣のスーパーに行っても腫れる
こと、食材を宅配して貰って、外出はしていないないこと、今回は、どうしても治
したいので、歩かないために、駅からタクシーに乗りたいことを伝えていました。
ご主人が元気な時は、いつも、ご主人の車で送り迎えをして頂いていました。
駅の南のいつも一緒に行く「たこ焼き(明石焼き)屋さん」へ行った距離が、自分
の許容量限度で、そこからは、タクシーにする積もりでしたが、最初の私の伝え方
が充分でなかった様で、叉は、元気な様子をしているので、まさかそれほどとは思
わないか(そんな状態の人が来るとは普通思わないし)「タクシーはいらんいらん。
すぐやから。」とどんどん進んで行く彼女を追い掛けて、結局駅迄戻り、その又、
北側のバス乗り場から、バスに乗ってお宅へ向いました。
バスを降りて坂道をいくつか折れて、本当にすぐなのですが、足の悪く無い人には、
何でもないのですが、私にはこたえて、お宅に着いた時点で許容量の数倍でした。
(私の言う許容量とは、歩ける限度と言うよりも、後で悪化させない為の、私の感
覚による限度です。)
でも、あじさいを見ながら、ゆっくりと昔話等をして、楽しい時間を過ごしました。
帰路は、又、バスでしたが、到着するところが駅の南西の角で、そこから人に聞き
つつ、改札迄の距離に難儀しました。
ようやくの思いでホームに上がると新快速は出たばかりで、20分立って待たねばな
りません。この立っているのが大変なのです。そして後で痛みます。
ホームを替えて、普通や快速で行けば、早く座れますが、移動が辛いのでそのまま
立って待っていました。
「あ、これは、後で困ったことになるぞ。」と思いました。
でも、帰宅すると、あじさいを水切りして活けて、夕食(うどん)を作ったりして
いて、「あ、何だ、もしかして大丈夫かも?」と、安心しました。
翌日、Nさんが車で来てくれて、銀行や買物など私の用事に付き合ってくれました。
その翌日です。朝起きたら、11時でした。11時間以上眠っていました。
と同時に、足の腫れと痛みがひどくなっていることに気付きショックをうけました。
次の日、妹が来た時、「そんなに元気そうだから、誰にも足が痛いなんて分らない
わよ。」と言っていました。
それは、良く言われます。
昨日の金曜日、いつもの様に整形外科に水を抜きにゆきました。
29ccまで減らしていた左足が、無念の41ccに増えていました。
しかし、悪かった右の足は61ccから46ccとなり、改善しました。
こちらは減ったのが、不思議です。吃驚する程腫れていて、痛かったのに。
結局、痛かった右足を庇って、左が腫れた様です。
先生に、「外出は良いけれど、歩くのはいけません。」と言われました。
それは難しい。やはり、「治療日以外は外出しないこと」を、貫かねばなりません。
ただ、有難いことに、今回一時的な悪化はありましたが、それでも以前より快方に
向っております。1カ月ほど前は、左110cc、右145ccの水を抜かれました。
それが、今では、2桁になりました。
リハビリ室で聞いていると、廻りの女性が「私は左3cc、右2.5cc抜かれた」とか、
「私は8cc抜かれた」と言っていて、驚きました。少ない価です。1桁です。
私は、今回は完治させるつもりです。
今迄は、足の痛みなどあって当たり前として、生活し、人と付き合っていました。
今とは、比べものにならない程の激痛の日々も、動き廻っていました。
今後、これは、絶対に止めないといけません。
そして「歩かない。しかし、筋力と体力を付ける。」を目標に、頑張りたいと思っ
ております。
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