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2012.06.29 「世界ふれあい街歩き 上海」の感想メールをご紹介します。

お知らせしました様に、NHKの「世界ふれあい街歩き上海四川北路編」のスクリーンショット
をUPするべく只今準備中ですが、多忙で遅れております。
その間を利用して、ご紹介したいものがあります。

放映後、友人知人から電話やメールで感想が届きましたが、その中で素晴しいメールがありま
した。
メールの主は、私の昔の職場の上司で、私はその博覧強記振りに感銘、そして簡潔な名文の爽
やかな余韻に浸りました。
その方は、一昨年本を出版された方で、当時ブログでお知らせした方です。
「2010.04.29 古代大和を歩く」


ご本人の了承を得ましたので、下にその文章を掲載させて頂きます。

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見ました!、見ました!。よかったですね。

 あの建物は昭和の初期としては、さすが英国人の設計になる、立派な絵になる風景の建築ですね。
当時の日本の建物は木造の二階建ての長屋がハイカラだと思っていましたが、上海のあの建物には
足元にも及ばないです。
あの建物は当時の上海としては、特権階級だけが住める、ハイカラな高級住宅地帯であったと思われます。
 
 そして家の前で布団を干していたおばさんも、戦前の日本の奥様の人柄を偲ばせました。
それに貴方が記録され、編集されたあの写真集、貴方の写真も映っていました。恐らくあの家族に
より永久保存される宝物と思います。
いいことをされましたね。
 人間は歳をとれば一層、「古里は忘じ難く候(そろ)」と言います。私も昨今急に故郷に足を向けています。
 
 余談。魯迅公園があるのにはびっくりしました。
昭和32年頃でしたか、今は亡くなった難波の歌舞伎座で、新国劇の「魯迅先生」が上演されました。
その劇の中で、魯迅が東北帝大を中退してシナに帰る送別会のシーンが、今でも私の脳裏に残っています。
先生は島田正吾、魯迅は駆け出しの緒方拳でした。(当時彼に書いてもらった色紙がどこかに在る筈です)。
それはともかく、宴会の最後に島田が「青葉しげれる桜井の・・・」の歌を歌うのですが、その独特の
格調ある、憂いに満ちた歌の調子に引きこまれました。
森繁調とよく似ているようですが、渋みのある島田の声の方が上です。その調子を真似ましたが、私には
ものにはなりませんでした。

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以上の通りです。
「当時の日本の建物は木造の二階建ての長屋がハイカラだと思っていましたが、上海のあの建物には
足元にも及ばないです。」
と言われるのは、正にその通りだと思います。イギリスの建物は、すごいと思います。
隅々迄手抜きが無い堅牢な造りで、100年経ってもまだ頑丈なことに驚きます。
又、当時既に(全く現在の形の美しい)水洗トイレでした。
(トイレは2階にあり、裏庭の地下の汚水槽に流れ、1週間に1度バキュームカーが吸引に来ていた
と兄に聞きました。100年前の設備です! 日本では一般に、まだ厠(かわや)の時代ですよね。)

しかし、現在ではこの1軒の家に8家族前後が住んでおられるという様な過密状態で、又日本人と
違って土足のままの生活様式でもあり、しかも67年も経てば、さすがに家々は見る影も無く汚れて
いて、「そのことを淋しく思います」と言うメールも複数寄せられました。

実は、戦前は、あの一画(麦拿里=マグノリ)の建物の戸数は今の倍ほどあった様です。
しかし、端の方から道路拡張の為壊され、反対側も市街地開発で撤去され、真ん中の一群が残されて
いて、その中に我が家がありました。
それらも、もうすぐ壊されると聞き、無くなる前に見に行こうと、昨年兄妹3人で訪ねたのでした。

しかし、その後予定変更となり、残っていた建物は文化財として保存されることになったそうで、
私達はそれを聞いてとても嬉しく思っております。

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